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嶋重宣から見た栗原健太
2008年はレギュラーの座を剥奪され、3、4月は代打が中心となって二軍落ちも経験するなど苦しいスタートとなった。しかし内田コーチと二人三脚でフォーム改造に取り組み、5月25日に千葉ロッテマリーンズ戦で同点となる代打3点本塁打を、6月12日にもロッテ戦で代打逆転2点本塁打を放った。以降は調子を取り戻し先発出場も増え、オールスター明け後は完全にスタメンを手中にした。規定打席には届かなかったものの、4年ぶりに打率3割を記録した。打席数が少ないものの四球40は栗原健太の42に続くチーム2位で、出塁率.394は規定未満ながらもリーグ5位相当の数字である。一方で本塁打数は前年の半分の7本に落とし、2004年から継続していた連続2桁本塁打記録も4年で止まった。同年オフの10月9日に群馬県館林市内の病院で内視鏡による左ひじ関節の手術を受けた。(嶋重宣 フレッシュアイペディアより)
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嶋重宣から見たジェフ・フィオレンティーノ
2010年は、赤松真人、廣瀬純、天谷宗一郎、ジェフ・フィオレンティーノなど外野の定位置を競うライバルが多く、序盤は代打としての起用が主だった。しかし天谷やフィオレンティーノが打撃面で結果を残せなかったため、嶋も次第に先発出場の機会を増やしていった。不動の4番打者だった栗原が長期離脱した間は代役を務め、23試合に4番打者として出場した。規定打席には届かなかったものの、3年ぶりに二桁本塁打をマークするなど2009年より成績を上げた。シーズン中に国内移籍が可能なFA権を取得したが、10月に権利を行使せずに広島に残留することを表明した。(嶋重宣 フレッシュアイペディアより)
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嶋重宣から見た東京ヤクルトスワローズ
一軍では2試合に登板したが、勝利を挙げられなかった。1998年3月7日のオープン戦(対ヤクルト・福山市民球場)では、プレイボール直後の初球で飯田哲也に頭部危険球、わずか1球で退場になってしまうという珍記録を樹立してしまう。ちなみに、プロ初先発の試合では投手ながら2点タイムリーを放っている。(嶋重宣 フレッシュアイペディアより)