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    張本勲から見た濃人渉

    プロ野球出身者で直接の被爆により被爆者健康手帳を交付されたのは、張本と濃人渉の2人のみである。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た河埜和正

    阪神との1962年の日本シリーズ第7戦の(1点リードから同点に追い付かれた)10回裏にベンチに下げられ、その後12回裏に日本一決定の瞬間を迎えるという経験をしている。また、巨人時代、レフトにライナーやゴロが飛ぶと、遊撃手の河埜和正がカバーに入ることが多かった。リードして迎えた試合終盤には、守備固めの二宮至と交代させられることが何度もあった。長嶋監督に失策の理由を聞かれた時には、「あれは空中イレギュラーです」と答えていたという。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た池田重喜

    1000得点:1972年7月16日、対ロッテオリオンズ16回戦(東京スタジアム)、8回表に池田重喜から右越場外3ラン ※史上9人目張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た山崎正之

    打撃のコツについては、後年、バッターボックスでの構えについて「雨の日の立ち小便」(リラックスしながら腰を落とす)のように構えるとよい、と語ったこともある。現役時代、天才または運と呼ばれたことに対して、「ある日突然バッティングの才能が目覚めるなんてことは絶対ない。半狂乱になってバットを振って振って振りまくった人だけに打撃の極意というものは見えるんです」と語っている。キャンプなどでも張本は布団の横にバットを置いていて、夜もたびたび起き上がって素振りをしていたという。山崎正之は張本とキャンプで相部屋になった際に、張本が毎夜寝ている自分の数十センチ上で素振りを繰り返すため、寝るに寝られず睡眠不足になり、「あれほど不気味な風の音を聞いたことはない」と振り返っている。後年、張本は落合博満が三冠王を獲得した頃に自分の手について「柔らかいでしょう。とてもたくさん素振りしているような手ではないですよね」と語っていることに対して、「あれは落合の謙遜。彼の手は本当にバットを振り込んだ手だ」と述べている。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た山田久志

    4000塁打:1975年5月18日、対阪急ブレーブス前期9回戦(徳島県鳴門総合運動公園野球場)、8回裏に山田久志から左中間二塁打 ※史上5人目張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た佐藤政夫

    400二塁打:1979年5月25日、対横浜大洋ホエールズ8回戦(横浜スタジアム)、8回表に佐藤政夫から左翼線二塁打 ※史上5人目張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た足立光宏

    退場処分を受けたことは1度もないが、東映時代の1964年3月26日の阪急戦の9回表、張本は牽制球で三本間に挟まれ本塁に突入した際、捕手の山下健に体当たりした。この行為で足立光宏が「ひどいじゃないか」と言うと、張本は激高して足立を数回小突いた。ダリル・スペンサーが「ノープッシュ」と言うと、張本は岩下光一からバットを奪ってスペンサーを殴ろうとした。東映ナインがなだめ、一時はベンチに戻るも、またベンチからバットを持ち出してスペンサーにめがけて走り出し、これも寸前で止められ、大事には至らなかった。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た城之内邦雄

    日本ハム時代と巨人時代に、それぞれ1回ずつ警察の取り調べを受けたことがある。暴言とおぼしき発言をされたとして試合前に城之内邦雄(当時ロッテ)を殴った件と、1976年4月16日、宿舎に帰るために停まっていた巨人選手の乗ったバスが、試合中の判定トラブルから広島のファン500人に包囲された際、広島ファンが「張本に殴られた」と騒ぎ立てた件である。この広島での事件は、張本がセ・リーグの巨人に移籍して最初の広島遠征だった日で、故郷に錦を飾っただけに母や兄も招待していた。ところが故郷に錦を飾るどころか、張本は広島ファンに目の敵にされ、民族蔑視的なヤジを集中的に浴びた。6-4と広島リードの9回表に巨人が1点を返し、なお二死一、二塁から山本功児がセンター前ヒットを放ち、同点と思われたが、山本浩二の好返球と水沼四郎の好ブロックで二塁ランナー土井正三が本塁タッチアウトになった。微妙な判定に長嶋監督以下、コーチ陣、巨人ナインが本塁上の審判に詰め寄り猛抗議を繰り広げた。それに怒った広島ファンがグラウンドに飛び出し長嶋監督に殴りかかろうとした。これは張本と原田治明、黒江透修コーチらがブロックし事なきを得たが、広島ファン500人が巨人の帰りのバスを取り囲んだ。広島ファンは口々に「張本あやまれ!」と連呼。広島出身の張本が宿敵・巨人に移籍したのを快く思わないファンも多く、また前年球団創立初のリーグ優勝を果たした広島だったが、この年は開幕ダッシュに失敗し、この試合まで5敗2分けと低迷し、広島ファンのフラストレーションが溜まっていた。張本が特に標的にされ、帰りのバスに乗り込む際に暴漢が張本を襲った。相手を避けるために張本が手で払いのけたとき、後輩選手がバットで暴漢をコンと叩いたら頭が割れて血が出た。すると周囲のファンが「張本にやられた」と騒ぎ始めた。張本は傷害容疑で事情聴取されたが自分をかばってくれた選手の名を明かさなかった。母や兄も現場をしっかり見ていたから「やったのは自分じゃないとなぜ言わないのか」と責めたが「私を助けようとした後輩の名前はいえない」と頑なに話さなかった。後に暴漢が槌田誠に頭を叩かれる場面を偶然撮影した写真が出て張本の嫌疑は晴れた。しかし疑われたときに出た山のような報道に比べると真実を伝える記事はごく僅かだった。この事件で張本が最もショックを受けたのは民団の幹部が「やったんなら、手錠をかけて刑務所へ連れていけ」と発言したことだったという。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た宣銅烈

    来歴に記したように、韓国の野球界にも多くの支援を行った。長嶋茂雄は「ぼくは張が韓国プロ野球実現のために努力していることに対して、陰ながら拍手を送っていたんです」と韓国政府の要請を受けて張本の仲介で1982年1月、韓国ソウルで野球セミナーを行った。韓国球界の至宝・重鎮と言われ、中日ドラゴンズで活躍した宣銅烈も、張本の前では直立不動だったという。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た大川博

    中日ドラゴンズと東映フライヤーズの一騎討ちになったが、東京への憧れもあり、に東映フライヤーズに入団。当時の東映は同郷の先輩である岩本義行を始め、母校である浪商の先輩を多数抱えていた。契約金は200万であった(中日は600万を提示していた)。張本はまだテレビがなくセ・リーグの方が人気があるとは知らなかったため、「わかっていたら中日に入団していたと思う」と話している。なお、この入団と前後して東映の社長で球団オーナーの大川博は当時プロ野球の規約で「外国人選手は2人まで」となっていた問題の改正に取り組み、「生まれた時に日本の国籍を持っていた選手」は外国人選手に含めないと改正させている。契約金200万で母親のために広島に念願の一軒家を建てた。若いころ、仲のいい王貞治をこの家に招いたこともある。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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「張本勲」のニューストピックワード

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  • 今年はダルビッシュぐらい…あとは全滅だ。恥ずかしい成績

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