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  • ボーンフィッシュ (SS-223)

    ボーンフィッシュ (SS-223)から見た川崎汽船川崎汽船

    5月14日未明、ボーンフィッシュはのシブツ海峡で、駆逐艦2隻と3隻の特設運送船(給油)からなる船団を発見した。特設運送船(給油)は日栄丸(日東汽船、10,021トン)、あづさ丸(石原汽船、10,022トン)、建川丸(川崎汽船、10,090トン)で、駆逐艦は響と電であり、あ号作戦に備えてマニラからバリクパパンに燃料を取りに向かっていたものであった。ボーンフィッシュは船団後方から攻撃を仕掛け、4時11分に魚雷を5本発射。当初は6本発射する予定であったが、1本が発射管の故障で発射できなかったため5本の発射となった。目標はタンカーだったが、魚雷はタンカーとは別の目標、すなわち電の後部と中央部に命中。電は煙と炎に覆われ、船体をV字型に折って沈没した。響が反撃に出たが、ボーンフィッシュは深深度潜航で反撃から逃れた。ボーンフィッシュは電を撃沈したとは思わず、当時はタンカーを撃沈したと報告した 。電を撃沈したと分かったのは戦後のことであった。ボーンフィッシュ (SS-223) フレッシュアイペディアより)

  • ビラ・スタンモーア夜戦

    ビラ・スタンモーア夜戦から見た川崎汽船川崎汽船

    3月6日未明、特設水上機母艦神川丸(川崎汽船、6,853トン)の水上偵察機が第68任務部隊の捜索のためクラ湾方面を飛行中、クラ湾に直径300メートルほどの油紋2つを確認し、午前には零式水上観測機2機が同じ地域を飛行して、コロンバンガラ島南端の60度7海里の地点から北の方向に幅約1,000メートル、長さ10海里にも及ぶ油帯を発見した。ビラ・スタンモーア夜戦 フレッシュアイペディアより)

  • ハリバット (潜水艦)

    ハリバット (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    11月22日、ハリバットは3回目の哨戒で日本近海に向かった。12月9日未明、ハリバットはの八戸沖で南下する南航第67船団を発見。追跡の上、翌12月10日未明に輸送船宇洋丸(東洋汽船、6,376トン)に対して魚雷を3本発射し、1本が宇洋丸の一番船倉に命中したものの宇洋丸の損害はこれだけに終わった。続く二度目の攻撃では魚雷を2本発射し、8,000トン級輸送船に2本とも命中して撃破したと判断された。攻撃後は北海道沿岸部に移動し、12月12日深夜にはの地点で輸送船玉山丸(巴組汽船、1,970トン)を発見し、魚雷を3本発射して全て命中させて撃沈した。12月16日午後にもの尻屋崎沖で北航第67船団を攻撃して魚雷を3本発射し、輸送船神護丸(栗林商船、4,740トン)に魚雷が1本命中させて撃沈。同じごろにすれ違った南航第75船団に加入の輸送船玄山丸(宮地汽船、5,691トン)にも魚雷が1本命中し、玄山丸は白糠海岸に座礁して果てた。ハリバットは神護丸と玄山丸を別々に攻撃したわけではなかった。12月19日夜にはの地点で3,000トン級輸送船を発見し、魚雷を2本発射したが命中しなかった。12月22日朝にも、の地点で北航第73船団を発見し、輸送船雪川丸(川崎汽船、4,501トン)に命中して損傷を与えた。この哨戒での最後の攻撃は12月30日に行われ、の地点で3,000トン級輸送船に対して魚雷を3本発射したが、命中しなかった。1943年1月15日、ハリバットは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。ハリバット (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ハダック (潜水艦)

    ハダック (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    10月11日、ハダックは2回目の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。10月31日朝、ハダックはの馬羅島灯台近海で特設運送船唐山丸(東亜海運、2,103トン)に対し魚雷を3本発射するも、命中しなかった。11月1日に長崎港方面に向かうと思しき病院船を確認の後、11月3日未明にの地点で駆逐艦長月が護衛する第181船団を発見し、「大型タンカー」と目された輸送船鉄海丸(原田汽船、1,925トン)に対して魚雷を3本発射して1本命中させ、鉄海丸は4分程度で沈没した。 攻撃後、ハダックは巨文島の方向に移動する。11月6日午後にもの巨文島近海で陸軍輸送船仏蘭西丸(栃木商事、5,828トン)を発見し魚雷を3本発射したが命中せず、約2時間後には航空機に制圧された。11月8日午後にはの地点で輸送船豊国(とよくに)丸(日本製鐵、5,792トン)に対して魚雷を3本発射したが、推定15ノットの速力で航行する目標には命中しなかった。11月11日夕刻にはの地点で輸送船べにす丸(川崎汽船、6,571トン)をレーダーで探知し魚雷を4本発射し、船尾に魚雷を1本命中させて撃沈した。目標との遭遇はなおも続く。11月13日深夜にはの地点で7,000トン級輸送船とタンカーをレーダーで探知してそれぞれの目標に対して魚雷を3本ずつ発射し、「輸送船に1本命中させて撃沈し、タンカーにも1本命中させて撃破した」と判断される。11月16日夕刻にもの地点でタンカー日南丸(飯野海運、5,175トン)に対して最後に残った2本の魚雷を発射し、1本が命中と判断された。12月4日、ハダックは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。ハダック (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ハッド (潜水艦)

