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  • ガーナード (潜水艦)

    ガーナード (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    4月16日、ガーナードは5回目の哨戒でセレベス海に向かった。5月6日14時ごろ、ガーナードはの地点で、第三十五師団と第三十二師団の将兵や軍需品をハルマヘラ島へ向けて輸送中の竹一船団を発見。ガーナードは船団を横腹を突く形から魚雷を6本発射し、3隻の陸軍輸送船、亜丁丸(大洋興業、5,823トン)に2本、但馬丸(日本郵船、6,995トン)に3本、天津山丸(三井船舶、6,886トン)に1本がそれぞれ命中し、亜丁丸と但馬丸はまもなく沈没し、天津山丸は依然浮いていたものの、ガーナードは翌5月7日未明に天津山丸に対して魚雷を1本発射し、命中させて止めとした。竹一船団はこの一連の攻撃で、兵員や装備品のそのほぼ半数を失った。日本側は約100発の爆雷を投下したが、ガーナードはこれを回避した。5月18日にはの地点で「大型巡洋艦」と2隻の駆逐艦を発見し、魚雷を6本発射して2本が命中したと判断された。「大型巡洋艦」はのちの戦果報告で「長門型戦艦」に「上方修正」されていた。5月24日午前、ガーナードはの地点で2隻の輸送船と2隻の駆潜艇を発見し、魚雷を2本発射するも命中しなかった。同じ日の午後、今度はのミンダナオ島東方25キロ地点で第一機動艦隊(小沢治三郎中将)に対する補給部隊を発見して魚雷を4本発射し、うち3本が特設運送船(給油)建川丸(川崎汽船、10,090トン)に命中してこれを撃沈した。護衛の駆逐艦浜風は爆雷攻撃を実施したが、ガーナードに損傷はなかった。5月31日朝、ガーナードの地点で、ダバオに向かいつつある「戦艦3隻」を発見し、追跡した。渾作戦の支援に向かう戦艦扶桑と重巡洋艦妙高、羽黒に対してガーナードは攻撃を試みたが、絶好のポジションにはどうしても近づけなかった。6月11日、ガーナードは56日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。ガーナード (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ハーダー (SS-257)

    ハーダー (SS-257)から見た川崎汽船川崎汽船

    6月6日夜、ハーダーはのタウィタウィとボルネオ島に挟まれセレベス海とスールー海を結ぶで、特設運送船(給油)興川丸(川崎汽船、10,043トン)を護衛する駆逐艦若月および水無月をレーダーで探知する。ハーダーは浮上したまま15ノットで航行中の船団を追跡したが、月明かりによってハーダーの存在が相手に知れてしまった。水無月がハーダーを撃沈すべく艦首を向けてきたため、ハーダーは潜航して水無月に艦首を向け、水無月が1,000メートルにまで接近してきた時に魚雷3本を発射し、うち2本が水無月の艦首と艦橋直下に命中して水無月は5分以内に沈んでいった。ハーダーは第二撃として若月に対し魚雷を6本発射したが命中しなかった。ハーダー (SS-257) フレッシュアイペディアより)

  • シルバーサイズ (潜水艦)

    シルバーサイズ (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    5月13日、シルバーサイズはの地点で潜水艦を発見して魚雷を1本だけ発射したが、命中音は聞こえなかった。5月17日午後には、の潮岬沖で中型輸送船と大型輸送船各1隻を発見する。この時、シルバーサイズは潜望鏡に竹竿をくくりつけ、これに日の丸を翻させた上、網で漁船に成りすまして漁船群ごしに船団を攻撃した。シルバーサイズはの地点で魚雷を3本発射し、4,000トン級の貨物船に2本命中させてこれを撃沈したと報じ、戦後の調査では、ていむす丸(川崎汽船、5,871トン)と鳥取丸(日本郵船、5,973トン)の2隻の陸軍輸送船を撃破したとするが、日本側の記録は、ていむす丸と「シンリュウ丸」が雷撃を受けたと書いてあるのみで被害の有無ははっきりしない。5月21日午後には市江崎沖で中型輸送船に対して魚雷を2本発射するも命中しなかった。翌5月22日15時ごろ、シルバーサイズはの市江崎沖で特設運送船朝日山丸(三井船舶、4,550トン)を発見して魚雷を2本発射して1本を命中させ、朝日山丸の前部を切断した上大破座礁させた。執拗な爆雷攻撃を受けたが、難なく切り抜けた。5月26日夜にも潮岬沖で小型輸送船に対して魚雷を1本発射したが、これは命中しなかった。6月3日、シルバーサイズはの地点で海軍徴傭船第二日新丸(大洋捕鯨、17,579トン)と輸送船宮崎丸(日本製鐵、3,948トン)を発見して宮崎丸に対し魚雷を2本発射し、1つの命中音を聴取したが、実際には宮崎丸の船底を通過しただけであった。哨区からの帰途にはミッドウェー海戦で敗れた日本艦隊の動向を警戒。6月21日、シルバーサイズは52日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。シルバーサイズ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ジャック (潜水艦)

