-
-
2008年J1最終節から見た巻誠一郎
迎えた11月29日の第32節、残留を争う大宮・横浜FMに連敗し、勝てなければ16位以下(入れ替え戦または自動降格)が確定してしまう可能性のあった17位千葉だったが、アウェーでの清水エスパルス(清水)戦でFW巻誠一郎のゴールで一度は追いつくも、GK岡本昌弘のはじいたボールをMF下村東美がクリアミスし痛恨のオウンゴールで勝ち越しを許し、後半の反撃も及ばず、逆に千葉の守備の要であるエディ・ボスナーが終了間際の2枚目のイエローカードで退場となり、最終節のFC東京戦は出場停止となるなど、千葉にとっては痛すぎる敗戦となった。これにより、京都・大宮・新潟の自動降格の可能性が消滅した。(2008年J1最終節 フレッシュアイペディアより)
-
東京ヴェルディ1969から見た巻誠一郎
川勝体制2年目。この年よりエンブレムの文字が「FC NIPPON」から「FOOTBALL CLUB」へと変更された。前年チーム内で最長出場の柴崎晃誠が川崎フロンターレに、得点数2位の高木俊幸が清水エスパルスに移籍した。小林祐希ら4人をユースより昇格させ、川崎で契約非更新となっていた森勇介や、期限付き移籍で岡山からキムテヨン、喜山康平(4年ぶりの復帰、8月にJFL・讃岐へ移籍)、大宮から市川雅彦、甲府からマラニョンなどを獲得。6月に高木善朗がエールディヴィジ・FCユトレヒトへと移籍した。7月には、元京都の中谷勇介、元アルテ高崎の秋葉勇志を獲得。ジュニアコーチの塗師亮を選手登録し、関西学院大学の梶川諒太を特別指定選手として登録した。8月には、元日本代表の巻誠一郎を獲得した。J1昇格争いに加わっていたが最終的に5位に終わりJ1昇格を逃した。なお、天皇杯は7年ぶりに初戦を突破した。(東京ヴェルディ1969 フレッシュアイペディアより)
-
イビチャ・オシムから見た巻誠一郎
2005年、かつての主力選手でもあった村井慎二、茶野隆行、サンドロ、マルキーニョス、ミリノビッチなどを放出した。しかし、技術に優れ攻守に貢献するマリオ・ハースや、DFながらも攻撃の組み立てに多大な貢献をするイリアン・ストヤノフの補強によって、その穴を埋めた。また、巻誠一郎が日本代表に初選出、水野晃樹、水本裕貴が、ワールドユース出場を果たすなど若手も成長し、戦力低下は招かなかった。ヤマザキナビスコカップでは準決勝で浦和レッズを倒して決勝戦に進出。決勝ではガンバ大阪と延長、PK戦と激闘を制しチームに初のタイトルをもたらした。(イビチャ・オシム フレッシュアイペディアより)
-
アレックス・ミラーから見た巻誠一郎
最大の特徴は、疲労や対戦相手との相性を重視し、試合ごとにスターティングメンバーやベンチ入りの選手を、猫の目のように変えたことである。前の試合で得点を挙げた選手、好調を維持している選手も戦術に合わないと見れば容赦なく休ませ、時にはエースである巻誠一郎すらベンチに置いた。どのチームもある程度スタメンを固定して戦う傾向のあるJリーグにおいて、このような明確なターンオーバー制を敷いたミラー指揮下の千葉は異彩を放っていた。しかし、そもそも完全なターンオーバーができるほどの豊富な戦力を千葉は有しておらず、入れ替えた選手が上手く機能せずに負けることも多かったため、このやり方には賛否両論があった。(アレックス・ミラー フレッシュアイペディアより)