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巫女から見た民間
巫女は柳田國男や中山太郎の分類によると、概ね朝廷の巫(かんなぎ)系と民間の口寄せ系に分けられる。柳田によれば巫系巫女は、関東ではミコ、京阪ではイチコといい、口寄せ系巫女は京阪ではミコ、東京近辺ではイチコ アズサミコ、東北ではイタコと呼ばれる。これらの呼称に関する点から、柳田は「もともとこの二つの巫女は同一の物であったが、時代が下るにつれ神を携え神にせせられて各地をさまよう者と、宮に仕える者とに分かれた」という説をだした。なお、日本に限らず海外の女性シャーマンも巫女と訳されることが多いが、堀一郎によれば日本の巫女は「海外のシャーマンのように、全員が精神的疾患を持っていない」「『神にせせられて』さまようものの、いわゆる憑依の症状をしていない」「そもそもシャーマンは『口寄せ』をしない」と言う点から、歩き巫女を含めた巫女と海外のシャーマンを区別しうるとする。(巫女 フレッシュアイペディアより)
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巫女から見た禊
渡り巫女(歩き巫女)は、祭りや祭礼や市などの立つ場所を求め、旅をしながら禊や祓いをおこなったとされる遊女の側面を持つ巫女である。その源流は、平安時代にあった傀儡師といわれる芸能集団で、猿楽の源流一つとされる。旅回りや定住せず流浪して、町々で芸を披露しながら金子(きんす)を得ていたが、必ずしも流浪していたわけではないので後に寺社の「お抱え」となる集団もあり、男性は剣舞をし、女性は傀儡回しという唄に併せて動かす人形劇を行っていた。この傀儡を行う女を傀儡女とよび、時には客と閨をともにしたといわれる。また、梓弓という鳴弦を行える祭神具によって呪術や祓いを行った梓巫女(あずさみこ)もいた。(巫女 フレッシュアイペディアより)
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巫女から見たキリストの降誕
民間伝承では救世主を待望する異教徒のシンボルであり、キリスト教美術の図像にはアトリビュート(持物)として書物を持つ姿が多く見られる。他に「ペルシアの巫女」は頭にヴェール、「リビアの巫女」は灯りのともった蝋燭、「キンメリアの(イタリアの)巫女」はコルヌコピア(豊穣の角)、「エリュトレイア(リディア)の巫女」は「受胎告知」の預言者として百合、「サモスの巫女」は「キリストの降誕」の預言者として秣桶(まぐさおけ)か揺り籠、「クマエの巫女」も「キリストの降誕」の預言者として貝殻、「ヘレスポントスの巫女」は「キリストの磔刑」の預言者として釘、「アグリッパの(エジプトの)巫女」は浅黒い肌で「キリストの笞打ち」の預言者として笞、「エウロパの巫女」は「エジプトへの逃避」の預言者として「嬰児虐殺」の剣を持つ。「フリュギアの巫女」は「キリストの復活」の預言者として十字架を伴い、「ティブルの巫女」は片手を切り落とされている。巫女の単独像は少なく、多くは群像として表現される。(巫女 フレッシュアイペディアより)