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五十嵐亮太から見た岩崎達郎
''、デニス・サファテの獲得により、セットアッパーとして開幕1軍を迎えた。4月12日から7月26日までの期間、前任の走者を2度生還させたものの、33試合で1失点自責0。7月30日から9月5日までの16試合も無失点と安定した活躍を見せた。また7月2日から9月2日まで、2セーブを挟んで23試合連続ホールドとなった。この間、パ・リーグ初、自身2度目の月間MVP(7月度)を受賞した。8月3日の対日本ハム戦(札幌ドーム)でNPB通算600試合登板を達成し、つづく8月8日の対西武戦(県営大宮球場)で、初登板からでは藤田宗一が持つ600試合を塗り替え、NPB新記録となる601試合連続救援登板を達成した。8月28日に史上16人目の通算100ホールドを達成。9月5日には2010年のブライアン・ファルケンボーグの39ホールドを塗り替え球団新記録となる40ホールドを達成する。9月7日、対西武戦8回1点リードから登板し、中村剛也の逆転タイムリーツーベースなどで3失点してシーズン初黒星となると、9月20日の対西武戦では、延長10回同点で登板し、脇谷亮太のタイムリーによりサヨナラ負けを喫した。9月25日、この日で自身がパ・リーグの暫定ホールド王、チームは首位として迎えた対楽天戦では、7回2点リードで森唯斗の後を受け、一死一二塁から登板。アンドリュー・ジョーンズに低めのストレートを見極められ四球で満塁とすると、続く嶋基宏にはボールスリーからストレートの連続四球で押し出し、続く枡田慎太郎にはフルカウントから3連続四球となる押し出し、松井稼頭央には粘られ12球目で空振り三振、岩崎達郎にもフルカウントから四球で押し出し、さらに西田哲朗にも3ボール1ストライクから押し出しと、大乱調の4失点でイニングの途中で降板となり、自身は9月だけで3敗、チームは3連敗して自力優勝の可能性が消滅しオリックスに逆マジック7が点灯した。ファンからは怒号が飛び、自身も「僕の状態が問題だった。準備もしていた。良くないながらマウンドでの修正ができなかった」と全面的に非を認めた。1イニング4つの押し出しは1954年の高橋ユニオンズ田村満以来60年ぶり史上5人目の失態。10月2日、両チームのリーグ優勝がかかり、かつシーズン最終戦の対オリックス戦において、8回同点から3番手として登板。先頭の伊藤光を変化球でライトフライ、エステバン・ヘルマンを外角の直球で空振り三振、安達了一にセカンドへの内野安打を許し、糸井嘉男には直球を見送られ四球としたが、ウィリー・モー・ペーニャを151km/hの直球でショートゴロに打ち取り、1回を無失点に抑えて自己最多記録・球団新記録・2014年パリーグ最多記録となるシーズン44ホールドを記録し、チームは延長10回に松田宣浩が左中間にサヨナラ打を放ち、3年ぶりのリーグ優勝を決めた。また、球団新記録となるレギュラーシーズン合計130ホールドにも貢献した。(五十嵐亮太 フレッシュアイペディアより)
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森岡良介から見た岩崎達郎
4月22日、後に所属する東京ヤクルトスワローズとの試合で代打出場し、館山昌平からプロ初本塁打を放つ。4月24日の対広島戦に代走として出場した際、エンドランを阻止されタイミングは完全にアウトだったにも関わらず、スライディングにブレーキをかけて松本高明の足狙いのタッチを避け、松本がもたつく間に松本のグラブをまたいでベースを踏みセーフになるという前代未聞のプレーになった。本人は「タイミングを見計らって、意図して急ブレーキをかけた」と語っている。ウエスタンリーグでは打率.316・6本塁打・42打点で、三部門でチームトップの成績を残し、最高出塁率のタイトルも獲得したが、岩崎達郎らの台頭もあって徐々に出場機会が減少した。(森岡良介 フレッシュアイペディアより)
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2010年の日本シリーズから見た岩崎達郎
内野手:1堂上直倫、2荒木雅博、6井端弘和、25新井良太、30森野将彦、37岩崎恭平、42トニ・ブランコ、46岩崎達郎、50中田亮二(2010年の日本シリーズ フレッシュアイペディアより)