-
バックスクリーン3連発から見た平田勝男
1985年のセントラル・リーグは4月13日に開幕し、阪神・巨人ともに開幕2連戦では初戦を落としたものの2戦目に勝利して1勝1敗とし、移動日を挟んで甲子園球場での阪神対巨人3連戦を迎えた。初戦(4月16日)は巨人が2点を先制するが、阪神は4回裏二死から掛布雅之が1号ソロ本塁打、さらに岡田彰布が四球で出塁後、佐野仙好の飛球を巨人の河埜和正遊撃手が落球(この間に岡田が得点)し同点に追い付き、動揺した巨人のこの試合の先発投手である加藤初から平田勝男が適時打で逆転、続く木戸克彦が1号2ラン本塁打(プロ初本塁打)、伊藤宏光が四球で出塁、加藤から交代した斎藤雅樹から真弓明信が3試合連続となる3号2ラン本塁打を打って一気に7点を挙げ、後の回の攻撃でもさらに3点を追加して10-2で勝利した。その翌日の2回戦(4月17日)がこの3連発の舞台であった。(バックスクリーン3連発 フレッシュアイペディアより)
-
-
立石充男から見た平田勝男
2006年には、シーズン途中から胃潰瘍で長期入院した島野育夫に代わり、二軍監督代行を務めた(シーズン終了後、平田勝男が正式に二軍監督就任した)。2010年から2012年までは育成チーフコーチを務めた。2014年から台湾・統一セブンイレブン・ライオンズのヘッドコーチに就任し、同年限りで退団。2015年から韓国プロ野球・ハンファ・イーグルスの二軍作戦・守備コーチに就任、2014年秋季沖縄キャンプよりチームに参加。2015年10月8日に来季の契約を結ばないことが明らかになった。10月13日に2016年から東北楽天ゴールデンイーグルス二軍内野守備走塁コーチに就任することが発表された。2017年からは一軍・二軍巡回内野守備走塁コーチ。(立石充男 フレッシュアイペディアより)
-
松永浩美から見た平田勝男
前年まで二桁盗塁をコンスタントにキープしていた松永は、当時阪神の正遊撃手だった久慈照嘉と相談して「もっと一塁ベースからのランニングエリアを硬くしてほしい」とグラウンドキーパーに要望を出したら「要望で軟らかくしている」と言われたので、誰の要望なのか聞き返したところ平田勝男の要望で軟らかくしたと言われ、「試合に出ない人の要望を聞いてどうするの。柔らかすぎて滑るんだよ」と言ったら、その柔らかさについてグラウンドキーパーが「幼稚園の砂場くらいか?」と質問し、松永は「いや、そんなには…」と答えた(その後甲子園は、赤星憲広の入団によって硬めの仕様となっている)。この一連のやりとりが松永のFA宣言当時、一部マスコミによって「松永が『甲子園の土は幼稚園の砂場』と発言した」と歪曲報道され、火に油を注ぐことになってしまった。(松永浩美 フレッシュアイペディアより)