    ハッド (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    8月8日、ハッドは7回目の哨戒でヘイク (USS Hake, SS-256) 、ハーダー (USS Harder, SS-257) 、レイ (USS Ray, SS-271) とウルフパックを構成し、南シナ海およびルソン島近海に向かった。8月18日昼過ぎ、レイがパラワン島沖でミ12船団を発見し、陸軍タンカー南星丸(拿捕船、元イギリス船プレイドン/日東汽船委託、5,878トン)を撃沈した。レイは以後もミ12船団と接触を続けたが、ミ12船団は8月20日にミンドロ島パルアン湾に入泊。同じ日の夜にハーダーからミンドロ島カラビテ岬沖で会合するという連絡が入った。翌8月21日未明、ハッドはハーダーと会合し、レイとギターロ (USS Guitarro, SS-363) も呼び寄せてあることを教えられる。ミ12船団は朝に航行を再開してマニラに向かった。ウルフパックは、ミ12船団が湾外に出てくるところを見計らって船団を攻め立てた。ハッドは7時30分ごろにの地点で3隻の輸送船に対し魚雷を6本発射し、輸送船のるほうく丸(川崎汽船、6,576トン)の左舷機関室に1本が命中して、輸送船金龍丸(大光商船、4,392トン)にも魚雷が命中。のるほうく丸は急速に沈み、8時過ぎには金龍丸も沈没した。また、2TL型戦時標準タンカーの太栄丸(日東汽船、10,045総トン)にも魚雷1本が向かったものの、魚雷は太栄丸の中央部船底下を通過してルソン島の岩に命中して爆発した。護衛艦は100発以上もの爆雷を投下したものの、ウルフパックにはなんら損害はなかった。攻撃が終わると、ハッドはハーダーとともにマニラ湾に向かった。ハッド (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • グラニオン (潜水艦)

    グラニオン (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    グラニオンは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章している。また、殊勲の鹿野丸は特設運送船菊川丸(川崎汽船、3,833トン)に曳航されてキスカ島に到着。同島で修理中の同年9月15日に米陸軍航空隊の爆撃を受けて座礁、放棄された。グラニオン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ガーナード (潜水艦)

    ガーナード (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    4月16日、ガーナードは5回目の哨戒でセレベス海に向かった。5月6日14時ごろ、ガーナードはの地点で、第三十五師団と第三十二師団の将兵や軍需品をハルマヘラ島へ向けて輸送中の竹一船団を発見。ガーナードは船団を横腹を突く形から魚雷を6本発射し、3隻の陸軍輸送船、亜丁丸(大洋興業、5,823トン)に2本、但馬丸(日本郵船、6,995トン)に3本、天津山丸(三井船舶、6,886トン)に1本がそれぞれ命中し、亜丁丸と但馬丸はまもなく沈没し、天津山丸は依然浮いていたものの、ガーナードは翌5月7日未明に天津山丸に対して魚雷を1本発射し、命中させて止めとした。竹一船団はこの一連の攻撃で、兵員や装備品のそのほぼ半数を失った。日本側は約100発の爆雷を投下したが、ガーナードはこれを回避した。5月18日にはの地点で「大型巡洋艦」と2隻の駆逐艦を発見し、魚雷を6本発射して2本が命中したと判断された。「大型巡洋艦」はのちの戦果報告で「長門型戦艦」に「上方修正」されていた。5月24日午前、ガーナードはの地点で2隻の輸送船と2隻の駆潜艇を発見し、魚雷を2本発射するも命中しなかった。同じ日の午後、今度はのミンダナオ島東方25キロ地点で第一機動艦隊(小沢治三郎中将)に対する補給部隊を発見して魚雷を4本発射し、うち3本が特設運送船(給油)建川丸(川崎汽船、10,090トン)に命中してこれを撃沈した。護衛の駆逐艦浜風は爆雷攻撃を実施したが、ガーナードに損傷はなかった。5月31日朝、ガーナードの地点で、ダバオに向かいつつある「戦艦3隻」を発見し、追跡した。渾作戦の支援に向かう戦艦扶桑と重巡洋艦妙高、羽黒に対してガーナードは攻撃を試みたが、絶好のポジションにはどうしても近づけなかった。6月11日、ガーナードは56日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。ガーナード (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • スティールヘッド (潜水艦)