    ジャック (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    6月4日、ジャックは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。ジャックはルソン島沿岸部に向かい、6月25日早朝、の地点でマニラから出てきたマタ23船団を発見した。ジャックは船団の左側から魚雷を6本発射し、タンカーさんぺどろ丸(三菱汽船、7,268トン)の左舷に魚雷が1本命中、大火災を発したさんぺどろ丸は、一晩燃えて沈没していった。6月30日未明にはのマニラ湾西方180キロ地点で、折からの悪天候の中をサイゴンからマニラに向けて米を輸送していたサマ08船団を発見。3時12分に、ジャックはサマ08船団に対し魚雷を計10本発射。魚雷は陸軍輸送船鶴島丸(山下汽船、4,652トン)に3本が命中し撃沈。1時間後の4時22分には魚雷を4本発射し、陸軍輸送船松川丸(川崎汽船、3,832トン)に全て命中して撃沈。さらに艦尾発射管から魚雷を4本発射し、3つの爆発を確認した。7月14日、ジャックは39日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。ジャックのここまでの戦績に対して殊勲部隊章が授与された。ジャック (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • レイポン (潜水艦)

    レイポン (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    1944年2月13日、レイポンは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。レイポンは隅々まで目を凝らして目標を探し出し、戦果を挙げていった。3月8日午後、レイポンはの香港南東380キロ地点でタサ08船団を発見。魚雷を4本発射し、輸送船豊国丸(日本製鐵、5,792トン)に魚雷が命中して同船を航行不能に陥らせた。豊国丸は香港に向かうこととなり、輸送船日鈴丸(日産汽船、5,396トン)が曳航したが、翌2月9日未明の地点で日鈴丸と豊国丸に対して魚雷を3本ずつ発射し、反転してさらに魚雷を4本発射。魚雷は日鈴丸に命中して撃沈し、曳航船を失った豊国丸も漂流した後沈没していった。3月10日朝にはの地点で浮上砲戦で25トン漁船を破壊。翌3月11日、レイポンはの地点で2つの大型マストを発見。さらに観測すると、相手は2隻の「山城型戦艦」と空母、重巡洋艦を含む艦隊だった。リンガ泊地に向かう空母瑞鶴、戦艦金剛および榛名、重巡洋艦最上、第十戦隊からなる艦隊レイポンに気づかず、またレイポンも瑞鶴におよそ5,000ヤード、最上に3,200ヤードにまで接近したが攻撃はできず、艦隊をやり過ごしてから浮上して情報を打電した。3月15日にもの地点で75トン漁船を発見して浮上砲戦で破壊。3月16日夜、レイポンはの地点でタマ11A船団を発見し、魚雷を6本発射。爆発を3つ確認したものの、実際には、魚雷は特設運送船國川丸(川崎汽船、6,863トン)に向かっていったが、命中しなかった。3月17日夜にはの地点でヒ48船団を発見。3月18日未明にいたり、の地点で魚雷を4本発射し、特設運送船北陸丸(大阪商船、8,365トン)に2本目から4本目の魚雷が命中し、北陸丸は大爆発を起こして轟沈した。4月1日、レイポンは47日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。レイポン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ダーター (SS-227)

