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  • 田中将大

    田中将大から見た岩隈久志岩隈久志

    レギュラーシーズンでは開幕から連勝を重ねた。4月は4試合に登板し、3勝0敗。なお4月16日の対ソフトバンク戦では7回2失点でリードのまま降板しているが、チームがその後逆転負け。田中に勝ち負けはつかなかったが、この年のシーズン公式戦では唯一の田中が登板しての敗戦となった。5月は5試合に登板し4勝0敗で、通算8度目となる月間MVPを獲得、投手としてはパ・リーグ最多、5年連続受賞は投手としてはプロ野球初。6月16日の対阪神戦(Kスタ宮城)で球団新記録の開幕から9連勝。6月は4試合登板で3勝0敗で、史上初の2度目の2カ月連続、通算9度は投手としては日本プロ野球最多タイの月間MVP受賞。7月は4試合登板で3完投の4勝0敗として、パ・リーグ初の3カ月連続、日本プロ野球タイ記録の年間3度目、通算10度目(いずれもイチローの記録に並ぶ)の月間MVP受賞となった。8月に入っても連勝は途切れることはなく、9月にかけて多くの連勝のプロ野球新記録を作ることになる。8月2日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で、開幕から15連勝として間柴茂有()と斉藤和巳()の日本プロ野球記録に並んだ。8月9日の対ソフトバンク戦(Kスタ宮城)で日本プロ野球新記録の開幕16連勝、また前年から20連勝で、松田清( - )と稲尾和久()の日本プロ野球記録に並んだが、先発登板だけで20連勝は史上初である。8月16日の対西武戦(西武ドーム)で日本プロ野球新記録の21連勝。8月30日の対ソフトバンク戦(ヤフオク)で開幕からの連勝を19として、にルーブ・マーカードが記録したメジャーリーグの開幕連勝記録に並んだ。8月は5試合に登板し、5勝0敗で、日本プロ野球新記録の4カ月連続、年間4度目、通算11度目となる月間MVPを受賞。9月6日の対日本ハム戦(Kスタ宮城)で稲尾和久()の記録に並ぶ日本プロ野球タイ記録のシーズン20連勝。シーズン20勝は2008年の楽天の岩隈久志以来。メジャーリーグの開幕連勝記録を上回った。9月13日の対オリックス戦(Kスタ宮城)でシーズン21連勝、日本プロ野球新記録となり、からにかけてカール・ハッベルが記録したメジャーリーグ連勝記録を上回った。9月21日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で日本プロ野球では1980年の木田勇以来33年ぶり、2008年の岩隈久志を上回る球団新記録のシーズン22勝目で、2003年の斉藤和巳以来の日本プロ野球タイ記録の15試合連続登板勝利。楽天の優勝へのマジック2で迎えた9月26日の対西武戦(西武ドーム)で1点差で迎えた9回裏に、同季初のリリーフで登板。この時、ほぼ同時刻に2位のロッテが敗れてマジックが1となり、このまま勝てば優勝決定の場面で、田中はランナーを2人出したものの無失点で抑えて胴上げ投手となり、チームは初のリーグ優勝を決めた。田中のセーブは4年ぶり。9月は4試合登板で3勝1セーブとして、5カ月連続、通算12度目の月間MVPを受賞。その後も連勝は途切れることなく、同季最終登板となった10月8日の対オリックス戦(Kスタ宮城)でシーズン24勝目を挙げた。シーズン中の田中のクオリティスタート率は100%であり、全試合を6イニング以上、自責点3以下に抑えた。田中将大 フレッシュアイペディアより)

  • 2010年の東北楽天ゴールデンイーグルス

    2010年の東北楽天ゴールデンイーグルスから見た岩隈久志岩隈久志

    この年の東北楽天ゴールデンイーグルスは、マーティ・ブラウンが1年だけ監督を務めたシーズンである。このシーズン終了後、岩隈久志がポスティングシステムでMLB移籍を試みたが、落札したオークランド・アスレチックスとの交渉が不調に終わり、翌年もチームに残留した。2010年の東北楽天ゴールデンイーグルス フレッシュアイペディアより)

