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  • プランジャー (SS-179)

    プランジャー (SS-179)から見た川崎汽船川崎汽船

    4月23日、プランジャーは6回目の哨戒でマーシャル諸島およびマリアナ諸島方面に向かった。5月8日、プランジャーはトラック諸島から横浜に向かう第4508船団を発見する。船団中の特設給兵船辰武丸(辰馬汽船、7,068トン)が低質炭を搭載したがために速力が出ず、プランジャーは第4508船団を容易に追跡し攻撃することが出来た。翌9日未明2時11分頃、プランジャーは特設水上機母艦國川丸(川崎汽船、6,863トン)に対して魚雷を発射して2本命中させるも、いずれも不発であった。午後に入って國川丸に向けて魚雷を再度発射し、國川丸の船底に魚雷が1本命中したものの、またもや不発だった。第4508船団は偽航路など策を弄して北上を続けるが、次第に速力に優る國川丸および陸軍特殊船摩耶山丸(三井船舶、9,433トン)と、低速の辰武丸およびそれに付き添う特設運送船畿内丸(大阪商船、8,357トン)は離れてゆく。5月10日4時ごろ、プランジャーはのサイパン島東方海域で畿内丸に魚雷を命中させ、航行不能に陥らせる。約3時間半後、畿内丸の救助のため接近した辰武丸に対しても魚雷を3本発射し、1本が船体後部に命中して辰武丸は轟沈した。正午過ぎ、プランジャーは再度畿内丸に魚雷を命中させ、畿内丸の船橋前部には亀裂が走って沈没の危機が増した。やがて火災が発生した畿内丸は放棄され、プランジャーは翌11日朝に浮上し、未だ浮いていた畿内丸に3インチ砲と20ミリ機銃を撃ち込んで止めを刺した。畿内丸の沈没を確認したプランジャーは、第4508船団への複数回の攻撃で魚雷を使い切ったため、哨戒を終了してミッドウェー島に針路を向けた。5月22日、プランジャーは29日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。プランジャー (SS-179) フレッシュアイペディアより)

  • カベゾン (潜水艦)

    カベゾン (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    5月25日、カベゾンは最初の哨戒でデイス (USS Dace, SS-247) 、アポゴン (USS Apogon, SS-308) およびマンタ (USS Manta, SS-299) とウルフパックを構成し、千島列島およびオホーツク海方面に向かった。6月18日、カベゾンはの地点で幌筵島から出てきたばかりの輸送船団を発見。アポゴンが博愛丸(日本海洋漁業、2,614トン)を撃沈し、カベゾンは蔵王山丸(川崎汽船、2,631トン)を撃沈した。カベゾンがこの哨戒で敵を見たのはこの時だけだった。7月10日、カベゾンは46日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。カベゾンはその後、修理を経て次期哨戒のためにサイパン島に回航されたが終戦となり、水上艦部隊の訓練標的艦任務に就いた。カベゾン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 樫 (松型駆逐艦)

    樫 (松型駆逐艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    陸軍特殊船4隻とタンカー5隻、元特設水上機母艦「聖川丸」(川崎汽船、6,862トン)で構成され、空母「神鷹」などが護衛についたヒ81船団の出港は11月14日に延期され、同日朝に伊万里湾を出発する。しかし、スパイに関する噂が船団中に広まるなど前途は多難であった。潜水艦出没情報により宇久島沖で待機の後、翌15日朝に上海沖に向かった。ところが、同日正午に陸軍特殊船「あきつ丸」(日本海運、9,186トン)がアメリカ潜水艦クイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393) の雷撃により沈没。珍島沖で待機の後再び航行を開始するが、11月17日には黄海にてアメリカ潜水艦スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) の雷撃で「神鷹」を、ピクーダ (USS Picuda, SS-382) の雷撃で陸軍特殊船「摩耶山丸」(三井船舶、9,433トン)が沈没する。以後は被害なくタンカーと同行し、馬公を経由して12月4日に昭南に到着した。樫 (松型駆逐艦) フレッシュアイペディアより)

  • アポゴン (潜水艦)

