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  • レッドフィン (潜水艦)

    レッドフィン (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    3月19日、レッドフィンは2回目の哨戒でセレベス海方面に向かった。4月8日、レッドフィンは「那智型巡洋艦」、「名取型軽巡洋艦」および「吹雪型駆逐艦」からなる小艦隊を発見するが、目標までおよそ7キロも離れていたので攻撃はできなかった。3日後の4月11日午後には、のミンダナオ島サンボアンガ灯台東方27海里地点で、ダバオに向かう特設運送艦聖川丸(川崎汽船、6,882トン)を出迎えるために、同じくダバオに向かっていた駆逐艦秋雲を発見。18時17分、秋雲に対し魚雷を4本発射し、2本が命中した秋雲は左に45度倒れ、40度の角度をつけながら沈没していった。翌4月12日、レッドフィンはの地点で「球磨型軽巡洋艦」と駆逐艦を遠方に発見し、徐々に差を詰めていった末に魚雷を4本発射したが、当たらなかった。4月15日午後には、のミンダナオ島南西端でハルマヘラ島からマニラに向かっていたM17船団を発見し、激しい雨に遭いながらも接近して魚雷を6本発射。うち1本が陸軍輸送船神祐丸(栗林商船、4,621トン)に命中したが、沈没は免れた。レッドフィンはM17船団を追跡し続け、翌4月16日未明にの地点で再度魚雷を6本発射する。魚雷は陸軍輸送船山形丸(日本郵船、3,807トン)に1本命中し、山形丸はの地点で沈没した。4月22日から23日にかけては、ボルネオ島デントヘヴン付近にイギリスの諜報員を上陸させたが、日本軍の射撃を受けて数名の諜報員はすぐさまレッドフィンに引き返してきた。しかし、残りは6月9日にハーダー (USS Harder, SS-257) が迎えに来るまで取り残されたままとなった。5月1日、レッドフィンは41日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。レッドフィン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 樫 (駆逐艦)

    樫 (駆逐艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    陸軍特殊船4隻とタンカー5隻、元特設水上機母艦「聖川丸」(川崎汽船、6,862トン)で構成され、空母「神鷹」などが護衛についたヒ81船団の出港は11月14日に延期され、同日朝に伊万里湾を出発する。しかし、スパイに関する噂が船団中に広まるなど前途は多難であった。潜水艦出没情報により宇久島沖で待機の後、翌15日朝に上海沖に向かった。ところが、同日正午に陸軍特殊船「あきつ丸」(日本海運、9,186トン)がアメリカ潜水艦クイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393) の雷撃により沈没。珍島沖で待機の後再び航行を開始するが、11月17日には黄海にてアメリカ潜水艦スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) の雷撃で「神鷹」を、ピクーダ (USS Picuda, SS-382) の雷撃で陸軍特殊船「摩耶山丸」(三井船舶、9,433トン)が沈没する。以後は被害なくタンカーと同行し、馬公を経由して12月4日に昭南に到着した。樫 (駆逐艦) フレッシュアイペディアより)

  • 足摺 (軽質油運搬艦)

