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  • 第一宇高丸

    第一宇高丸から見た川崎汽船川崎汽船

    1937年(昭和12年)8月12日、中の瀬浮標北西で川崎汽船の紐育航路貨物船の聖川丸と衝突し、第一宇高丸は沈没する。その後引き揚げられ復帰。第一宇高丸 フレッシュアイペディアより)

  • デラ台風

    デラ台風から見た川崎汽船川崎汽船

    川崎汽船の旅客船青葉丸(599トン)は警報を受けながらも協議の上6月20日21時に高浜港を出航、21日2時半頃大分県姫島付近で転覆、乗員44名と乗客97名が死亡または行方不明。救助されたのはわずかに数名であった。デラ台風 フレッシュアイペディアより)

  • 赤城 (砲艦)

    赤城 (砲艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    1911年の除籍後、翌年3月頃に川崎汽船に売却され商船「赤城丸」となった。このときにかなり改造され、砲艦時代の面影はほとんど無くなった。しかし、船首に装備された衝角だけはそのままだったという。1921年頃に転売され尼崎汽船の所有船になり、1945年台風で沈没。その後浮揚されたが、1946年1月備讃瀬戸で触雷によりまたも沈没。再度浮揚され使用されるものの、1953年老朽化の為大阪で解体された。艦齢は実に63年に及んだ。赤城 (砲艦) フレッシュアイペディアより)

  • 東邦丸

    東邦丸から見た川崎汽船川崎汽船

    竣工後、ただちに南方からの石油輸送に投入される。わずか2週間後の5月29日には、門司出航のヒ65船団に加入して昭南に向かった。ヒ65船団は6月2日に火焼島近海でアメリカ潜水艦「ギターロ」 (USS Guitarro, SS-363) の攻撃により海防艦「淡路」が沈没し、陸軍輸送船「有馬山丸」(三井船舶、8,697トン)と陸軍特殊船「神州丸」が回避行動中に衝突するという被害を受けたが、「東邦丸」は被害なく6月11日に昭南に到着した。帰途はヒ68船団に加入。ヒ68船団は7月20日にマニラに寄港して加入船の顔ぶれを一部改めた上で7月23日に出港。11.5ノットの速力で北上したが、7月25日に至ってアメリカ潜水艦「アングラー」 (USS Angler, SS-240) 、「フラッシャー」 (USS Flasher, SS-249) および「クレヴァル」 (USS Crevalle, SS-291) からなるウルフパックの攻撃を受ける。この攻撃で陸軍輸送船「安芸丸」(日本郵船、11,409トン)および「東山丸」(大阪商船、8,666トン)、2TM型タンカー「大鳥山丸」(三井船舶、5,280トン)が沈没して特設運送艦「聖川丸」(川崎汽船、6,862トン)が損傷するという被害に見舞われたが、この航海でも「東邦丸」は無事で8月3日に門司に到着した。以後、ヒ73船団で南下し、10月2日昭南出港のヒ76船団には馬公まで加入した。その後は再び昭南に向かい、11月27日昭南出港のシサ30船団に加入して、11月30日にサイゴン港外に到着している。東邦丸 フレッシュアイペディアより)

  • ニューポート・ニューズ (原子力潜水艦)

    ニューポート・ニューズ (原子力潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    2007年1月8日、アラビア海のホルムズ海峡南方で潜行中のニューポート・ニューズは、日本の川崎汽船が所有するタンカー「最上川」と接触事故を起こした。アメリカ海軍によれば、ニューポート・ニューズは船体の一部を損傷したものの、衝突による原子炉への影響はなく、放射能漏れは起きていない。一方、最上川は船底バラストタンクに計5カ所に穴が開き、スクリュー・プロペラ先端部にも欠損が見受けられた。原子力空母「ドワイト・D・アイゼンハワー」(USS Dwight D. Eisenhower, CVN-69)率いる第8空母打撃群の一部としてソマリア方面へ航行中だったとみられる。この事故により、第5艦隊司令部は艦長のマシュー・ワインガード中佐を解任した。ニューポート・ニューズ (原子力潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • シルバーサイズ (潜水艦)