    アポゴン (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    5月28日、オーバーホールを終えたアポゴンは7回目の哨戒でカベゾン (USS Cabezon, SS-334) とウルフパックを構成し千島列島方面に向かった。6月18日、アポゴンとカベゾンの2隻はの幌筵島南西端沖で幌筵島から出てきたばかりの輸送船団を発見し、アポゴンはそのうちの1隻に対して2本の魚雷を発射し、うち1本が目標船の中央部に命中、目標は船尾から沈んでいった。これが、かつては日清戦争、日露戦争時の病院船で、のちに小林多喜二の『蟹工船』のモデルとなった博愛丸(日本海洋漁業、2,614トン)の最期であった。カベゾンももう1隻の輸送船である蔵王山丸(川崎汽船、2,631トン)を撃沈し、この船団は護衛艦を残して全滅した。7月2日には、の地点で第58号駆潜特務艇、第65号駆潜特務艇と交戦して損傷を与えた。7月14日、アポゴンは48日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。アポゴン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ネプチューン・オリエント・ラインズ

    ネプチューン・オリエント・ラインズから見た川崎汽船川崎汽船

    1970年代にコンテナリゼーションの時代が始まった。1970年代中頃に業務執行取締役(managing director)ゴー・チョク・トン(後のシンガポール首相)の指揮のもとネプチューン・オリエント・ラインズも新しい時代の船、コンテナ船への投資を行いようやく黒字に転換した。その後、OOCL、K Line、COSCOとACEコンソーシアムを形成し、重要な海運業者として存在を示した。ネプチューン・オリエント・ラインズ フレッシュアイペディアより)

  • ケイラインロジスティックス

    ケイラインロジスティックスから見た川崎汽船川崎汽船

    ケイラインロジスティックス(KLL)は、川崎汽船グループの物流中核企業である。元々は飯野海運の子会社「飯野航空サービス」として発足、後に川崎汽船グループとなって1969年に「川崎航空サービス」("K" LINE AIR SERVICE  略称:KLAS)に改称した。このため、飯野ビル建替え前までは飯野海運の本社と同じ場所が登記上の本店所在地であった。その後航空貨物の取扱を主力業務に成長し、2006年7月には同じ川崎汽船グループの海上貨物フォワーダー・株式会社ケイロジスティックス(川崎汽船系の港湾運送業者ダイトーコーポレーションおよび日東物流の海上貨物フォワーダー部門を分離・統合して設立された会社)を吸収合併して現社名に変更、海上貨物・総合物流の強化拡大を図っている。ケイラインロジスティックス フレッシュアイペディアより)

  • 鞍埼 (給糧艦)

    鞍埼 (給糧艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    特務艦の不足により日本海軍が購入し、1944年(昭和19年)5月10日付で艦籍編入の上、艦名を「鞍埼」と命名した。同日舞鶴鎮守府籍とし、在役特務艦となった上で連合艦隊付属となり補給部隊に編入された。間もなく7月14日付で南西方面艦隊付属に転じ、舞鶴海軍工廠で8月31日まで改装工事を行った。改装終了後、9月3日に出撃し高雄に向かう。高雄到着後、9月26日にタマ27船団の護衛で高雄を出港し、10月4日にマニラに到着する。10月20日深夜23時40分、米と肉類を搭載し、高雄行きのマタ30船団に加わってマニラを出港した。この船団は指揮艦である駆逐艦「春風」の名前を取って別名「春風船団」とも呼称されていた。しかし、マタ30船団は10月23日夕方にルソン島ボヘヤドール岬北西沖で特設運送船「君川丸」(川崎汽船、6,863トン)がアメリカ潜水艦「ソーフィッシュ」 (USS Sawfish, SS-276) の雷撃で沈没したのを手始めに、翌10月24日夕刻までに船団加入船12隻のうち9隻がアメリカ潜水艦のウルフパックの波状攻撃により沈没する惨敗を喫した。その10月24日、沈没した陸軍船「第一眞盛丸」(原商事、5,878トン)の乗員の救助作業に当たっていた貨客船「営口丸」(日本郵船、1,847トン)は、作業中にアメリカ潜水艦「シードラゴン」 (USS Seadragon, SS-194) の雷撃を受けて沈没し、「営口丸」乗員と救助したばかりの「第一眞盛丸」乗員は救命ボートで脱出。これを受けて16時30分頃に「営口丸」乗員と「第一眞盛丸」乗員を駆逐艦「竹」とともに収容し、救助作業を終えた後は高雄に向かった。救助者のうち、「第一眞盛丸」乗員は57名を数えた。鞍埼 (給糧艦) フレッシュアイペディアより)