    足摺 (軽質油運搬艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    1941年(昭和16年)度マル臨計画2次計画により三菱重工業長崎造船所で建造され、1943年(昭和18年)1月30日に竣工。横須賀鎮守府籍となり、同日連合艦隊付属となる。「足摺」の竣工後の行動は断片的にしか判明していないが、まず4月10日に佐伯を出港して横浜に向かっている。6月15日には、特務艦「洲崎」、陸軍タンカー「黒潮丸」(中外海運、10,518トン)、タンカー「あまつ丸」(石原汽船、10,567トン)とともに船団を構成して佐世保を出港して南方へ向かう。時はヒ船団開設前夜、まず敷設艇「平島」の護衛で高雄に向かい、高雄では「あまつ丸」と別れ、また護衛艦が「平島」から駆逐艦「若竹」に代わり、「Z船団」を名乗って6月21日に高雄を出港。サンジャックを経由し、6月28日に昭南(シンガポール)に到着した。9月22日には、サ12船団に加入して門司に向かう。船団は9月25日にアメリカ潜水艦「ボーフィン」 (USS Bowfin, SS-287) の攻撃を受けて特設運送船(給油・応急タンカー)「霧島丸」(国際汽船、8,267トン)が沈没。「足摺」および中型タンカー「誠心丸」に対しても魚雷が発射されたが回避した。11月10日にはサ17船団に加入して昭南との間を往復。1944年(昭和19年)に入り、1月6日に特務艦「塩屋」、特設運送船(給油)「興川丸」(川崎汽船、10,043トン)とともに臨時M船団を編成し、第36号哨戒艇の護衛を得て高雄を出港。マニラまではヒ29船団と同行し、1月9日にマニラに到着後分離してタラカン島経由、1月15日にバリクパパンに到着する。以後、バリクパパンとダバオ、サイパン島間の軽質油輸送などに従事。5月27日から6月1日にかけては、第30号掃海艇の護衛を得てバリクパパンとタラカン島との間を一往復した。足摺 (軽質油運搬艦) フレッシュアイペディアより)

  • 塩屋 (軽質油運搬艦)

    塩屋 (軽質油運搬艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    1941年(昭和16年)度マル臨計画2次計画により三菱重工業長崎造船所で建造され、1943年(昭和18年)11月9日に竣工。佐世保鎮守府籍となり、同日に連合艦隊付属となる。「塩屋」の竣工後の行動は断片的にしか判明していないが、1944年(昭和19年)1月6日に、特務艦「足摺」、特設運送船(給油)「興川丸」(川崎汽船、10,043トン)とともに臨時M船団を編成し、第36号哨戒艇の護衛を得て高雄を出港。マニラまではヒ29船団と同行し、1月9日にマニラに到着後分離してタラカン島経由、1月15日にバリクパパンに到着する。以後、バリクパパンとダバオ間の軽質油輸送などに従事。5月はほとんどの期間を第30号掃海艇とともに行動する。5月4日、「塩屋」はバリクパパンを出港し、5月6日にダバオに到着。補給の後5月9日にダバオを後にして、サンボアンガを経由し5月11日にセブに到着。5月14日にセブを出港してバリクパパンに向かうが、5月15日午後には潜水艦を発見し、これと交戦しようとした第30号掃海艇に対して攻撃制止の令を出してバリクパパンに急ぎ、5月16日に到着した。5月23日に第30号掃海艇の護衛で再びダバオへ向けて出港するが、翌5月24日に潜水艦の攻撃を受ける。第30号掃海艇および哨戒機とともに爆雷を投下して潜水艦を制圧した後、5月25日にダバオに到着した。塩屋 (軽質油運搬艦) フレッシュアイペディアより)

  • ウェーク島の戦い

    ウェーク島の戦いから見た川崎汽船川崎汽船

    水上偵察機隊:特設水上機母艦聖川丸(川崎汽船、6,862トン)、水上偵察機4機ウェーク島の戦い フレッシュアイペディアより)

  • シーホース (潜水艦)

    シーホース (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    3月16日、シーホースは4回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。4月8日、シーホースはの地点で輸送船団を発見。夕刻に新玉丸(玉井商船、6,783トン)を撃沈し、即座に次の目標に向けて魚雷を発射。2回目の攻撃で木津川丸(東洋海運、1,915トン)を撃沈した。護衛艦の反撃から逃れた後、翌4月9日にはマリアナ諸島やパラオ方面に向かっていた東松4号船団を発見。16時25分にサイパン島西北西100キロ地点で美作丸(日本郵船、4,667トン)に向けて魚雷を発射し、命中させて撃沈した。4月20日には、サイパン島西方で潜水艦と思しき艦艇を撃沈した。一週間後の4月27日には、の地点で秋川丸(川崎汽船、5,244トン)を撃沈した。シーホースは5月7日にミルン湾に寄港。5月11日、シーホースは56日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。シーホース (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 東城丸