    シルバーサイズ (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    5月13日、シルバーサイズはの地点で潜水艦を発見して魚雷を1本だけ発射したが、命中音は聞こえなかった。5月17日午後には、の潮岬沖で中型輸送船と大型輸送船各1隻を発見する。この時、シルバーサイズは潜望鏡に竹竿をくくりつけ、これに日の丸を翻させた上、網で漁船に成りすまして漁船群ごしに船団を攻撃した。シルバーサイズはの地点で魚雷を3本発射し、4,000トン級の貨物船に2本命中させてこれを撃沈したと報じ、戦後の調査では、ていむす丸(川崎汽船、5,871トン)と鳥取丸(日本郵船、5,973トン)の2隻の陸軍輸送船を撃破したとするが、日本側の記録は、ていむす丸と「シンリュウ丸」が雷撃を受けたと書いてあるのみで被害の有無ははっきりしない。5月21日午後には市江崎沖で中型輸送船に対して魚雷を2本発射するも命中しなかった。翌5月22日15時ごろ、シルバーサイズはの市江崎沖で特設運送船朝日山丸(三井船舶、4,550トン)を発見して魚雷を2本発射して1本を命中させ、朝日山丸の前部を切断した上大破座礁させた。執拗な爆雷攻撃を受けたが、難なく切り抜けた。5月26日夜にも潮岬沖で小型輸送船に対して魚雷を1本発射したが、これは命中しなかった。6月3日、シルバーサイズはの地点で海軍徴傭船第二日新丸(大洋捕鯨、17,579トン)と輸送船宮崎丸(日本製鐵、3,948トン)を発見して宮崎丸に対し魚雷を2本発射し、1つの命中音を聴取したが、実際には宮崎丸の船底を通過しただけであった。哨区からの帰途にはミッドウェー海戦で敗れた日本艦隊の動向を警戒。6月21日、シルバーサイズは52日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。シルバーサイズ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • フラッシャー (潜水艦)

