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平城宮から見た特別史跡
この研究記事がきっかけとなり、棚田嘉十郎・溝辺文四郎らが中心となり平城宮跡の保存の運動が起こった。1921年(大正10年)には、平城宮跡の中心部分が民間の寄金によって買い取られ、国に寄付された。その後、「平城宮址」は1922年(大正11年)に国の史跡に指定された(後に特別史跡)。この時、上田三吉を中心として発掘作業が実施されて大極殿(第二次)の北方(すなわち実際の内裏区域)にも遺構があることを確認した。ただし、上田もこれが内裏の一部であるとする認識には至らなかった。1928年(昭和3年)にも岸熊吉の発掘調査で今日内裏の東大溝として知られている部分を発見しているが、岸も内裏との関連性に気付くことはなかった。(平城宮 フレッシュアイペディアより)
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