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  • 洲埼 (軽質油運搬艦)

    洲埼 (軽質油運搬艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    「洲崎」は3月にバリクパパンへ進出後、特設運送船(給油)「国洋丸」(国洋汽船、10,026トン)および「玄洋丸」(浅野物産、10,018トン)と船団を構成し、4月17日にバリクパパンを出港してパラオに向かう。当初の計画ではパラオで「国洋丸」および「玄洋丸」と分離し、特設運送船(給油)「雄鳳丸」(飯野海運、5,135トン)と改めて船団を編成してサイパン島に回航されることとなった。しかし、ニューギニア北部沿岸にアメリカ第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)が遊弋しているとの報を受けて、船団はパラオを回避して「雄鳳丸」を含んだ全船がサイパン島に向かうこととなり、4月26日にサイパン島に到着した。サイパン島で燃料陸揚げの後、4月29日にサイパン島を出港してバリクパパンに向かい、5月7日に到着。以後はバリクパパンと、第一機動艦隊(小沢治三郎中将・海軍兵学校37期)が進出していたタウィタウィ、あるいはパラオとの間で燃料補給に従事。「あ号作戦」発動後、「洲崎」は特設運送船(給油)「興川丸」(川崎汽船、10,043トン)とともに第三補給部隊を編成した。マリアナ沖海戦の後、7月18日に南西方面艦隊付属となった。洲埼 (軽質油運搬艦) フレッシュアイペディアより)

  • 浅香丸 (特設巡洋艦)

    浅香丸 (特設巡洋艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    1943年(昭和18年)に入ると、キスカ島向けの資材輸送に従事する。3月には数次にわたるアッツ島への輸送作戦が計画され、第一陣として同型の特設巡洋艦「粟田丸」(日本郵船、7,397トン)や特設水上機母艦「君川丸」(川崎汽船、6,863トン)、陸軍輸送船「崎戸丸」(日本郵船、9,245トン)が輸送作戦を行って成功させていた。「浅香丸」は弾薬や木材を搭載して「崎戸丸」と船団を組み、第五艦隊(細萱戊子郎中将)の強力な掩護を得て3月23日に幌筵島を出撃しアッツ島に向かう。しかし3月27日未明にアメリカ第16.6任務群(チャールズ・マクモリス少将)と遭遇し、交戦する(アッツ島沖海戦)。「浅香丸」と「崎戸丸」は非敵側に退避し攻撃を受けなかったが、アッツ島への輸送作戦は中止となった。海戦後は再び哨戒、輸送任務にあたった。浅香丸 (特設巡洋艦) フレッシュアイペディアより)

  • 香久丸 (特設水上機母艦)

    香久丸 (特設水上機母艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    1941年(昭和16年)10月31日、「香久丸」は日本海軍に再度徴傭され、11月10日付で特設運送船として入籍。11月11日から11月24日まで、三菱長崎造船所で艤装工事が行われた。開戦後はタラカン島攻略戦に特設運送船「國川丸」(川崎汽船、6,863トン)などとともに参加。その後はラバウル、サイゴンなど南方各地と日本本土との輸送に任じる。ヒ船団にもしばしば加入。1943年(昭和18年)11月16日、国際汽船が戦時統合により大阪商船に吸収合併されたことにより、「香久丸」も大阪商船に移籍1944年(昭和19年)9月10日、「香久丸」は陸軍特殊船「吉備津丸」(日本郵船、9,575トン)、特設運送船「護国丸」(大阪商船、10,438トン)とともにマモ03船団を編成してマニラを出港。途中、ヒ72船団と合流して門司に向かうも、ヒ72船団は9月12日にアメリカ潜水艦「グロウラー」 (USS Growler, SS-215) 、「パンパニト」 (USS Pampanito, SS-383) 、「シーライオン」 (USS Sealion, SS-315) のウルフパックにつかまり、 多大な被害を出す。船団は三亜に回航の上顔ぶれを改めて9月16日に出港するが、9月20日にB-24の攻撃を受けて特設運送船「浅香丸」(日本郵船、7,398トン)、海防艦「御蔵」とともに被弾損傷し、高雄に回航の上修理が行われる。修理後は基隆に回航の上で船団の航行を再開し、門司に到着した。香久丸 (特設水上機母艦) フレッシュアイペディアより)

  • 衣笠丸 (特設水上機母艦)

    衣笠丸 (特設水上機母艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    第一次世界大戦時、鋼材不足に悩むアメリカは、1917年(大正6年)に対日本向けの鋼材輸出を禁止する。当時、日本における造船用鋼材はアメリカからの購入に頼っていたので、禁輸措置によって日本の海運や造船業は大打撃を受けることとなった。そこで、松方幸次郎、金子直吉、浅野総一郎の尽力により、アメリカが完成船1重量トン当たり鋼材0.5トンを日本に提供し、日本側はその鋼材で建造した完成船をアメリカに引き渡すという日米船鉄交換契約を1918年(大正7年)4月に締結。これにより、日本の造船業はアメリカ提供分・日本提供分合わせて約100万重量トン分の貨物船を建造したが、条約締結後約半年で大戦が終結し、せっかくの完成船はダブついて過剰船腹状態となった。この過剰船腹対策として設立されたのが国策会社の国際汽船で、当初は目的どおり過剰に建造された大福丸型貨物船などを中心とする船隊を構成し、川崎造船所および川崎汽船と組んで「Kライン」を創設した。その後、「Kライン」からの離脱を経て1929年(昭和4年)ごろから高速優秀船主義を採用し、船舶改善助成施設を活用して大幅な船質改善を図ることとなった。衣笠丸 (特設水上機母艦) フレッシュアイペディアより)

