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    島倉千代子から見たテイチクレコード

    1950年(12歳)、童謡『お山のお猿』がテイチクレコードから発売される。ただし誤植により「戸倉千代子」名義となってしまったため、「島倉千代子」のデビュー作とはならなかった。島倉千代子 フレッシュアイペディアより)

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    島倉千代子から見たこの世の花

    1945年(7歳)、長野松本市へ疎開。実は両親の実家がある群馬県桐生市にも半年疎開していた事もある。井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り、左手首からひじまでを負傷。母・ナカが「女の子だから(腕を)残して欲しい」と医師に懇願し、切断は免れたが47針を縫い、感覚も無く、動かすこともできなくなる(後に不自由ながらも動かすことができるようになる)。この時の輸血がのちに千代子が患ったC型肝炎の遠因となった。気持ちの沈んだ千代子のために母・ナカは『リンゴの唄』を聞かせるようになる。後に『この世の花』で歌手デビューを遂げた千代子だが、『この世の花』の作曲は『リンゴの唄』の作曲と同じく万城目正によるもの。島倉千代子 フレッシュアイペディアより)

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    島倉千代子から見た人生いろいろ

    1987年(49歳)、『人生いろいろ』を発表。「30回という区切りを大切にしたい」と“紅白辞退”の記者会見を行い、紅白連続出場記録は30回でストップ。出場辞退表明の記者会見で若手記者から「結局、落選するのが怖かったということですか」と辛辣な質問をされ、「その通りです」と返答した。『紅白50回』のインタビューで本人は「辞退は前年の時点で決めており、前回身に纏った白色の着物はその表れだった」「ここ数年紅白に出られるか出られないかで不安だった。もし落選したらショックで歌えなくなると思った。そのため、余力のあるうちに辞退しようと思った」と語った。島倉は出場辞退をこの年発売の『人生いろいろ』の作曲者で当時療養中の浜口庫之助に報告したところ、「紅白で『人生いろいろ』が聞けないのか」と返されたことを明かしている。ただし、合田道人は著書で、島倉は実質落選だが番組側の配慮で辞退という形になったと推測している。島倉千代子 フレッシュアイペディアより)

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    島倉千代子から見たちびまる子ちゃん

    2003年6月29日、フジテレビ『FNS27時間テレビ』内アニメ『ちびまる子ちゃん』(「歌は心・人生いろいろ」の巻)において、本人役で自身初の声優に挑戦。この回のストーリーはまる子の祖母・こたけからの「病に倒れた友人に一目会ってあげてほしい」という手紙を受け取り、変装をして清水にやってくるという設定だった。挿入歌として「からたち日記」(1番をアカペラ(無伴奏)で歌うシーンもある)、エンディングテーマには「人生いろいろ」が起用された。2011年、DVDとして発売されている。島倉千代子 フレッシュアイペディアより)

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    島倉千代子から見た愛のさざなみ

    1968年(30歳)、「泣き節」を売り物としていた彼女にとり異色の作品である『愛のさざなみ』が幅広い世代の間でヒット。この曲で第10回日本レコード大賞・特別賞を春日八郎と共に受賞。すれ違いの多い生活により別居を経て離婚。家族の元に戻るも反対を押し切って結婚したために門前払いされ、自分だけの戸籍を作る。島倉千代子 フレッシュアイペディアより)

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    島倉千代子から見た青物横丁駅

    2008年(70歳)、『人生いろいろ』が出身地である品川区の京浜急行電鉄青物横丁駅の電車接近メロディに採用される。このニュースを聞きつけた島倉自身が2009年1月、青物横丁駅を訪れて実際に流れる駅メロに耳を傾けた。そして京浜急行電鉄に宛てて後日、礼状を改めて送付したという。島倉千代子 フレッシュアイペディアより)

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    島倉千代子から見た疎開

    1945年(7歳)、長野松本市へ疎開。実は両親の実家がある群馬県桐生市にも半年疎開していた事もある。井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り、左手首からひじまでを負傷。母・ナカが「女の子だから(腕を)残して欲しい」と医師に懇願し、切断は免れたが47針を縫い、感覚も無く、動かすこともできなくなる(後に不自由ながらも動かすことができるようになる)。この時の輸血がのちに千代子が患ったC型肝炎の遠因となった。気持ちの沈んだ千代子のために母・ナカは『リンゴの唄』を聞かせるようになる。後に『この世の花』で歌手デビューを遂げた千代子だが、『この世の花』の作曲は『リンゴの唄』の作曲と同じく万城目正によるもの。島倉千代子 フレッシュアイペディアより)

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    島倉千代子から見た日本音楽高等学校

    島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年(昭和13年)3月30日 - 2013年(平成25年)11月8日)は、日本の演歌・歌謡曲歌手である。出身は東京都品川区北品川、学歴は日本音楽高等学校卒業。愛称は「」。島倉千代子 フレッシュアイペディアより)

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    島倉千代子から見た第30回日本レコード大賞

    1988年(50歳)、『人生いろいろ』が前1987年からこの年にかけて130万枚の大ヒットを記録。当時の人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」での山田邦子やコロッケによる物真似をきっかけに『人生いろいろ』が若者にも受け、再びブレークする。同年の第30回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。100万枚記念パーティーでは、山田とコロッケが本人の目の前で、島倉の物真似による『人生いろいろ』を歌唱。これに対し島倉は、「山田邦子さんとコロッケさんのおかげで、『人生いろいろ』が若い方にも親しまれるようになり、光栄です」と二人を賞賛する。同年末の第39回NHK紅白歌合戦に2年ぶり31回目の復帰出場となる。この復帰出場に対しては「一度降りたのに」と批判の声も上がった。出演を決めた背景には当時療養中だった浜口に「歌う姿を見て元気になって貰いたい」との思いがあったためである。借金返済の目処がたつ。姉の敏子が目黒川で投身自殺。島倉千代子 フレッシュアイペディアより)

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    島倉千代子から見たからたちの小径

    2014年のデビュー60周年に向け、復帰への意欲は衰えずに持ち、死去3日前の2013年11月5日に自宅で記念曲『からたちの小径』を録音した。レコーディングは当初、11月15日に行う予定だったが、島倉自身から「その日まで待てない」と関係者に連絡を入れて11月5日に急遽吹き込みが行われた。同曲の作曲を担当し、レコーディングにも立ち会った南こうせつは「(島倉の具合から)1回位しか歌えないかと思ったが、3回も歌われた。奇跡の歌声だった」と語った。翌6日には入院先の島倉本人が南へ電話をかけ、感謝の意を伝えたという。なお、同曲は四十九日にあたる12月18日にシングル発売された。同曲は遺作となったが、「来年発売の記念CDボックスに入れたい」と関係者は語っていた。島倉千代子 フレッシュアイペディアより)

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