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及川道子から見た山田五十鈴
1933年1月幹部に昇格し、清水監督のサウンド版『眠れ母の胸に』に主演。同作品では歌手の小林千代子と共に同名の主題歌を独唱し、レコード吹き込みも行い声楽家としての実力も示した。同じ清水監督の『港の日本娘』では江川宇礼雄、島津監督の『頬を寄すれば』では、岡譲二を相手役に主演。続く五所監督の『愛撫(ラムール)』では岡田嘉子と共演し、ベテラン相手に一歩も引けをとらぬ演技を見せた。1934年に入ると、清水監督のオールスター大作『東洋の母』で江川宇礼雄の妹役を演じ、続く野村浩将監督『夢見る頃』でも江川と兄妹役を演じた。5月には、下加茂で時代劇『月形半平太』に出演し、主演の林長二郎の相手役をつとめた。続く池田義信監督『はつ姿』の主演も決定したが、彼女の再度の発病で製作中止となる。彼女はこの時も1年以上の療養を余儀なくされ、翌1935年の佐々木康監督『真白き富士の根』の女学校教師役で復帰した。また同年8月、東京劇場で開かれた「新派精鋭男女優合同」に村田嘉久子・山田五十鈴・村田正雄らとともに出演。だが健康状態は再び悪化し、翌1936年4月の島津保次郎監督『家族会議』では、病を押してヒロイン仁礼泰子を演じ切ったものの、結果的にこれが最後の出演作となってしまった。翌1937年には大船撮影所(前年に蒲田から移転)を退社。そして翌1938年9月30日、結核のため26歳の若さで世を去った。(及川道子 フレッシュアイペディアより)
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