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1977年の日本シリーズから見た張本勲
2回に王貞治の本塁打で同点に追いつかれた阪急は、すぐその裏に大橋穣の中前打でたちまち勝ち越し、投手の山田も左翼線を破る二塁打で追加点。5回にも巨人2番手の浅野啓司を攻めて試合を決めた。巨人の得点は王、張本勲のソロ本塁打だけで、山田が完投勝利。(1977年の日本シリーズ フレッシュアイペディアより)
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1981年のオールスターゲーム (日本プロ野球)から見た張本勲
長年、両軍の主力打者として活躍した王貞治(読売ジャイアンツ)・野村克也(西武ライオンズ)が引退し張本勲(ロッテオリオンズ)・柴田勲(巨人)・松原誠(巨人)らが現役最晩年を迎える中で落合博満(ロッテ)・原辰徳(巨人)・石毛宏典(西武)ら1980年代をリードする選手たちが台頭したのもこの年の球宴の特徴だった。(1981年のオールスターゲーム (日本プロ野球) フレッシュアイペディアより)
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土井正博から見た張本勲
1964年の28本塁打以降、6年連続で20本塁打を記録。1967年のオールスターゲームでは第1戦で2本塁打を放ち6打点、第2戦で3点本塁打の長池徳二、第3戦で満塁本塁打の大杉勝男とともにMVPを獲得、新時代の「実力のパ・リーグ」を見せつけた。同年は打率.323を記録するが、張本勲に次ぐ2位に終わり首位打者を逃す。1970年、賭博容疑(黒い霧事件)で書類送検され1ヶ月の出場停止処分を受けるが、翌1971年は打率.309、40本塁打、113打点と自己最高の成績を残す。なお、近鉄在籍時代に記録した通算打点960は近鉄球団最多記録となった。(土井正博 フレッシュアイペディアより)