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川上憲伸から見た福浦和也
には、6月6日の対ロッテ戦に、9回を1安打2四球という内容で完封勝利。7回二死までは完全試合(福浦和也に四球)、9回無死までノーヒットノーランペース(代打のサブローに右前安打)と好投した。8月3日には、NPB史上120人目の一軍公式戦通算1000奪三振を記録。シーズン通算では17勝を挙げて、自身2度目の最多勝、自身初の最多奪三振のタイトルを獲得した。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは、10月21日の開幕戦に8回2失点と勝利。ナゴヤドームでは、先発としてシリーズ初の勝利投手になった。第5戦で敗戦投手になったため、チームはまたしても日本一を逃したが、川上自身は2度目の敢闘選手賞を受賞した。(川上憲伸 フレッシュアイペディアより)
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川上憲伸から見た亀井義行
には、広島東洋カープとの開幕戦(3月28日)に先発すると、打席でソロ本塁打を放った。この本塁打で、チームのレギュラーシーズン初本塁打・初打点を記録。前年までセ・リーグ4球団の投手から一軍公式戦で本塁打を放っていた川上にとっては、広島戦での初本塁打になった。しかし、次に先発した4月3日の対巨人戦では、高橋由伸・亀井義行・小笠原道大に3者連続ホームランを浴びて逆転負け。以降も調子が上がらなかったため、一時は中継ぎ要員に回った。故障以外では初めての中継ぎ転向だったが、この間に調子を取り戻すと、先発に復帰した6月にリーグの投手部門月間MVPを獲得。夏場に開かれた北京オリンピックでは、野球日本代表の一員として中継ぎに起用されたが、3位決定戦で敗戦投手になった。帰国後は、二軍での調整を経て一軍に復帰。最優秀防御率のタイトルを狙えるほど好調だったが、規定投球回に到達しなかった。シーズン終了後には、ダン・エバンスを代理人に起用するなど、メジャーリーグへの挑戦を模索。11月15日に海外FA権を行使することを発表した。同月19日に、海外フリーエージェント選手としてNPBから公示。(川上憲伸 フレッシュアイペディアより)
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川上憲伸から見た沢村栄治賞
は、開幕投手最有力だったがこの年監督に就任した落合博満は川崎憲次郎を起用した。チームのリーグ優勝に貢献するとともに、リーグ最優秀選手、沢村賞など合計9つのタイトルを獲得。5月15日の対横浜戦では、7回2死2塁で迎えた打席で2点本塁打を放って両チーム唯一の打点を挙げると、2対0のスコアで完封勝利を挙げた。西武ライオンズとの日本シリーズでは、初戦と第5戦に先発。初戦では、7回2失点と好投したが、敗戦投手になった。チームの2勝2敗で迎えた第5戦では、8回1失点という内容で勝利。しかし、チームは第6・7戦に連敗したため、日本一を逃した。(川上憲伸 フレッシュアイペディアより)