    ダーター (SS-227)から見た川崎汽船川崎汽船

    3月22日、ダーターは2回目の哨戒でダバオ南方、ハルマヘラ島近海、ニューギニア北西部方面に向かった。3月23日にで燃料補給を行い、3月29日に哨区に到着する。3月30日未明、ダーターはの地点で輸送船団を発見し、魚雷を6本発射して最初の2本以外が陸軍輸送船藤川丸(川崎汽船、2,829トン)に命中してこれを撃沈した。4月5日、司令部から「ダバオから日本艦隊が出撃してくる」という情報がもたらされた。察知された日本艦隊とは、第58任務部隊の攻撃(パラオ大空襲)を避けるべく、パラオからシンガポール南方のリンガ泊地に向かう第二艦隊(栗田健男中将)の一部であった。ダーターはデイス (USS Dace, SS-247)、スキャンプ (USS Scamp, SS-277) 、バッショー (USS Bashaw, SS-241) とともに艦隊出撃を待った。4月6日未明、ダーターのレーダーはの地点で第二艦隊と思しき7つの目標を探知し、デイスとともに迎撃態勢に入る。しかし、目標は推定22ノットの高速で航行しており、魚雷を発射するチャンスすらなく2時間程度で接触を失った。この後は敵との接触もあまりなく、4月29日から30日にかけて給油のためにダーウィンに寄港したのち、ハルマヘラ島とモロタイ島近海で再び哨戒を行った。5月23日、ダーターは63日間の行動を終えてマヌス島に帰投。艦長がデヴィッド・H・マクリントック少佐(アナポリス1935年組)に代わった。ダーター (SS-227) フレッシュアイペディアより)

  • デイス (潜水艦)

    デイス (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    5月25日、デイスは7回目の哨戒でカベゾン (USS Cabezon, SS-334) とともに千島列島およびオホーツク海方面に向かった。6月8日に国後島近海の哨戒海域に到着し、早々にの地点でさっそく獲物にありつき、海上トラックとを浮上砲戦で撃沈した。6月9日にアポゴン (USS Apogon, SS-308) およびマンタ (USS Manta, SS-299) と合流。6月10日、デイスは霧の中を、護衛艦を配した輸送船とタンカーがやってくるのを探知した。以後追跡を続け、の占守島沖で3つの目標に、とマーク28型誘導魚雷、通常の魚雷をそれぞれ1本ずつ発射。魚雷は海軍徴傭船博洋丸(九州郵船、1,391トン)に命中して撃沈。反撃を受けたので、護衛艦に魚雷を発射した後、深深度潜航で逃れた。6月18日夜、アポゴンとカベゾンは幌筵島から出てきたばかりの輸送船団を発見し、アポゴンが輸送船博愛丸(日本海洋漁業、2,614トン)を、カベゾンが輸送船蔵王山丸(川崎汽船、2,631トン)をそれぞれ撃沈した。離れた場所で爆発を確認していたデイスは、6月19日未明にの地点で、船団を護衛していた護衛艦を発見し、マーク27誘導魚雷とマーク28型誘導魚雷を含む魚雷を4本発射。2本が命中したと判断され、さらに魚雷を4本発射する。攻撃後、36発に及ぶ爆雷攻撃を受けたがこれを切り抜けた。6月23日夜にはの地点で、海岸に向けて4発の5インチ砲弾を撃ち込んだ。7月10日、デイスは46日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。デイス (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ポンポン (潜水艦)

    ポンポン (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    7月10日、ポンポンはビスマルク諸島、トラック諸島、カロリン諸島方面に向かった。数日後、日本海軍の潜水艦がポンポンに向けて2本の魚雷を発射したが、両方ともポンポンの前方を通過した。トラック沖での哨戒では僚艦と共に偵察ラインを形成し、日本艦隊の動向を監視してソロモン諸島方面で戦闘を続けている第7艦隊の作戦支援を行った。7月25日、ポンポンはのマヌス島北北東約560キロの水域で輸送船団を発見し、ていむず丸(川崎汽船、5,871トン)を撃沈した他、金泉丸(朝鮮郵船、3,081トン)にも魚雷を命中させ船体の前部をもぎ取ったが、金泉丸は沈没を免れた。護衛艦は攻撃回避に精一杯であり、ポンポンは易々と立ち去った。8月22日、ポンポンは43日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。ポンポン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ピンタド (潜水艦)

