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戸辺誠から見た広瀬章人
広瀬章人、高崎一生とは同い年で、上述の第23回(1998年)小学生将棋名人戦では、茨城県勝田市立(現ひたちなか市)勝倉小学校6年の戸辺は3位。優勝者は高崎。広瀬は東日本大会で戸辺に敗れている。また、第51期王位リーグで戸辺に唯一の黒星をつけたのは高崎で、このとき王位挑戦権を得たのは広瀬。また、2010年6月6日放送のNHK杯戦・対西川和宏戦では、対局者2名・読み上げ係・記録係の4名全てが同学年という、極めて珍しい状況が生じた(西川は1986年4月2日生、読み上げの藤田綾女流初段は1987年3月24日、記録の荒木宣貴奨励会三段は1986年5月5日生)。(戸辺誠 フレッシュアイペディアより)
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甲斐智美から見た広瀬章人
1998年、女流1級となるが、女流棋士会を休会し関東奨励会に6級で入会。同期には、のちに王位のタイトルを獲得する広瀬章人や、戸辺誠、高崎一生らがいた。かつては女流と奨励会の掛け持ちが認められていたが、1998年に女流棋士総則が改正され、「女流棋士が新たに奨励会に籍をおく場合は女流棋士を休場しなければならない」という規定ができたため、この規定の適用者第1号となった。なお、奨励会の対局開始は9月であったが、同年の女流棋戦で不戦敗が生じないところまでは指しており、その最後の対局となる第25期女流名人位戦B級リーグ第9回戦(12月2日)で勝って7勝2敗とし、A級リーグ昇級・女流初段昇段に相当する成績を残した。奨励会では一時1級まで昇級したが、2003年8月9日に2級で退会。同年9月1日に約5年ぶりに女流棋士に復帰。休会当時の成績により、女流初段に昇段しての復帰となった(ただし、女流名人位戦リーグの予選から改めて参加)。(甲斐智美 フレッシュアイペディアより)