68件中 31 - 40件表示
  • 左義長

    左義長から見た川上村 (長野県)

    かんがり、かんがりや(長野県南佐久郡川上村左義長 フレッシュアイペディアより)

  • 左義長

    左義長から見た秋葉神社

    岐阜県海津市の今尾の左義長も県重要無形民俗文化財に指定され、毎年2月11日に盛大に行われている。鼓型の青竹神輿は全て竹と縄で作られ飾り物も色あざやかで、全長約5メートル重さ約2トンの吊り神輿としては全国唯一であり、13基の神輿が各町内から秋葉神社まで練り歩き奉納される。また、夜になれば秋葉神社に参拝し残り火で餅を焼き、これを食すれば病魔除けになると言われている。左義長 フレッシュアイペディアより)

  • 左義長

    左義長から見た宇奈月町

    富山県黒部市宇奈月町下立(おりたて)の下立神社で行われる行事。燃え上がる炎が鶴の飛び立つ姿に見え、それが「おおづる、こづる」に、それが訛って「おんづろこんづろ」になった。左義長 フレッシュアイペディアより)

  • 左義長

    左義長から見た清涼殿

    『弁内侍日記』建長3年1月16日(1251年2月8日)、『徒然草』にみえるから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。当時の貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」と言う杖で毬をホッケーのように打ち合う遊びがあり、小正月(1月15日)に宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖3本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり、その年の吉凶などを占ったとされる。すなわち、山科家などから進献された葉竹を束ねたものを清涼殿東庭にたて、そのうえに扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付け、陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、ついで鬼の面をかぶった童子1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が大鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。左義長 フレッシュアイペディアより)

  • 左義長

    左義長から見た北相木村

    かあがり(長野県南佐久郡小海町、南佐久郡南相木村、北相木村左義長 フレッシュアイペディアより)

  • 左義長

    左義長から見た近江八幡市

    国民の祝日の成人の日が1月15日から1月の第2月曜日に変更されたことに伴い、地域によっては左義長を1月の第2日曜日または第2月曜日に実施するところもある。滋賀県近江八幡市の左義長まつりは3月14・15日に近い土・日曜日に、担ぎ手の男性が信長の故事によって化粧し、「チョウヤレ、マッセマッセ」のかけ声高く実施される。この左義長は据え置く左義長ではなく、三角錐の松明に、ダシと言われるその年の干支にちなんだ飾り物(五穀や海産物等すべて自然物で飾り付ける)を付け、松明の頭に「十二月」と言われる赤い短冊をつけた5 - 6メートルの竹を差して練り歩く祭礼である。地区毎に左義長を持ち、町中で左義長同士が出会うと、ぶつけ合う喧嘩が始まる。最終日の夜には担ぎ棒を除いて全て燃やしてしまう。国選択無形民俗文化財に選択されている。左義長 フレッシュアイペディアより)

  • 左義長

    左義長から見たお盆

    民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。左義長 フレッシュアイペディアより)

  • 左義長

    左義長から見た美保関町

    島根県松江市美保関町片江地区で行われる行事。1月7日(2010年(平成22年)以降は1月第2日曜日)に行われる。神輿を持ち「チョーヤサー」と言いながら練り歩き、最後は神輿を持って海へ入る。その前の年に結婚した人やテレビのアナウンサーも海に入る。そして参加者や見物人の顔に墨を塗る。稀な例。左義長 フレッシュアイペディアより)

  • 左義長

    左義長から見た神社

    宮城県仙台市およびその近辺で行われるものの呼称。1月14日夜に正月飾りを焼き、その火にあたると病気をせず健康で暮らせるといわれる。石巻市周辺では、松の内が終わると漁が始まるため14日にどんと祭ができないという言い伝えがあり、1月7日に行われる。餅を焼くということはなく、だるまは登場しない。子供の祭りともされない。また、特に書初めを焼くということもない。場所の確保等の問題で年々少なくなりつつはあるものの、各地域ごとの神社で行われてきた。中でも大崎八幡宮のものは20万人以上が訪れるというもっとも盛大なもので、仙台市の無形民俗文化財に指定されている。「裸参り」と称し、男衆がふんどし姿で練り歩く行事も行われる。この裸参りには、女性の参加も増えている(女性はさらしを巻く)。左義長 フレッシュアイペディアより)

  • 左義長

    左義長から見ただるま

    長野県松本地方の呼称で、同地方で道祖神の祭りを統括する神主「福間三九郎太夫」の名前にちなむといわれるが、他にも諸説ある。だるまは一番目立つ頂上付近に飾り付ける。旧来は1月15日に行われていたが、最近は学校の休みに合わせ、1月7日頃行われるところが多い。「繭玉」と呼ばれる米の粉で作った団子を柳の枝に刺して焼いたものを食べ、無病息災の祈願をする。左義長 フレッシュアイペディアより)

68件中 31 - 40件表示

「左義長まつり」のニューストピックワード