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  • 熊野丸

    熊野丸から見た川崎汽船川崎汽船

    このM丙型1番船として計画されたのが「熊野丸」である。1944年(昭和19年)3月から着工のM甲型に続いて、日立因島造船所で建造されることになった。名目上の船主は川崎汽船である。空母類似の全通飛行甲板による航空機運用能力を持つ特種船としては、戦前計画の「あきつ丸」に続き2隻目となる。ただし、この時点での航空機運用は上陸戦時の支援戦闘が目的で、飛行甲板は発進専用、使用後は陸上飛行場に着陸させる計画だった。熊野丸 フレッシュアイペディアより)

  • 韓進海運

    韓進海運から見た川崎汽船川崎汽船

    韓進海運は、海運と北アメリカの大陸横断鉄道を使って一貫輸送を行うハンジン・ロジスティクス(Hanjin Logistics)、ばら積み貨物船などを扱う Keoyang Shipping、1997年にグループ傘下に収めたドイツの海運会社セネター・ラインズ(Senator Lines、世界金融危機により2009年2月に営業を終えた)、および物流情報システム会社 CyberLogitec などを子会社とする。グループ全体でコンテナ船、ばら積み貨物船、タンカーなど200近いの貨物船を所有し、コンテナ船事業では、日本の川崎汽船、台湾の陽明海運、中国の中国遠洋運輸集団(COSCO)と提携関係(CKYHグループ)を結んでいる。セネター・ラインズが営業していた時期、韓進海運とセネター・ラインズのコンテナ船部門を統合したハンジン・セネターは、世界のコンテナ輸送でも十本の指に入る規模を持っていた。韓進海運 フレッシュアイペディアより)

  • ヒ88J船団

    ヒ88J船団から見た川崎汽船川崎汽船

    3月28日午前8時、輸送船3隻・護衛艦9隻の編制に変わったヒ88J船団は、ニャチャンを出港した。しかし、出発から2時間半ほどで空襲が始まり、2AT型戦時標準タンカー「阿蘇川丸」(川崎汽船:6925総トン)が撃沈された。日本軍の戦闘機1機が護衛に飛来したが、逆にP-38戦闘機によって撃墜された。ヒ88J船団 フレッシュアイペディアより)

  • デラ台風

    デラ台風から見た川崎汽船川崎汽船

    川崎汽船の旅客船青葉丸(599トン)は警報を受けながらも協議の上6月20日21時に高浜港を出航、21日2時半頃大分県姫島付近で転覆、乗員44名と乗客97名が死亡または行方不明。救助されたのはわずかに数名であった。デラ台風 フレッシュアイペディアより)

  • 鞍埼 (給糧艦)

    鞍埼 (給糧艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    特務艦の不足により日本海軍が購入し、1944年(昭和19年)5月10日付で艦籍編入の上、艦名を「鞍埼」と命名した。同日舞鶴鎮守府籍とし、在役特務艦となった上で連合艦隊付属となり補給部隊に編入された。間もなく7月14日付で南西方面艦隊付属に転じ、舞鶴海軍工廠で8月31日まで改装工事を行った。改装終了後、9月3日に出撃し高雄に向かう。高雄到着後、9月26日にタマ27船団の護衛で高雄を出港し、10月4日にマニラに到着する。10月20日深夜23時40分、米と肉類を搭載し、高雄行きのマタ30船団に加わってマニラを出港した。この船団は指揮艦である駆逐艦「春風」の名前を取って別名「春風船団」とも呼称されていた。しかし、マタ30船団は10月23日夕方にルソン島ボヘヤドール岬北西沖で特設運送船「君川丸」(川崎汽船、6,863トン)がアメリカ潜水艦「ソーフィッシュ」 (USS Sawfish, SS-276) の雷撃で沈没したのを手始めに、翌10月24日夕刻までに船団加入船12隻のうち9隻がアメリカ潜水艦のウルフパックの波状攻撃により沈没する惨敗を喫した。その10月24日、沈没した陸軍船「第一眞盛丸」(原商事、5,878トン)の乗員の救助作業に当たっていた貨客船「営口丸」(日本郵船、1,847トン)は、作業中にアメリカ潜水艦「シードラゴン」 (USS Seadragon, SS-194) の雷撃を受けて沈没し、「営口丸」乗員と救助したばかりの「第一眞盛丸」乗員は救命ボートで脱出。これを受けて16時30分頃に「営口丸」乗員と「第一眞盛丸」乗員を駆逐艦「竹」とともに収容し、救助作業を終えた後は高雄に向かった。救助者のうち、「第一眞盛丸」乗員は57名を数えた。鞍埼 (給糧艦) フレッシュアイペディアより)

  • グラニオン (潜水艦)

    グラニオン (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    グラニオンは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章している。また、殊勲の鹿野丸は特設運送船菊川丸(川崎汽船、3,833トン)に曳航されてキスカ島に到着。同島で修理中の同年9月15日に米陸軍航空隊の爆撃を受けて座礁、放棄された。グラニオン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ドラム (潜水艦)