    東城丸から見た川崎汽船川崎汽船

    竣工後、ヒ91船団に加わって1月26日に門司を出港し、昭南(シンガポール)に向かう。船団は出港2日後の1月28日未明にアメリカ潜水艦「スペードフィッシュ」 (USS Spadefish, SS-411) の攻撃により特設運送船「讃岐丸」(日本郵船、9,246トン)と海防艦「久米」を失うが、「東城丸」はタンカー「永洋丸」(日本油槽船、8,673トン)とともに大陸沿岸、海南島、インドシナ半島沿岸に沿って南下を続け、2月8日に昭南に到着した。昭南で航空ガソリン16,000トン、重油1,285トンなどを搭載し、ヒ92船団に加わって2月18日午後に昭南を出港して日本に向かった。しかし、出港して2時間半後に触雷して気缶を損傷。応急修理の上航海を続けた。2月22日に同航のタンカー「第二建川丸」(川崎汽船、10,045トン)が触雷沈没し、2月25日にはアメリカ潜水艦「ホー」 (USS Hoe, SS-258) の雷撃で海防艦「昭南」を失うが、「東城丸」は単独で楡林に向かって、同地で機関整備を行う。その後は対潜掃討を終えた第25号海防艦とともに大陸沿いを北上し、汕頭、舟山群島、釜山港外を経て3月11日に門司に帰還した。搭載物資を下津港で陸揚げののち、生まれ故郷の播磨造船所に回航され、触雷による損傷の修理を行ったが、その最中に終戦を迎えた。東城丸 フレッシュアイペディアより)

  • マタ30船団

    マタ30船団から見た川崎汽船川崎汽船

    23日午後5時半ころ、まず、元特設水上機母艦である特設運送船「君川丸」(川崎汽船:6863総トン)が、「ソーフィッシュ」の雷撃を受け、ルソン島北西洋上付近で沈没した。次に、タンカー「菊水丸」(鹵獲船, 元オランダ船「イリス」:3887総トン)が、「スヌーク」の雷撃を受け、翌24日沈没。以下、24日には「ドラム」により貨物船「信貴山丸」(三井船舶:4725総トン)、「アイスフィッシュ」により貨物船「天晨丸」(瑞光商船:4236総トン)、「シードラゴン」により貨物船「大天丸」(大阪商船:4642総トン)、同「営口丸」(日本郵船:1966総トン)および貨客船「黒龍丸」、「スヌーク」により貨物船「阿里山丸」と同「第一眞盛丸」(原商事:5864総トン)が撃沈されたと認定されている。マタ30船団 フレッシュアイペディアより)

  • 松方三郎

    松方三郎から見た川崎汽船川崎汽船

    父は明治の元勲で第4代、第6代内閣総理大臣の松方正義。兄は川崎造船所(現川崎重工)、川崎汽船、国際汽船などの社長を務めた松方幸次郎(幸次郎は三男。義三郎は十五男の末子である)松方三郎 フレッシュアイペディアより)

  • 針尾 (給油艦)

    針尾 (給油艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    竣工後、呉鎮守府籍となり連合艦隊付属に編入される。1945年(昭和20年)1月20日、南方からの重要物資を還送する南号作戦が発令され、発令時点で南方にいた輸送船やタンカーのほか、日本本土にいた輸送船やタンカーも南方に送り込まれる事となった。1月24日、南号作戦参加のために南方へ向かう第一陣船団であるヒ89船団に、中型タンカー「日南丸」(飯野海運、5,175トン)、2TL型タンカー「第二建川丸」(川崎汽船、10,045トン)とともに加入。第8号海防艦、第32号海防艦、第52号海防艦の護衛にて門司を出港する。朝鮮半島、中国大陸沿岸の島々を縫うように南下し、楡林、キノン湾、サンジャックを経て昭南へ向かう。しかし、2月7日夜に機関故障を起こして後落し、第8号海防艦の護衛を受けて2月9日に昭南に到着した。針尾 (給油艦) フレッシュアイペディアより)

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