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  • 2010年の経済

    2010年の経済から見た川崎汽船川崎汽船

    2月20日 - 熊谷清(川崎汽船元社長 *1918年)2010年の経済 フレッシュアイペディアより)

  • 梅津ノリジ

    梅津ノリジから見た川崎汽船川崎汽船

    川崎汽船 「エルガス編」〜マイナス162度の微笑〜 K-STONES-SEVEN MOVIE Vol.1梅津ノリジ フレッシュアイペディアより)

  • 神港ビル

    神港ビルから見た川崎汽船川崎汽船

    1939年(昭和14年)に川崎汽船本社ビルとして竣工して以来、現役のオフィスビルとして利用されつづけており、現在でも川崎汽船の登記上の本店所在地となっている(実際の本社機能は東京都千代田区)。神港ビル フレッシュアイペディアより)

  • ピクーダ (潜水艦)

    ピクーダ (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    12月29日、ピクーダは5回目の哨戒で再びバーブ、クイーンフィッシュとウルフパックを構成し東シナ海、台湾海峡方面に向かった。1945年1月7日昼ごろ、ピクーダはバーブの情報に基づいて哨戒中に、の地点でヒ87船団を発見。タンカー宗像丸(昭和タンカー、10,045トン)に魚雷2本を命中させ大破させた。翌1月8日午後、ピクーダはバーブから船団接触の報告を受け取り、4時間にわたって追跡したのち攻撃。ピクーダは3つの目標を選んで、それぞれに対して魚雷を発射。この攻撃では明宝丸(明治海運、2,857トン)、久川丸(川崎汽船、6,886トン)、満珠丸(日本油槽船、6,515トン)の3隻に損傷を与えたと判断された。しかし、護衛艦が640メートルにまで迫っているのを見て一時息を潜めた。ピクーダは次にバーブ、クイーンフィッシュとともにタンカー彦島丸(三菱汽船、2,854トン)を追いかけまわして痛めつけ、彦島丸は浅瀬に座礁した。攻撃後は、しばらく第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)のための救助配置任務に就いた。1月29日早朝、ピクーダはの地点で雨中に少なくとも3隻の大型船があるのを確認し追跡。6時40分、ピクーダは船団に接近し、くらいど丸(南洋海運、5,497トン)に向けて魚雷を発射。2本命中したのをピクーダの当直士官が観測した。霧が晴れると、くらいど丸が煙と蒸気に包まれて沈んでいくのが見えた。この時、上空に水上偵察機を見つけたので、ピクーダはこれ以上の攻撃は諦めた。2月5日から6日にかけてサイパン島タナパグ港で補給。2月15日、ピクーダは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。ピクーダ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 高等商船学校

    高等商船学校から見た川崎汽船川崎汽船

    森武:神高船(航海)卒、川崎汽船勤務、海軍海上護衛総司令部勤務、海防艦82号艦長、海軍少佐、戦後は海上保安庁勤務。高等商船学校 フレッシュアイペディアより)

  • シャーク (SS-314)

    シャーク (SS-314)から見た川崎汽船川崎汽船

    5月16日、シャークは最初の哨戒でピンタド (USS Pintado, SS-387) 、パイロットフィッシュ (USS Pilotfish, SS-386) と共にウルフパックを構成し、マリアナ諸島方面に向かった。6月2日の早朝にシャークは敵船団と遭遇した。この船団はサイパンから横須賀に向かっていた4530船団であり、8隻の各種貨物船と駆逐艦旗風以下の護衛艦艇で構成されていた。シャークはパハロス島西方海域でタンカーに対して魚雷を発射する。魚雷はタンカーを外れ、別の貨物船千代丸(栃木汽船、4,700トン)に命中、これを撃沈する。シャークは爆雷による反撃を回避し、哨戒を継続した。2日後の6月4日、シャークは厳重に護衛された別の船団、第3530船団を追跡する。攻撃位置へ移動したシャークの前方に駆逐艦が接近した。攻撃位置への移動に失敗したシャークは敵艦の左舷180ヤードを通過し、物資を満載した貨物船に対して15時29分ごろに4本の魚雷を発射した。この攻撃で勝川丸(川崎汽船、6,886トン)を撃沈し、護衛艦からの攻撃を回避した後シャークは浮上して追跡を継続した。6月5日午後、船団に追いつき16時45分に6発の魚雷を発射、貨客船高岡丸(日本郵船、7,006トン)は初弾を交わしたものの3本が命中し沈没、貨物船たまひめ丸(浜根汽船、3,080トン)も高岡丸被雷とほぼ同時刻に被雷し沈没した。シャークは護衛艦の攻撃を再び回避し、真夜中近くに浮上したが船団に追いつくことはできなかった。6月17日、シャークは32日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。シャーク (SS-314) フレッシュアイペディアより)

  • 春風 (2代神風型駆逐艦)