    ドラム (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    4月17日、ドラムは最初の哨戒で日本近海に向かった。5月1日23時20分、ドラムは御前崎沖の遠州灘で中型艦船に対して魚雷を2本発射し、1本が命中。続いて駆逐艦と思しき艦艇に対しても魚雷を1本発射したが命中せず、間を置いて魚雷を3本発射したが、これも命中しなかった。この「中型艦船」は水上機母艦瑞穂であり、瑞穂は翌2日4時16分に沈没した。瑞穂の沈没は、第二次世界大戦における日本海軍軍艦の喪失第一号であった。続く5月9日には、の潮岬近海で輸送船西寧丸(大連汽船、4,916トン)に対して魚雷を4本発射し、実際には1本も命中しなかったものの、ドラムは撃沈を報じた。5月13日には、の神子元島70度12海里の地点で、石炭を搭載して秦皇島から川崎に向かっていた輸送船昭南丸(拿捕船/川崎汽船委託、5,356トン)を撃沈。5月25日にも野島崎沖で室蘭に向かっていた輸送船喜多方丸(栗林商船、2,380トン)を撃沈した。5月28日にもの犬吠埼沖で特設巡洋艦粟田丸(日本郵船、7,397トン)に対して魚雷を5本発射したが、全て回避された。帰途にはミッドウェー海戦に参加し、ミッドウェー島のはるか西方で哨戒を行った。6月12日、ドラムは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。ドラム (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ハダック (潜水艦)

    ハダック (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    10月11日、ハダックは2回目の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。10月31日朝、ハダックはの馬羅島灯台近海で特設運送船唐山丸(東亜海運、2,103トン)に対し魚雷を3本発射するも、命中しなかった。11月1日に長崎港方面に向かうと思しき病院船を確認の後、11月3日未明にの地点で駆逐艦長月が護衛する第181船団を発見し、「大型タンカー」と目された輸送船鉄海丸(原田汽船、1,925トン)に対して魚雷を3本発射して1本命中させ、鉄海丸は4分程度で沈没した。 攻撃後、ハダックは巨文島の方向に移動する。11月6日午後にもの巨文島近海で陸軍輸送船仏蘭西丸(栃木商事、5,828トン)を発見し魚雷を3本発射したが命中せず、約2時間後には航空機に制圧された。11月8日午後にはの地点で輸送船豊国(とよくに)丸(日本製鐵、5,792トン)に対して魚雷を3本発射したが、推定15ノットの速力で航行する目標には命中しなかった。11月11日夕刻にはの地点で輸送船べにす丸(川崎汽船、6,571トン)をレーダーで探知し魚雷を4本発射し、船尾に魚雷を1本命中させて撃沈した。目標との遭遇はなおも続く。11月13日深夜にはの地点で7,000トン級輸送船とタンカーをレーダーで探知してそれぞれの目標に対して魚雷を3本ずつ発射し、「輸送船に1本命中させて撃沈し、タンカーにも1本命中させて撃破した」と判断される。11月16日夕刻にもの地点でタンカー日南丸(飯野海運、5,175トン)に対して最後に残った2本の魚雷を発射し、1本が命中と判断された。12月4日、ハダックは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。ハダック (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • アングラー (潜水艦)

    アングラー (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    6月23日、アングラーは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。翌6月24日、で給油を行うべく操縦していたところ、海図にない暗礁に接触したため、アングラーは一度フリーマントルに引き返す羽目となった。損傷した右舷側のスクリューを交換した上6月29日に再出撃した。哨戒海域ではフラッシャー、クレヴァルとともにウルフパックを構成し、南シナ海の中央あたりからルソン島西岸海域を所定の哨戒海域とした。7月25日午後、アングラーらのウルフパックは北上してきたヒ68船団を発見し、数日間執拗に攻め立てた。午後の攻撃ではクレヴァルが2隻の陸軍輸送船、安芸丸(日本郵船、11,409トン)と東山丸(大阪商船、8,666トン)に対して魚雷を発射したが、両船とも回避した。ヒ68船団は全速力で北上を続けたが、翌7月26日3時14分頃、フラッシャーからの魚雷が安芸丸、東山丸および2TMタンカー大鳥山丸(三井船舶、5,280トン)に命中して大鳥山丸沈没、安芸丸および東山丸航行不能の被害を受ける。アングラーの攻撃の番となり、20ミリ機銃に人員を配して浮上攻撃を敢行する。5時ごろ、アングラーはの地点で特設運送艦聖川丸(川崎汽船、6,862トン)に対して艦首発射管から魚雷を6本、艦尾発射管から魚雷を4本発射。魚雷は聖川丸の一番船倉に命中して船首部が浸水する。聖川丸は一時は最大速力が7ノットしか出なかったが、やがて11ノットまで回復して海防艦平戸の護衛により高雄に入港した。ウルフパック全体では、6隻36,000トンの損害を与えた。8月23日、アングラーは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。アングラー (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • フラッシャー (潜水艦)