    ピンタド (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    5月16日、ピンタドは最初の哨戒でシャーク (USS Shark, SS-314) 、パイロットフィッシュ (USS Pilotfish, SS-386) とウルフパックを構成しマリアナ諸島および台湾方面に向かった。ピンタドはウルフパックの旗艦となり、レオン・P・ブレア大佐が座乗した。5月20日から21日にミッドウェー島で補給を行い、マリアナ沖の担当海域に到着。31日、ウルフパックは偵察ラインを形成し、シルバーサイズ (USS Silversides, SS-236) から報告された船団を探索する。ウルフパックは一晩かけて輸送船団を発見すると、攻撃態勢に入った。ピンタドは夜明け前に攻撃位置に達し、目標に向けて6本の魚雷を発射。魚雷は東豊丸(大連汽船、4,716トン)に命中し、東豊丸はの地点で沈没した。ピンタドは640メートルの至近に護衛艦がいたものの、2回目の攻撃のため船尾発射管を目標に向けるべく大胆に旋回。準備を終え魚雷を発射し、爆発は確認されたが沈没までには至らなかった。ピンタドは日本海軍駆逐艦の猛烈な反撃をよそに、この海域を去った。6月4日正午ごろ、ピンタドはサイパン島に向かう新たな輸送船団である第3530船団を発見。シャークとパイロットフィッシュを伴い船団を迎え撃った。15時29分、シャークが勝川丸(川崎汽船、6,886トン)を撃沈し、翌6月5日16時45分にも高岡丸(日本郵船、7,006トン)と貨物船たまひめ丸(浜根汽船、3,080トン)を撃沈して船団に大きな打撃を与えつつあった。ピンタドは6月6日、奇しくもノルマンディー上陸作戦当日にの地点で複数の目標に向けて魚雷を発射。魚雷は鹿島山丸(三井船舶、2,825トン)とはあぶる丸(大阪商船、5,652トン)に命中し、爆発が起こって船体を木っ端微塵にした。哨戒機と5隻の護衛艦が対潜攻撃で50発の爆雷や対潜爆弾を投下したものの、ピンタドに被害はなかった。ピンタドとシャークの戦果は、サイパンの戦いを控えてサイパン島の戦備増強に努めていた陸軍には大打撃の一つとなった。3530船団は加入船のうちほぼ半分を喪失し、3530船団に乗船していた第43師団の兵員の多くは救助されたものの兵器や装備は亡失。サイパンに上陸しても、もはや時間的余裕はないに等しかった。7月1日、ピンタドは46日間の行動を終えてマジュロに帰投した。ピンタド (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ピクーダ (潜水艦)

    ピクーダ (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    12月29日、ピクーダは5回目の哨戒で再びバーブ、クイーンフィッシュとウルフパックを構成し東シナ海、台湾海峡方面に向かった。1945年1月7日昼ごろ、ピクーダはバーブの情報に基づいて哨戒中に、の地点でヒ87船団を発見。タンカー宗像丸(昭和タンカー、10,045トン)に魚雷2本を命中させ大破させた。翌1月8日午後、ピクーダはバーブから船団接触の報告を受け取り、4時間にわたって追跡したのち攻撃。ピクーダは3つの目標を選んで、それぞれに対して魚雷を発射。この攻撃では明宝丸(明治海運、2,857トン)、久川丸(川崎汽船、6,886トン)、満珠丸(日本油槽船、6,515トン)の3隻に損傷を与えたと判断された。しかし、護衛艦が640メートルにまで迫っているのを見て一時息を潜めた。ピクーダは次にバーブ、クイーンフィッシュとともにタンカー彦島丸(三菱汽船、2,854トン)を追いかけまわして痛めつけ、彦島丸は浅瀬に座礁した。攻撃後は、しばらく第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)のための救助配置任務に就いた。1月29日早朝、ピクーダはの地点で雨中に少なくとも3隻の大型船があるのを確認し追跡。6時40分、ピクーダは船団に接近し、くらいど丸(南洋海運、5,497トン)に向けて魚雷を発射。2本命中したのをピクーダの当直士官が観測した。霧が晴れると、くらいど丸が煙と蒸気に包まれて沈んでいくのが見えた。この時、上空に水上偵察機を見つけたので、ピクーダはこれ以上の攻撃は諦めた。2月5日から6日にかけてサイパン島タナパグ港で補給。2月15日、ピクーダは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。ピクーダ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

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