  • 針尾 (給油艦)

    針尾 (給油艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    1944年(昭和19年)9月1日、「針尾」と命名される。竣工後、呉鎮守府籍となり連合艦隊附属となる。1945年(昭和20年)1月20日、南方からの重要物資を還送する南号作戦が発令され、発令時点で南方にいた輸送船やタンカーのほか、日本本土にいた輸送船やタンカーも南方に送り込まれる事となった。1月24日、南号作戦参加のために南方へ向かう第一陣船団であるヒ89船団に、中型タンカー「日南丸」(飯野海運、5,175トン)、2TL型タンカー「第二建川丸」(川崎汽船、10,045トン)とともに加入。第8号海防艦、第32号海防艦、第52号海防艦の護衛にて門司を出港する。朝鮮半島、中国大陸沿岸の島々を縫うように南下し、楡林、キノン湾、サンジャックを経て昭南へ向かう。しかし、2月7日夜に機関故障を起こして後落し、第8号海防艦の護衛を受けて2月9日に昭南に到着した。針尾 (給油艦) フレッシュアイペディアより)

  • スナッパー (潜水艦)

    スナッパー (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    9月5日、スナッパーは11回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。10月1日、スナッパーはの地点で護衛艦によって護衛された2隻の輸送船団を発見した。スナッパーは大型の目標に対して前部発射管の魚雷を発射し、小型の目標に向けても魚雷を発射した。魚雷は海軍徴傭船盛安丸(川崎汽船、1,900トン)と敷設艇網代に命中し、両方とも撃沈した。その後は硫黄島沖で救助艦任務を10月18日まで行った。10月27日、スナッパーは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。これがスナッパーの最後の哨戒となった。スナッパー (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • レッドフィン (潜水艦)

    レッドフィン (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    3月19日、レッドフィンは2回目の哨戒でセレベス海方面に向かった。4月8日、レッドフィンは「那智型巡洋艦」、「名取型軽巡洋艦」および「吹雪型駆逐艦」からなる小艦隊を発見するが、目標までおよそ7キロも離れていたので攻撃はできなかった。3日後の4月11日午後には、のミンダナオ島サンボアンガ灯台東方27海里地点で、ダバオに向かう特設運送艦聖川丸(川崎汽船、6,882トン)を出迎えるために、同じくダバオに向かっていた駆逐艦秋雲を発見。18時17分、秋雲に対し魚雷を4本発射し、2本が命中した秋雲は左に45度倒れ、40度の角度をつけながら沈没していった。翌4月12日、レッドフィンはの地点で「球磨型軽巡洋艦」と駆逐艦を遠方に発見し、徐々に差を詰めていった末に魚雷を4本発射したが、当たらなかった。4月15日午後には、のミンダナオ島南西端でハルマヘラ島からマニラに向かっていたM17船団を発見し、激しい雨に遭いながらも接近して魚雷を6本発射。うち1本が陸軍輸送船神祐丸(栗林商船、4,621トン)に命中したが、沈没は免れた。レッドフィンはM17船団を追跡し続け、翌4月16日未明にの地点で再度魚雷を6本発射する。魚雷は陸軍輸送船山形丸(日本郵船、3,807トン)に1本命中し、山形丸はの地点で沈没した。4月22日から23日にかけては、ボルネオ島デントヘヴン付近にイギリスの諜報員を上陸させたが、日本軍の射撃を受けて数名の諜報員はすぐさまレッドフィンに引き返してきた。しかし、残りは6月9日にハーダー (USS Harder, SS-257) が迎えに来るまで取り残されたままとなった。5月1日、レッドフィンは41日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。レッドフィン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

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