  • 聖川丸 (特設水上機母艦)

    聖川丸 (特設水上機母艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    聖川丸(きよかわまる)は、川崎汽船の神川丸型貨物船の二番船。太平洋戦争では特設水上機母艦、特設運送艦として運用され、戦争末期および戦後すぐに損傷、沈没したものの復旧して、再び貨物船として活躍した。聖川丸 (特設水上機母艦) フレッシュアイペディアより)

  • 君川丸 (特設水上機母艦)

    君川丸 (特設水上機母艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    君川丸(きみかわまる)は、川崎汽船の神川丸型級貨物船の三番船。太平洋戦争では特設水上機母艦、特設運送船として運用された。君川丸 (特設水上機母艦) フレッシュアイペディアより)

  • 國川丸 (特設水上機母艦)

    國川丸 (特設水上機母艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    國川丸(くにかわまる)とは、川崎汽船の神川丸型貨物船の四番船。太平洋戦争では特設水上機母艦、特設運送船として運用された。國川丸 (特設水上機母艦) フレッシュアイペディアより)

  • 東邦丸

    東邦丸から見た川崎汽船川崎汽船

    竣工後、ただちに南方からの石油輸送に投入される。わずか2週間後の5月29日には、門司出航のヒ65船団に加入して昭南に向かった。ヒ65船団は6月2日に火焼島近海でアメリカ潜水艦「ギターロ」 (USS Guitarro, SS-363) の攻撃により海防艦「淡路」が沈没し、陸軍輸送船「有馬山丸」(三井船舶、8,697トン)と陸軍特殊船「神州丸」が回避行動中に衝突するという被害を受けたが、「東邦丸」は被害なく6月11日に昭南に到着した。帰途はヒ68船団に加入。ヒ68船団は7月20日にマニラに寄港して加入船の顔ぶれを一部改めた上で7月23日に出港。11.5ノットの速力で北上したが、7月25日に至ってアメリカ潜水艦「アングラー」 (USS Angler, SS-240) 、「フラッシャー」 (USS Flasher, SS-249) および「クレヴァル」 (USS Crevalle, SS-291) からなるウルフパックの攻撃を受ける。この攻撃で陸軍輸送船「安芸丸」(日本郵船、11,409トン)および「東山丸」(大阪商船、8,666トン)、2TM型タンカー「大鳥山丸」(三井船舶、5,280トン)が沈没して特設運送艦「聖川丸」(川崎汽船、6,862トン)が損傷するという被害に見舞われたが、この航海でも「東邦丸」は無事で8月3日に門司に到着した。以後、ヒ73船団で南下し、10月2日昭南出港のヒ76船団には馬公まで加入した。その後は再び昭南に向かい、11月27日昭南出港のシサ30船団に加入して、11月30日にサイゴン港外に到着している。東邦丸 フレッシュアイペディアより)

  • 知床 (給油艦)

    知床 (給油艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    9月11日、6113船団に加入してクェゼリンを出港するが、9月12日未明にの地点でアメリカ潜水艦パーミット (USS Permit, SS-178) の雷撃を受ける。パーミットは6113船団の出航直後から追跡をしていた。雷撃により航行不能となり、クェゼリン在泊中の軽巡洋艦「那珂」や特設砲艦「香取丸」(日之出汽船、1,923トン)などが救援隊として送り込まれる。曳航作業の準備中にパーミットからの二度の攻撃を受けるが被害なく、9月13日15時、「香取丸」により曳航が開始され、北回りのリートにより9月15日13時にルオットに到着した。応急修理の上、輸送船「桃川丸」(川崎汽船、3,829トン)に曳航されルオットを出港し、日本本土までおおよそ4,300キロの航海を行う。その途中の11月13日朝、のパガン島近海で、アメリカ潜水艦スコーピオン (USS Scorpion, SS-278) に発見される。スコーピオンは魚雷を4本発射して1本を命中させるが、小破に留まり航海に影響はなかった。以後、三度にわたって潜水艦との接触および攻撃に遭遇するが被害なく、11月25日に佐世保に帰投。佐世保海軍工廠と三菱長崎造船所で修理が行われた。知床 (給油艦) フレッシュアイペディアより)

  • 襟裳 (給油艦)

    襟裳 (給油艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    3月1日にアナンバス諸島を出撃し、ジャワ海に進出して第六駆逐隊に対する燃料補給を行った後、昭南(シンガポール)に回航するよう命じられる。3月3日に駆逐艦「長月」と「水無月」に対して燃料補給を行ったのに続き、3月4日にも「松風」に対して燃料補給を行った後昭南に向かったが、の地点でアメリカ潜水艦S-39 (USS S-39, SS-144) の雷撃を受ける。S-39 は目標を「厳島丸」(日本水産、10,006トン)あるいは「建川丸」(川崎汽船、10,090トン)と推定して魚雷を4本発射し、うち3本が命中して爆発するのを確認した。15時5分にビリトン島近海で沈没し、「松風」と軽巡洋艦「由良」によって特務艦長相馬信四郎大佐以下162名が救助されたが、18名が戦死した。襟裳 (給油艦) フレッシュアイペディアより)

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