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安房郡から見た平城宮
阿波国造の領域を中心に編成された。養老2年(718年)に安房国が分離するまでは上総国に属し、安房国分立後は同国に属した。大化から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡のひとつであり、安房坐神社(安房神社)の所在地として重んじられ、文武天皇4年(700年)2月5日には郡司に近親者の連任が許されている。一般に郡を治める郡司に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、安房郡では神社を代々まつってきた安房国造一族が重視されたものである。なお、藤原京出土木簡に「己亥年十月上挟国阿波評松里」(己亥年は西暦699年とあり、また平城宮木簡に「上総国阿波郡片岡里服織部……」とも見え、上挟(上総)、阿波(安房)、評(郡)の表記であったものと考えられている。(安房郡 フレッシュアイペディアより)
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なら・シルクロード博覧会から見た平城宮
平城宮跡会場以外は奈良公園周辺の会場で行われた。閉幕後も奈良公園シルクロード交流館で、シルクロードの歴史や奈良との関係を展示紹介している。(なら・シルクロード博覧会 フレッシュアイペディアより)
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