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青葉城恋唄から見た島倉千代子
地元の宮城県では、仙台七夕まつり期間になると、祭り会場のアーケード街などで、島倉千代子の「七夕おどり」や「ミス仙台」と共に当曲が繰り返し流されている。また、1988年(昭和63年)からJR仙台駅の在来線ホームにおいて、当曲をモチーフにした宮城フィルハーモニー管弦楽団(1989年より仙台フィルハーモニー管弦楽団)演奏の発車メロディが、替わって2016年(平成28年)からは新幹線ホームにおいて、当曲を編曲した仙台フィル演奏の発車メロディが使用されている。2004年(平成16年)プロ野球再編問題の結果、仙台を本拠地として新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスでは、応援団が作成したチャンステーマのイントロ部分にも当曲が使用されている。その他、仙台市民・宮城県民または出身者のカラオケでの定番曲となっており、県民歌・市民歌のように扱われ歌われている。(青葉城恋唄 フレッシュアイペディアより)
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第47回NHK紅白歌合戦から見た島倉千代子
「ときめきをさがしに」(ドラマ新銀河『素敵に女ざかり』主題歌。島倉自身が作詞を手掛けた)を歌唱した島倉千代子は歌詞が書かれたカンペを左手に隠し持っていたが、それにも関わらず歌詞が飛んでしまい最後に小さく「ごめんなさい」と笑顔で呟いた。(第47回NHK紅白歌合戦 フレッシュアイペディアより)
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第45回NHK紅白歌合戦から見た島倉千代子
第1部の紅組トリである島倉千代子(この年デビュー40周年)の「人生いろいろ」の場面では、まず、曲前に森より「島倉さんは尊敬しています。「人生いろいろ」ありますけれど、どうぞ歌一筋に頑張ってください」と島倉にメッセージが述べられた。そして、曲の途中から上沼と紅組歌手一同が島倉のバックに集結するという演出があった。(第45回NHK紅白歌合戦 フレッシュアイペディアより)
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演歌から見た島倉千代子
一方で、1955年頃からラジオが地方へ普及するにつれて、地方を舞台にした楽曲が生み出された(「田舎調」)。これらは股旅物や後の「ご当地ソング」のような様式化された地方ではなく、戦後の地方出身者の都会への進出を背景とした「望郷」がテーマになることが多かった。初期の歌手では春日八郎(「別れの一本杉」など)、島倉千代子(「逢いたいなァあの人に」など)、三橋美智也(「リンゴ村から」など)、作曲家としては船村徹などが挙げられる。島倉は上述の芸者風の歌唱法(泣き節)で歌い、三橋は初めて民謡調の発声をレコードに吹き込むなど、田舎調は論壇では劣勢な「日本調」的な特徴を持っていた。田舎調の楽曲は会話調の歌詞に起伏に富んだ旋律がつくもので、都会調で席捲されていたレコード歌謡に衝撃を与える。一部からは「畳替えをした新しい桟敷の上を土足で歩く歩くような作家が出てきた」と非難された。後に村田英雄が浪曲系から加わり「王将」(1961年)がヒット。更に美空ひばりと古賀政男という都会調を代表するコンビも「柔」(1964年)や「悲しい酒」(1966年)など田舎調に近い楽曲を発表した。後年ひばりが「演歌」歌手と呼ばれる楽曲はこの頃から始まる。(演歌 フレッシュアイペディアより)
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