  • 大阪近鉄バファローズ

    大阪近鉄バファローズから見た岩隈久志岩隈久志

    オープン戦で吉岡雄二がアキレス腱断裂で離脱。新外国人選手のラリー・バーンズが開幕3戦目で離脱、同じくヘクター・カラスコも、4月に4連敗で防御率20.00となり登録抹消。4月7日に4位となって以降このシーズンはAクラスになることはなく、4月は最下位で終える。岩隈久志が開幕から球団記録となる12連勝もあり、一時は4位となるが、6月13日の球団合併発表の翌試合から4連敗するなど5位となり、7月は4位で終わるものの、アテネオリンピックで岩隈、中村紀洋が抜けた8月7日から7連敗で、以降は5位となる。梨田は合併発表時の時点では「借金4で手ごたえはあった」としているが、7月7日のオーナー会議の時点では選手は抜けがらになり、最後は立ち上がれなかったとも述べている。9月24日、大阪ドームでの近鉄最終戦となる対西武戦が行われ、この年ここまで出場のなかった吉岡が代打で出場、この試合が引退登板となった赤堀元之や加藤伸一などが登板。試合は延長11回裏、1死二塁で星野おさむの右翼線へのサヨナラ安打で3対2で勝利、これが球団公式戦最後の勝利となった。9月27日のYahoo! BBスタジアムの対オリックス戦が、共に合併する球団同士の公式戦最終戦となったが、2対7で敗れている。チームは61勝70敗で4年ぶりのBクラスとなる5位に終わった。岩隈は15勝を挙げ最多勝を獲得するなど計算できた投手陣に比べ、打撃陣はローズが抜けたことや吉岡などの故障もあり、前年より本塁打、得点が激減となっている。二軍は前期優勝で、9月30日、藤井寺球場で最後の二軍公式戦、ウエスタンリーグ優勝決定戦が行われたが、後期優勝の中日に敗れている。大阪近鉄バファローズ フレッシュアイペディアより)

  • 見せましょう野球の底力を

    見せましょう野球の底力をから見た岩隈久志岩隈久志

    翌12日以降、オープン戦が中止となるなか、楽天は各地で練習試合を行っていたが、主将の鉄平が「100%野球に集中するのは難しい」と述べるような状況であり、なかなか勝つことが出来ず、また、一刻も早く被災地へ行きたかったが、チームとして大人数で移動できるような交通状況ではないことや、シーズンの準備をしなければならないことから、被災地へ行くことも叶わなかった。そんな中、3月20日には楽天の全選手によりナゴヤドームで募金活動を行ったり、3月22日には阪神・淡路大震災の被災地である神戸市三宮で募金活動を行ったり、3月26日には福岡ソフトバンクホークスの選手である小久保裕紀が発起人となって行われた、東日本大震災チャリティートークイベント「今、私たちにできること」に嶋・鉄平・永井怜・田中将大・岩隈久志の各選手が参加し募金活動を行うなど、各地で慈善事業を行っていた。嶋や鉄平ら選手達は「何ができるか」を夜遅くまで話し合い、嶋は選手会長としてチームの意見をまとめ、監督の星野仙一に「一度、仙台に帰らせて下さい」と話をしていた。見せましょう野球の底力を フレッシュアイペディアより)

  • 紺田敏正

    紺田敏正から見た岩隈久志岩隈久志

    プロ1年目のには二軍で打率3割、14盗塁を記録し、一軍でもプロ初打席初安打となる三塁打を大阪近鉄バファローズの岩隈久志から記録した。紺田敏正 フレッシュアイペディアより)

