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  • 最上川 (タンカー)

    最上川 (タンカー)から見た川崎汽船川崎汽船

    最上川(もがみがわ)は、川崎汽船が所有・運航している原油タンカーで、2001年今治造船西条工場で建造された。今治造船では初のVLCCである。最上川 (タンカー) フレッシュアイペディアより)

  • 第一宇高丸

    第一宇高丸から見た川崎汽船川崎汽船

    1937年(昭和12年)8月12日、中の瀬浮標北西で川崎汽船の紐育航路貨物船の聖川丸と衝突し、第一宇高丸は沈没する。その後引き揚げられ復帰。第一宇高丸 フレッシュアイペディアより)

  • 竹 (駆逐艦)

    竹 (駆逐艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    8月30日からは南西方面艦隊(三川軍一中将・海兵38期)の指揮下に入り、マニラと各地との間で船団護衛に従事した。10月4日、「竹」はミリ行きのマミ11船団を護衛してマニラを出港したが、翌5日にミンドロ海峡でアメリカ潜水艦コッド (USS Cod, SS-224) の雷撃により「辰城丸」(辰馬汽船、6,886トン)を失った。10月14日にミリに到着してマニラに帰投後、10月20日深夜23時40分には高雄行きのマタ30船団の護衛でマニラを出港した。この船団は指揮艦である駆逐艦「春風」の名前を取って別名「春風船団」と呼称されていた。10月23日夕方、マタ30船団はルソン島ボヘヤドール岬北西沖で元特設水上機母艦「君川丸」(川崎汽船、6,863トン)がアメリカ潜水艦ソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) の雷撃で沈没したのを手始めに、船団加入船12隻のうち9隻が潜水艦の波状攻撃により沈没する惨敗を喫した。「竹」は残存船舶を誘導して損害を食い止め、「春風」はアメリカ潜水艦シャーク (USS Shark, SS-314) を撃沈して一矢報いた。「竹」水雷科の茂呂(水兵長)によれば、「春風」より輸送船曳航の命令があり、救助活動を打ち切って捜索したものの輸送船を発見できず、単艦で高雄へ向ったとしている。竹 (駆逐艦) フレッシュアイペディアより)

  • ニューポート・ニューズ (原子力潜水艦)

    ニューポート・ニューズ (原子力潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    2007年1月8日、アラビア海のホルムズ海峡南方で潜行中のニューポート・ニューズは、日本の川崎汽船が所有するタンカー「最上川」と接触事故を起こした。アメリカ海軍によれば、ニューポート・ニューズは船体の一部を損傷したものの、衝突による原子炉への影響はなく、放射能漏れは起きていない。一方、最上川は船底バラストタンクに計5カ所に穴が開き、スクリュー・プロペラ先端部にも欠損が見受けられた。原子力空母「ドワイト・D・アイゼンハワー」(USS Dwight D. Eisenhower, CVN-69)率いる第8空母打撃群の一部としてソマリア方面へ航行中だったとみられる。この事故により、第5艦隊司令部は艦長のマシュー・ワインガード中佐を解任した。ニューポート・ニューズ (原子力潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ベクーナ (潜水艦)

    ベクーナ (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    8月23日、ベクーナは最初の哨戒で南シナ海に向かった。10月8日未明、ベクーナはの地点でヒ76船団を発見し、元特設水上機母艦君川丸 (川崎汽船、6,863トン)に魚雷1本を命中させ、撃沈こそ出来なかったものの君川丸を船団から脱落させた。ベクーナ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • パイク (SS-173)

    パイク (SS-173)から見た川崎汽船川崎汽船

    7月22日、パイクは8回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。8月5日、パイクはの南鳥島近海で海軍徴傭船昌寿丸(川崎汽船、1,991トン)を撃沈した。翌8月6日には、の地点で空母大鷹と吹雪型駆逐艦を発見する。目標は20ノットから22ノットの速力でジグザグ航行しており、やがて爆雷攻撃が始まるが、大鷹に対して外装発射管に装填分も含めた魚雷6本を発射。大鷹撃破と判断されたものの、実際には魚雷は命中しなかった。8月22日にはの地点で6隻の輸送船団を発見し、翌23日にまたがる三度の攻撃の末、陸軍輸送船東運丸(岡田商船、1,965トン)を撃破した。9月9日、パイクは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。これがパイクの最後の哨戒となった。パイク (SS-173) フレッシュアイペディアより)

  • プランジャー (SS-179)