    春風 (2代神風型駆逐艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    1944年(昭和19年)3月1日、第一海上護衛隊に編入。10月20日23時40分、春風はマタ30船団旗艦として、駆逐艦竹等と共に船団を護衛してマニラを出港。マタ30船団は春風の名前を取って別名「春風船団」と呼称されていた。船団は輸送船を3列縦隊にし、周囲に春風を先頭として護衛艦を配置した隊形を組み、8ノットの低速で航行した。しかし、23日朝から吹き出した強風の影響もあって、地獄船の2A型戦時標準貨物船の阿里山丸(三井船舶、6,886総トン)など隊列から落伍する船が出た。23日正午ごろ、船団最優秀船で元特設水上機母艦である特設運送船君川丸(川崎汽船、6,863総トン)が潜望鏡らしきものを発見して他の加入船に警戒を呼びかけた。15時38分、船団はウルフパックを組んでいた米潜ソーフィッシュ(USS Sawfish, SS-276)に発見され、さらに同じくウルフパックを組んで付近を哨戒していたシャーク(USS Shark, SS-314)、同じく付近を単独で哨戒していたスヌーク(USS Snook, SS-279)が合流し、船団を待ち受けた。23日17時28分、船団最後尾の君川丸がソーフィッシュの雷撃で撃沈された。そして、その後は米潜群による苛烈な攻撃が行われた。23日夜には大型飛行艇が、24日には駆逐艦栂が護衛強化及び敵潜水艦制圧のために現場へ派遣された。24日未明に春風が自艦の真横約1,500メートルの位置に潜水艦を探知し、17発の爆雷攻撃を行った。春風は更に17時42分ごろにも右舷前方約1,700メートルに探知された潜水艦に対し17発の爆雷攻撃を行い「気泡、重油、衣類と破片」が水面に浮上したと報告した。この潜水艦はシャークであった。しかし、船団の損害は激しく、24日にはタンカー菊水丸(拿捕船/三井船舶委託, 元蘭船Iris/3,887総トン)がスヌークの雷撃で、貨物船信貴山丸(三井船舶、4,725総トン)がドラム(USS Drum, SS-228)の雷撃で、第一次大戦の英E型戦時標準貨物船天晨丸(瑞光商船、4,236総トン)がアイスフィッシュ(USS Icefish, SS-367)の雷撃で、1B型戦時標準貨物船の大天丸(大阪商船、4,642総トン)、貨客船營口丸(日本郵船、1,847総トン)がシードラゴン(USS Seadragon, SS-194)の雷撃で撃沈され、貨客船黒龍丸(大阪商船、6,379総トン)、阿里山丸、陸軍輸送船第一眞盛丸(原商事、5,864総トン)もまた撃沈され、残った輸送船は小型船3隻のみという大損害を受けた。26日、船団は高雄へと到着した。春風 (2代神風型駆逐艦) フレッシュアイペディアより)

  • 熊野丸

    熊野丸から見た川崎汽船川崎汽船

    このM丙型1番船として計画されたのが「熊野丸」である。1944年(昭和19年)3月から着工のM甲型に続いて、日立因島造船所で建造されることになった。名目上の船主は川崎汽船である。空母類似の全通飛行甲板による航空機運用能力を持つ特種船としては、戦前計画の「あきつ丸」に続き2隻目となる。ただし、この時点での航空機運用は上陸戦時の支援戦闘が目的で、飛行甲板は発進専用、使用後は陸上飛行場に着陸させる計画だった。熊野丸 フレッシュアイペディアより)

  • ティランテ (潜水艦)

    ティランテ (潜水艦)から見た川崎汽船川崎汽船

    この頃、アメリカ海軍の情報部は日本の暗号を解読し、日本軍の動静をほぼ予測していた。傍受した1本の無電に、ティランテの哨戒海域に向かう重要な輸送船団の情報が含まれていた。この情報に応じて、ティランテは4月9日に潜航して船団を待ち伏せた。程なくしてティランテは向かってくるタモ53船団を発見。2隻を標的に選び、それぞれに3本の魚雷を発射した。2隻の1隻である聖川丸(川崎汽船、6,862トン)には命中しなかったが、もう1隻、貨客船日光丸(東亜海運、5,057トン)に命中弾を与え、の地点で撃沈した。 日光丸は聖川丸とともに、台湾産の砂糖や帰国する引揚者、陸軍兵士および上海からの水兵などを乗せていた。日光丸が沈没すると共に、護衛艦が反撃に移った。逆襲を防ぐためティランテは護衛艦の1隻に対して魚雷を発射し、後に爆発音が聞こえた。戦後の記録では第102号海防艦の操舵機に魚雷が命中し、航行不能に陥ったと記録されている。ティランテ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ヒ68船団

    ヒ68船団から見た川崎汽船川崎汽船

    7月26日未明からラオアグ西方の南シナ海上において再開された襲撃では被害が続出した。まず、午前3時14分にフラッシャーの雷撃で逓信省標準船TM型タンカー大鳥山丸(三井船舶:5280総トン)が魚雷2発を受けて、積荷のガソリンが爆発炎上した末、の地点で沈没した。ほぼ同時に安芸丸も船首付近に魚雷1発を受けて損傷、3分後に東山丸もフラッシャーの魚雷1発が当たり航行不能となった。この攻撃でフラッシャーは残っていた魚雷6発を撃ち尽くした。特設運送艦聖川丸(川崎汽船:6862総トン)も、午前5時、浮上してレーダー照準と目視による襲撃をかけたアングラーの魚雷1発が船首付近に命中し、浸水したが沈没は免れた。損傷した安芸丸はなお12ノットで航行を続けられたが、午前5時半頃にクレヴァルから魚雷3発を命中させられ、5分または20分後にで沈没した。東山丸は午前11時47分に潜航中のクレヴァルからさらに魚雷4発を打ちこまれて炎上しながらも浮かんでいたが翌27日午前4時30分ないし5時に自衛装備の砲弾や爆雷が誘爆を起こし、午前10時45分についにで沈没した。ヒ68船団 フレッシュアイペディアより)

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