  • 辻竜太郎

    辻竜太郎から見た岩隈久志岩隈久志

    プロでの登録名は竜太郎となり、1年目は34試合に出場。翌は大島公一とともに自主トレを行い、野球に対する高い意識に大きな影響を受けたという。同年は79試合に出場して7本塁打を放ち、特に岩隈久志から記録した初本塁打はNPBで一番の思い出になった。は規定打席未満ながら打率.325をマークし、近鉄とのシーズン最終戦では勝ち越しの3ランホームランを放ったものの、一軍出場は52試合にとどまっている。同年オフに選手分配ドラフトを経て東北楽天ゴールデンイーグルスへの移籍が決まった。背番号は自ら当時編成部長だった広野功に希望を伝え、一旦は希望通り7に内定していたが、少し遅れて自由契約でオリックスから移籍した山崎武司も7を希望し、自ら竜太郎を説得する意向まで広野に直訴したため、最終的にはオリックス時代と同じ48となった。辻竜太郎 フレッシュアイペディアより)

  • 斎藤信夫

    斎藤信夫から見た岩熊岩隈久志

    歌手の川田正子の母須磨子の故郷・いすみ市の「童謡の里」 楽譜に記した歌詞の一部 (千葉県いすみ市岬町岩熊)斎藤信夫 フレッシュアイペディアより)

  • 2004年の日本プロ野球

    2004年の日本プロ野球から見た岩隈久志岩隈久志

    6月12日 - 近鉄の岩隈久志が大阪ドームでの対日本ハム12回戦に先発して7回無失点の内容で10勝目を挙げ、球団タイの開幕10連勝を記録。2004年の日本プロ野球 フレッシュアイペディアより)

  • 団野村

    団野村から見た岩隈久志岩隈久志

    2010年11月、ポスティングシステムでのメジャー移籍を目指した岩隈久志の代理人を務め、最高額を入札したオークランド・アスレチックスと交渉を行う。交渉は難航し、22日にはアスレチックスとの交渉決裂が報じられた。野村は当初この報道を否定したものの、2週間後の12月6日に契約不成立が発表された。これについて野村は双方の希望に隔たりがあったと自身のTwitterで明かした。その交渉内容は、野村側が松坂大輔や黒田博樹の契約を比較対象として挙げたのに対し、アスレチックス側はコルビー・ルイスや井川慶を比較対象として挙げたというものであった。しかしその一方で、バリー・ジトが2007年にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約した際の7年1億2600万ドルを比較対象として契約を要求したとの報道がなされた。野村は日本のメディアに対してこれを否定したが、サンフランシスコ・クロニクル紙のスーザン・スラッサーは「団氏がバリー・ジトの契約を要求したことに間違いはない。それだけでなく、団氏自らが『岩隈側の要求をもっともよく説明している記事』と引用し続けたほど」と反論した。交渉決裂後、アスレチックスと地元紙から、それぞれ「うそをリークして報道させた。不愉快な思いをさせた」「事実と違う報道をした」という趣旨で謝罪があったことを野村を通じて岩隈に伝えたとする報道がなされた。しかし、サンフランシスコ・クロニクル紙はこれを否定。その後、野村は「『謝罪した』とする発言について明日取り消す」と同紙に連絡を入れたという(実際に取り消されたかは不明)。翌2011年8月2日には岩隈が代理人をポール・コブに変更していたことが報じられた。団野村 フレッシュアイペディアより)

  • 朝井秀樹

    朝井秀樹から見た岩隈久志岩隈久志

    5月26日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)でプロ初先発・初勝利(同試合で新人の一場靖弘がプロ初セーブを挙げた)を果たし、球団初の三連勝に貢献した。同年8月31日の対北海道日本ハムファイターズ戦(フルキャストスタジアム宮城)では155球を投げ抜いて初完投勝利を挙げ、この試合でプロ野球史上ワーストのチーム月間借金20(2勝22敗)を免れた。白星はこの2つだけだったが、新規参入球団で選手全員が他球団からの移籍だったこの年は岩隈久志に次ぐ先発の柱として大いに期待された。朝井秀樹 フレッシュアイペディアより)

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