    スティールヘッド (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    9月12日、スティールヘッドは3回目の哨戒でギルバート諸島に向かった。9月19日から23日までは、タラワに爆撃を行った陸軍機の救助支援任務に当たった。9月24日に一旦ジョンストン島に引き返し燃料を補給した後、翌25日に改めてパラオ方面に向かった。10月6日未明、スティールヘッドはのトラック諸島北西方で特務艦風早を発見した。スティールヘッドは風早に対して魚雷を4本発射し、2本を命中させたと判断するが、風早が撃ち返してきたため息をひそめなければならなかった。スティールヘッドは近くにいたティノサ (USS Tinosa, SS-283) と交信して呼び寄せ、最終的にティノサが風早を撃沈したものの、撃沈のきっかけを作ったのはスティールヘッドであった。10月21日未明には、のウルシー環礁南東150海里地点で2隻の特設運送船、國川丸(川崎汽船、6,863トン)と五洲丸(五洋商船、8,592トン)、駆逐艦太刀風からなる輸送船団を発見。魚雷を3本発射し、うち2本が五洲丸の右舷に命中して火災を発生させた。11月3日未明、スティールヘッドはの地点で輸送船団を発見し、魚雷を6本発射したが、爆発は確認しなかった。護衛艦の反撃をやり過ごして浮上したが、午後に入って別の7隻の輸送船団を発見し、夕方になって魚雷を計7本発射したが、これも命中しなかった。追跡は11月4日に続き、午後にの地点で魚雷を4本発射するも、この攻撃も成功しなかった。11月25日、スティールヘッドは72日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。スティールヘッド (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • スキャンプ (潜水艦)

    スキャンプ (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    4月19日、スキャンプは2回目の哨戒でマーシャル諸島およびギルバート諸島方面に向かった。ジョンストン島で燃料を補給したあと、オーシャン島とナウル島を偵察。偵察後は進路をビスマルク諸島方面に転じた。道中では何度か艦船との接触があったが、そのうちの3隻、5月15日に発見したばいかる丸(大阪商船、5,266トン)と5月19日から20日に発見したあらびあ丸(大阪商船、9,480トン)、吉野丸(日本郵船、8,998トン)はいずれも病院船だったので攻撃は差し控えられた。5月28日午後、スキャンプはのムッソウ島の東方海域で特設水上機母艦神川丸(川崎汽船、6,853トン)を発見して魚雷を5本発射し、3本を命中させる。爆雷攻撃をかわすために一旦深深度でじっとした後、潜望鏡深度に戻して観測すると神川丸は依然浮いていたので、日付が変わった5月29日未明に魚雷をもう2本発射して1本を命中させ、ついに神川丸を撃沈した。神川丸撃沈での一連の魚雷発射は、この哨戒での唯一の戦闘だった。6月4日、スキャンプは46日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。スキャンプ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 汐風 (駆逐艦)

    汐風 (駆逐艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    1944年2月16日、汐風はタンカー黒潮丸(東和汽船、10,518トン)、陸軍特殊船玉津丸(大阪商船、9,845トン)、特設運送船(給油船)建川丸(川崎汽船、10,090トン)等輸送船7隻で編成されたヒ45船団を海防艦三宅と共に護衛して門司を出港。19日朝、味方航空機が船団上空を飛行して哨戒を行う。夕方、高雄へ向け北上中のヒ40船団が米潜ジャック(USS Jack, SS-259)の攻撃を受けたとの連絡が入る。汐風は船団から分離し、ヒ40船団の護衛に向かう。ヒ40船団を護衛中の20日、ヒ45船団は高雄に到着し、水雷艇隼を加えて21日に出港する。ヒ40船団では何事もなく、23日に汐風はヒ45船団に合流する。同日、玉津丸が隼と共に船団から分離し、マニラへと向かう。27日1700、船団はシンガポールに到着。汐風は三宅と共にジョホール海峡を通過してセレター軍港に入港した。一方、汐風が護衛から外れた後のヒ40船団は、24日に米潜グレイバックの攻撃を受けて壊滅する。汐風 (駆逐艦) フレッシュアイペディアより)

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