-
石川裕紀から見た平岡拓晃
柔道は5歳の時に誠練館で始めた。結城東中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で3位となった。白鷗大足利高校に進学すると、2年の時にはインターハイ60kg級で優勝した。全日本ジュニアとアジアジュニアでは3位だった。3年のインターハイでは3回戦で敗れて2連覇はならなかった。2007年には東海大学に進学するが、3年まではこれといった活躍が見られなかったものの、4年の時に学生体重別の決勝で日体大の山本浩史を得意の一本背負投で破り優勝を飾った。2011年には了徳寺学園所属となった。選抜体重別では同じ所属の先輩である平岡拓晃に決勝で敗れたが2位となった。東アジア選手権では個人戦と団体戦で優勝を果たした。また、この年から実業個人選手権では4連覇を達成した。講道館杯では2年連続3位となった。2012年のグランドスラム・東京では決勝で東海大学の後輩となる高藤直寿に肩車で敗れた。2013年の選抜体重別決勝では、同じ所属の1年後輩となる川端龍に有効で敗れた。国体成年男子の部では千葉県チームの一員として優勝した。2014年の選抜体重別決勝では高藤に技ありで敗れて今大会3度目の2位にとどまった。(石川裕紀 フレッシュアイペディアより)
-
吉村和郎から見た平岡拓晃
2012年5月には体重別直後のロンドンオリンピック代表選手発表記者会見に出席して、代表選手の階級と名前を読み上げたものの、男子60kg級で長年この階級の代表を務めてよく知っているはずの平岡拓晃の名前を読むことが出来ず、さらには、「キログラム」をまともに発音することもほとんどできないという有様であった。。この会見をテレビで見た視聴者からは「酒を飲んでしゃべらせるんじゃない!」という苦情が全柔連に寄せられた。ただし、実際には吉村は酒は全く飲まない。さらに、この時の模様は動画サイトのYOUTUBEやニコニコ動画にも投稿されて多数のアクセスを呼んだ。また、この記者会見では全柔連の許可を得たフジテレビの意向で、発表の模様を見入る男女のオリンピック代表候補の表情がテレビ画面にアップで映し出される演出が行われたために、後に選手側から「見せ物のようにさらされた」と非難されることにもなった。(吉村和郎 フレッシュアイペディアより)
-
2017年世界柔道選手権大会から見た平岡拓晃
今大会はフジテレビ系列で放送される。ナビゲーターを野村忠宏、解説を平岡拓晃、秋本啓之、佐藤愛子、実況を鈴木芳彦、西岡孝洋、森昭一郎、リポーターを三四六がそれぞれ担当した。(2017年世界柔道選手権大会 フレッシュアイペディアより)
-
近畿大学附属広島高等学校・中学校福山校から見た平岡拓晃
平岡拓晃(了徳寺学園職員、北京オリンピック60kg級代表、ロンドンオリンピック60kg級銀メダリスト)(近畿大学附属広島高等学校・中学校福山校 フレッシュアイペディアより)
-
リショド・ソビロフから見た平岡拓晃
柔道は14歳の時にタシュケントで始めた。北京オリンピックでは金メダル獲得のチェ・ミンホに敗れるが、銅メダルを獲得した。2010年は1月のワールドマスターズで優勝すると、9月の世界選手権でも優勝を成し遂げた。2011年にはIJFより現役最優秀男子選手として表彰されると、世界選手権でも2連覇を果たした。しかし、2012年1月のワールドマスターズ決勝ではロシアのアルセン・ガルスチャンに敗れたことにより、2010年5月のグランドスラム・リオデジャネイロ決勝で平岡拓晃に敗れて以来、1年8か月ぶりの敗戦を喫することとなった。絶対の優勝候補として迎えた2012年7月のロンドンオリンピックでは準決勝で再びガルスチャンに敗れるが、3位決定戦には勝って前回に続いての銅メダルを獲得した。その後、階級を66kg級に上げてグランプリ・アブダビでは2位になった。2015年の世界選手権では3回戦で海老沼匡を破り、準々決勝で韓国のアン・バウルに敗れたものの、敗者復活戦を勝ち上がって3位となり、60kg級に続いて世界選手権でメダルを獲得することになった。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、3大会連続となる銅メダルを獲得した。(リショド・ソビロフ フレッシュアイペディアより)