    プランジャー (SS-179)から見た川崎汽船川崎汽船

    4月23日、プランジャーは6回目の哨戒でマーシャル諸島およびマリアナ諸島方面に向かった。5月8日、プランジャーはトラック諸島から横浜に向かう第4508船団を発見する。船団中の特設給兵船辰武丸(辰馬汽船、7,068トン)が低質炭を搭載したがために速力が出ず、プランジャーは第4508船団を容易に追跡し攻撃することが出来た。翌9日未明2時11分頃、プランジャーは特設水上機母艦國川丸(川崎汽船、6,863トン)に対して魚雷を発射して2本命中させるも、いずれも不発であった。午後に入って國川丸に向けて魚雷を再度発射し、國川丸の船底に魚雷が1本命中したものの、またもや不発だった。第4508船団は偽航路など策を弄して北上を続けるが、次第に速力に優る國川丸および陸軍特殊船摩耶山丸(三井船舶、9,433トン)と、低速の辰武丸およびそれに付き添う特設運送船畿内丸(大阪商船、8,357トン)は離れてゆく。5月10日4時ごろ、プランジャーはのサイパン島東方海域で畿内丸に魚雷を命中させ、航行不能に陥らせる。約3時間半後、畿内丸の救助のため接近した辰武丸に対しても魚雷を3本発射し、1本が船体後部に命中して辰武丸は轟沈した。正午過ぎ、プランジャーは再度畿内丸に魚雷を命中させ、畿内丸の船橋前部には亀裂が走って沈没の危機が増した。やがて火災が発生した畿内丸は放棄され、プランジャーは翌11日朝に浮上し、未だ浮いていた畿内丸に3インチ砲と20ミリ機銃を撃ち込んで止めを刺した。畿内丸の沈没を確認したプランジャーは、第4508船団への複数回の攻撃で魚雷を使い切ったため、哨戒を終了してミッドウェー島に針路を向けた。5月22日、プランジャーは29日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。プランジャー (SS-179) フレッシュアイペディアより)

  • スナッパー (潜水艦)

    スナッパー (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    9月5日、スナッパーは11回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。10月1日、スナッパーはの地点で護衛艦によって護衛された2隻の輸送船団を発見した。スナッパーは大型の目標に対して前部発射管の魚雷を発射し、小型の目標に向けても魚雷を発射した。魚雷は海軍徴傭船盛安丸(川崎汽船、1,900トン)と敷設艇網代に命中し、両方とも撃沈した。その後は硫黄島沖で救助艦任務を10月18日まで行った。10月27日、スナッパーは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。これがスナッパーの最後の哨戒となった。スナッパー (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 佐藤勝巳

    佐藤勝巳から見た川崎汽船川崎汽船

    新潟県出身。元日本共産党員。旧制中学を卒業後、新潟県立巻高等学校を中退し、川崎汽船に勤務するが、1950年、労働組合専従だったためにレッドパージを受け失職。在日朝鮮人の帰還事業に参加し、北朝鮮から2度(1962年11月10日、1964年9月23日)にわたり勲章(「朝鮮民主主義人民共和国赤十字栄誉徽章」)を授与される。在日韓国・朝鮮人差別反対運動にも大きくかかわった。佐藤勝巳 フレッシュアイペディアより)

  • グランパス (SS-207)

    グランパス (SS-207)から見た川崎汽船川崎汽船

    2月8日、グランパスは最初の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。2月17日にウォッジェ環礁を、2月18日にクェゼリン環礁をそれぞれ偵察。クェゼリン環礁に敷設艦常磐や大型商船、大型潜水艦が在泊していることを確認した。2月27日深夜にはの地点で、ウォレアイ環礁からクェゼリン環礁に向かっていた海軍徴傭船龍田丸(日本郵船、16,975トン)を発見し、水上攻撃にて魚雷を3本発射しようとしたが、方位盤のミスにより魚雷が発射できず攻撃に失敗した。3月1日夕刻には建川丸(川崎汽船、10,091トン)級タンカーに対して魚雷を3本発射するも命中せず、3月2日にも警備艇に対して魚雷を1本発射したが、これも命中しなかった。3月3日には商船に対して魚雷を4本発射したが、3日連続でまたもや命中しなかった。3月5日、グランパスはの地点で特設運送船(給油)第二号海城丸(日東汽船、8,636トン)を撃沈した。3月23日にクェゼリン環礁を、3月27日にウォッジェ環礁を再び偵察した。4月4日、グランパスは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。グランパス (SS-207) フレッシュアイペディアより)

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