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東北地方太平洋沖地震及び津波のメカニズムから見た岩手・宮城内陸地震
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の発生直後から、震源域やその周辺ばかりではなく、東日本一帯を中心とした広い範囲で地震活動の活発化が見られた。例えば3月12日に発生したM6.7の長野県北部地震を始めとする新潟県や長野県の県境付近や、秋田県の内陸部及び日本海沖、福島県と茨城県の県境付近、そして静岡県東部などである。これら広範囲で見られる東北地方太平洋沖地震の影響で発生したと考えられる地震のことを誘発地震と呼ぶ。一方、岩手・宮城内陸地震と新潟県中越沖地震の余震域や猪苗代湖の南側など、東北地方太平洋沖地震前よりも地震活動が静穏化したと考えられる地域もある。(東北地方太平洋沖地震及び津波のメカニズム フレッシュアイペディアより)
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宮城県沖地震 (2003年)から見た岩手・宮城内陸地震
地震の名称は「宮城県沖地震」のほか、「三陸南地震」、「東北地震」、「東北地方地震」もしくは「宮城県北部沖地震」などと呼ばれている。なお、2008年6月14日午前8時43分(JST)頃に発生した岩手・宮城内陸地震とは異なる。(宮城県沖地震 (2003年) フレッシュアイペディアより)
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サンドウィッチマンのラジオやらせろ!から見た岩手・宮城内陸地震
2008年に発売されたCD「サンドウィッチマンのラジオやらせろ!(仮) ひと口ラジオ」は、彼らがノーギャラで契約、売上の一部が岩手・宮城内陸地震への寄付に使われる。2009年6月15日に彼らが村井嘉浩知事へ売上の一部として25万円を直接寄付した。(サンドウィッチマンのラジオやらせろ! フレッシュアイペディアより)
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国土交通省直轄ダムから見た岩手・宮城内陸地震
直轄ダムで施工中のダムは4基あるが、ダム再開発事業として津軽ダム(岩木川)がある。完成すれば直上流にある目屋ダム(岩木川)は水没する。既に浅瀬石川ダム(浅瀬石川)により沖浦ダムが、長井ダムにより管野ダム(置賜野川)が、胆沢ダム(胆沢川)により石淵ダムがそれぞれ湖底に水没した。この他施工中のダムには鳥海ダム(子吉川)、成瀬ダム(成瀬川)があり、何れもダム事業再検証の対象となったが事業再開されている。また筒砂子ダム(筒砂子川)は田川ダムを統合拡大する形で計画された(次節参照)。ダム事業と住民の摩擦については住民軽視の補償交渉が後年批判の的となった石淵ダム補償問題のほか、胆沢ダムと津軽ダムでは石淵・目屋ダムで移転を余儀なくされた住民が、再び移転を余儀なくされる例も現れている。また、度重なる大地震による施設被害も起こり、岩手・宮城内陸地震では石淵ダムの堤体が損傷、東日本大震災では沿岸を襲った大津波が河川を遡上したことで北上大堰(北上川)、阿武隈大堰(阿武隈川)、馬淵大堰(馬淵川)などが被害を受けている。(国土交通省直轄ダム フレッシュアイペディアより)
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石淵ダムから見た岩手・宮城内陸地震
1986年(昭和61年)6月27日にはダム付近において直下型地震が発生。ダム地点における震度は5(強震)であったが特段の被害は報告されなかった。しかし、2008年(平成20年)6月14日に宮城県・岩手県を襲った岩手・宮城内陸地震ではダム本体に被害が生じた。この地震では宮城県の荒砥沢ダム(二迫川)の貯水池において大規模な地すべりが発生し湖に大量の土砂が流入、ダム本体には影響が無かったもののダム湖は一度に大量の土砂が流入したため堆砂の被害が甚大となった。一方、石淵ダムにおいてはダム地点で震度7に相当する揺れを記録、ダム本体の加速度は基礎部において最大で2,097ガルを計測した。この地震によりダム本体は天端(てんば)にうねりや亀裂が生じたほか、貯水池周辺のがけ崩れなどが発生した。しかしダム本体における最重要部分となるコンクリート表面遮水壁の損傷は確認されず、潜水夫による水中探索においても損傷は確認されなかった。管理する国土交通省東北地方整備局は対策本部を設置し石淵ダムの緊急放流を開始して貯水池の水位を下げ、損傷箇所の修復を行った。修復後貯水を通常の水位まで戻してダムの状態を確認する「安全確認試験」を実施し、異常が認められなかったことから翌2009年(平成21年)1月21日に通常の管理体制に戻した。藤沼ダム決壊を引き起こした東日本大震災では天端に亀裂が生じたものの岩手・宮城内陸地震ほどの損傷は無く、ダムの安全性には影響がなかった。(石淵ダム フレッシュアイペディアより)
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東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (映画)から見た岩手・宮城内陸地震
くりはら田園鉄道線・細倉マインパーク前駅 - 撮影に使われた駅。近くの旧細倉鉱山社宅(岩手・宮城内陸地震で一部破損)も撮影に用いられた。(東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (映画) フレッシュアイペディアより)
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瀬峰場外離着陸場から見た岩手・宮城内陸地震
定期航空路はないが、軽飛行機、ヘリコプター、グライダーの滑走路として利用されている。2008年(平成20年)6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震では、被災状況把握のための調査飛行で利用された。同地震を機に、三陸海岸での防災訓練に以前から参加していたアマチュア航空家を中心にして、操縦士・無線技士・救急救命士・看護師等による災害ボランティア組織が当場を拠点として2010年(平成22年)1月10日に立ち上げられ、自主的に訓練をしていた。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震では、津波の被害が甚大だった沿岸部までヘリコプターで10分程度との近さを生かし、同組織が当場を拠点に活動し、支援物資の輸送拠点および報道ヘリコプターの中継点の1つとしても機能した。(瀬峰場外離着陸場 フレッシュアイペディアより)
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