    フラッシャー (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    6月19日、フラッシャーは3回目の哨戒でアングラー、クレヴァルとともにウルフパックを構成し南シナ海に向かった。ところが、6月22日に燃料補給のために立ち寄った際に乗組員の一人が急病になり、退艦の上でOS2U キングフィッシャーに乗せられ、医療施設に搬送されていった。6月28日深夜、フラッシャーはのシンガポール海峡南東130キロの地点で、海防艦などを伴ったミシ03船団を発見した。フラッシャーは護衛艦に察知されないよう慎重に近づき、日付が6月29日に変わってから攻撃を開始。まず先頭と二番目の輸送船に対して魚雷を3本発射し、転舵してから三番目の目標に対して艦尾発射管から魚雷を4本発射。魚雷は2本が輸送船日邦丸(元スウェーデン船ニンボー、日本郵船、6,079トン)に命中し、日邦丸は船首から沈没。水上機母艦能登呂にも1本以上が命中して大破した。7月1日にアングラー、クレヴァルと会合して新たな哨区を確認したあと、ヴァレラ岬近海の哨区に到着する。7月7日夜、フラッシャーはレーダーで目標を探知して追跡し、日付が7月8日に変わる前後にの地点で魚雷を4本発射。魚雷は1本が特設運送船第二号興東丸(朝鮮郵船、3,557トン)に命中して撃沈。しばらくしてから激しい爆雷攻撃があったものの、難なく切り抜けた。7月13日朝には輸送船団を発見して接近を試みるが、船団中の輸送船六甲丸(東亜海運、3,038トン)に通報され制圧される。7月18日から19日にかけて荒天に見舞われるが、その最中の7月19日午前、フラッシャーはの地点で目視により「球磨型軽巡洋艦」を発見する。駆逐艦敷波を従えマニラからシンガポールに向かっていた軽巡洋艦大井はこの日の早朝、フラッシャーと思われる潜水艦を探知し回避運動を行っていたが、燃料を考慮して18ノットの速力でシンガポールに急行していた。フラッシャーは最初大井の前方に位置していたが、大井が依然ジグザグ運動をするので大井の前方を横切って、艦尾発射管から攻撃する態勢をとった。12時14分、フラッシャーは大井に対して魚雷を4本発射した。3本は大井をかすめたものの、残る魚雷1本が左舷機関室付近に命中したため、大井は後部機械室の火災と前部機械室の蒸気漏れにより航行を停止した。敷波が爆雷攻撃を行っている間に、フラッシャーは14時30分に2回目の魚雷発射を実施。大井の左舷側から魚雷を4本発射したが、3本は偏斜して大井の艦首をかすめさり、残り1本は行方不明となった。フラッシャーは一度現場を去って浮上し、アングラーとクレヴァルにこちらに向かうよう打電した後、3回目の魚雷攻撃を実施すべく深度45メートルに潜って作業を行いながら大井に三度接近していったが、この間に大井は損傷部から艦体を切断し、その部分から急速に沈没していった。フラッシャーが大井の姿を見ることはもはやなく、救助作業を行っている敷波の姿しか見なかった。7月25日朝、フラッシャーは輸送船団、シンガポールから日本に向かっていたヒ68船団からのものと思しき煙を発見し、アングラーとクレヴァルにその旨を通報して迎撃態勢に移る。午後、クレヴァルが2隻の陸軍輸送船、安芸丸(日本郵船、11,409トン)と東山丸(大阪商船、8,666トン)に対して魚雷を発射したが、両船とも回避した。ヒ68船団は全速力で北上を続けたが、行く手にはアングラーから通報を受けたフラッシャーが立ちふさがり、の地点で一番目と三番目の輸送船に魚雷を3本ずつ発射したあと、転舵して離脱。魚雷は安芸丸、東山丸に1本ずつ、2TMタンカー大鳥山丸(三井船舶、5,280トン)に2本が命中し、大鳥山丸は燃料に引火の末に大爆発を起こして沈没、安芸丸および東山丸は航行不能の被害を受ける。このあと、アングラーが特設運送艦聖川丸(川崎汽船、6,862トン)に魚雷を1本命中させて聖川丸は高雄に回航され、クレヴァルは早朝と午前の二度の攻撃で安芸丸と東山丸に再び魚雷を命中させ、安芸丸は間もなく沈没し、東山丸は7月27日早朝に弾薬に引火し、丸一日を経た7月27日午前に爆沈した。魚雷を全て使い果たしたフラッシャーはクレヴァルからの戦果報告を受信したのち、ミンドロ海峡から南下していった。8月7日、フラッシャーは49日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。フラッシャー (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 鹿島房次郎

    鹿島房次郎から見た川崎汽船川崎汽船

    1927年金融恐慌で川崎造船所(現・川崎重工業)が破綻すると、初代社長松方幸次郎の後を受け1928年川崎造船所と川崎汽船の社長に就任。川崎車両を分離させる等、再建に努力したが在任中の1932年に死去した。鹿島房次郎 フレッシュアイペディアより)

  • シーホース (潜水艦)

    シーホース (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    3月16日、シーホースは4回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。4月8日、シーホースはの地点で輸送船団を発見。夕刻に新玉丸(玉井商船、6,783トン)を撃沈し、即座に次の目標に向けて魚雷を発射。2回目の攻撃で木津川丸(東洋海運、1,915トン)を撃沈した。護衛艦の反撃から逃れた後、翌4月9日にはマリアナ諸島やパラオ方面に向かっていた東松4号船団を発見。16時25分にサイパン島西北西100キロ地点で美作丸(日本郵船、4,667トン)に向けて魚雷を発射し、命中させて撃沈した。4月20日には、サイパン島西方で潜水艦と思しき艦艇を撃沈した。一週間後の4月27日には、の地点で秋川丸(川崎汽船、5,244トン)を撃沈した。シーホースは5月7日にミルン湾に寄港。5月11日、シーホースは56日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。シーホース (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ベクーナ (潜水艦)

    ベクーナ (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    8月23日、ベクーナは最初の哨戒で南シナ海に向かった。10月8日未明、ベクーナはの地点でヒ76船団を発見し、元特設水上機母艦君川丸 (川崎汽船、6,863トン)に魚雷1本を命中させ、撃沈こそ出来なかったものの君川丸を船団から脱落させた。ベクーナ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

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