    フラッシャー (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    6月19日、フラッシャーは3回目の哨戒でアングラー、クレヴァルとともにウルフパックを構成し南シナ海に向かった。ところが、6月22日に燃料補給のために立ち寄った際に乗組員の一人が急病になり、退艦の上でOS2U キングフィッシャーに乗せられ、医療施設に搬送されていった。6月28日深夜、フラッシャーはのシンガポール海峡南東130キロの地点で、海防艦などを伴ったミシ03船団を発見した。フラッシャーは護衛艦に察知されないよう慎重に近づき、日付が6月29日に変わってから攻撃を開始。まず先頭と二番目の輸送船に対して魚雷を3本発射し、転舵してから三番目の目標に対して艦尾発射管から魚雷を4本発射。魚雷は2本が輸送船日邦丸(元スウェーデン船ニンボー、日本郵船、6,079トン)に命中し、日邦丸は船首から沈没。水上機母艦能登呂にも1本以上が命中して大破した。7月1日にアングラー、クレヴァルと会合して新たな哨区を確認したあと、ヴァレラ岬近海の哨区に到着する。7月7日夜、フラッシャーはレーダーで目標を探知して追跡し、日付が7月8日に変わる前後にの地点で魚雷を4本発射。魚雷は1本が特設運送船第二号興東丸(朝鮮郵船、3,557トン)に命中して撃沈。しばらくしてから激しい爆雷攻撃があったものの、難なく切り抜けた。7月13日朝には輸送船団を発見して接近を試みるが、船団中の輸送船六甲丸(東亜海運、3,038トン)に通報され制圧される。7月18日から19日にかけて荒天に見舞われるが、その最中の7月19日午前、フラッシャーはの地点で目視により「球磨型軽巡洋艦」を発見する。駆逐艦敷波を従えマニラからシンガポールに向かっていた軽巡洋艦大井はこの日の早朝、フラッシャーと思われる潜水艦を探知し回避運動を行っていたが、燃料を考慮して18ノットの速力でシンガポールに急行していた。フラッシャーは最初大井の前方に位置していたが、大井が依然ジグザグ運動をするので大井の前方を横切って、艦尾発射管から攻撃する態勢をとった。12時14分、フラッシャーは大井に対して魚雷を4本発射。3本は大井をかすめたものの、残る魚雷1本が左舷機関室付近に命中したため、大井は後部機械室の火災と前部機械室の蒸気漏れにより航行を停止した。敷波が爆雷攻撃を行っている間に、フラッシャーは14時30分に2回目の魚雷発射を実施。大井の左舷側から魚雷を4本発射したが、3本は偏斜して大井の艦首をかすめさり、残り1本は行方不明となった。フラッシャーは一度現場を去って浮上し、アングラーとクレヴァルにこちらに向かうよう打電した後、3回目の魚雷攻撃を実施すべく深度45メートルに潜って作業を行いながら大井に三度接近していったが、この間に大井は損傷部から艦体を切断し、その部分から急速に沈没していった。フラッシャーが大井の姿を見ることはもはやなく、救助作業を行っている敷波の姿しか見なかった。7月25日朝、フラッシャーは輸送船団、シンガポールから日本に向かっていたヒ68船団からのものと思しき煙を発見し、アングラーとクレヴァルにその旨を通報して迎撃態勢に移る。午後、クレヴァルが2隻の陸軍輸送船、安芸丸(日本郵船、11,409トン)と東山丸(大阪商船、8,666トン)に対して魚雷を発射したが、両船とも回避した。ヒ68船団は全速力で北上を続けたが、行く手にはアングラーから通報を受けたフラッシャーが立ちふさがり、の地点で一番目と三番目の輸送船に魚雷を3本ずつ発射したあと、転舵して離脱。魚雷は安芸丸、東山丸に1本ずつ、2TMタンカー大鳥山丸(三井船舶、5,280トン)に2本が命中し、大鳥山丸は燃料に引火の末に大爆発を起こして沈没、安芸丸および東山丸は航行不能の被害を受ける。このあと、アングラーが特設運送艦聖川丸(川崎汽船、6,862トン)に魚雷を1本命中させて聖川丸は高雄に回航され、クレヴァルは早朝と午前の二度の攻撃で安芸丸と東山丸に再び魚雷を命中させ、安芸丸は間もなく沈没し、東山丸は7月27日早朝に弾薬に引火し、丸一日を経た7月27日午前に爆沈した。魚雷を全て使い果たしたフラッシャーはクレヴァルからの戦果報告を受信したのち、ミンドロ海峡から南下していった。8月7日、フラッシャーは49日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。フラッシャー (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

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