
市毛良枝から見た山城丸
医師であった実父(第4次中東戦争のさい被弾した貨物船山城丸の船医を務めた)が献体を言い残して亡くなり、その解剖結果を父の担当医に報告した時に誘われて登山を始める。それまでスポーツ経験は全くなかった市毛だったが、初めての登山は非常に楽しいものであった。1999年には自らの経験を題材にした「山なんて嫌いだった」も出版し、環境問題にも関心を持つようになった。同年、環境庁の環境カウンセラーに登録され、田部井淳子率いる環境調査隊に参加した。1993年キリマンジャロ登頂。(市毛良枝 フレッシュアイペディアより)