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張本勲から見たサンデーモーニング
引退後は、1982年より東京放送(TBSテレビ・TBSラジオ)野球解説者、スポーツニッポン野球評論家を務める。また、2000年頃よりTBSテレビの『サンデーモーニング』のスポーツコーナー『週刊 御意見番』に大沢啓二(2010年10月の大沢死去)と共にコメンテーター(御意見番)としてレギュラー出演。2006年まではテレビ・ラジオの中継に出演していたが、2007年以降は「週刊 御意見番」への出演に絞る。中継から外れて以降も、各出版社が発売している一部プロ野球名鑑に掲載される解説者・評論家名鑑 では引き続きTBS解説者として掲載されている(2012年からは一部名鑑 でフリー解説者として扱われている)ほか、『サンデーモーニング』公式サイト内同コーナー情報ページでは「TBS野球解説者」と明記されている。(張本勲 フレッシュアイペディアより)
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張本勲から見た岩隈久志
5月23日放送分で、途中降板した岩隈久志へ「エースとしてマウンドを守るべきである!」と「喝!」を入れた。この際、出演者である江川紹子は「えーっ」と驚き、「途中降板もありなのではないでしょうか」という意見を述べた。放映中には口論にならなかったものの、両者の関係がこじれたため、後日TBS側は何度か両者も交えた話し合いを行った。しかし解決に至らず、江川は6月20日放送分への出演自粛をTBSから求められたとツイッターで明らかにした。江川はこの中で「5月23日の放送での私の言動について、張本勲氏が立腹し、江川を番組に出さないようにTBSに求めたためです」と記し、7月も同様の理由で出演できないとしていた。(張本勲 フレッシュアイペディアより)
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張本勲から見た大豊泰昭
臨時コーチを何度も務めている。中日の沖縄秋季キャンプの臨時コーチを務めた1992年には、一旦挫折しかけた大豊泰昭の一本足打法を完成させるきっかけを作っている。自身の著書で、監督の打診を受けたことがあったものの「入り込んでしまうからやめた方がいい」と母親に猛反対されたので断ったと記している。ロッテのゼネラル・マネージャーだった時期の広岡達朗から、ボビー・バレンタイン監督の下でのヘッド兼打撃コーチの打診を受けたことがあったが、張本がトップ(監督)でやりたいと言って断っている。週刊文春の連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」に登場した際(2015年10月1日号)は、球団は言えないが3球団から監督の要請があったことを明かしている。(張本勲 フレッシュアイペディアより)
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張本勲から見た正力亨
1979年オフ、網膜の病気で視野が狭くなり成績が落ちたため、ロッテへの放出が内定していた。ところが巨人軍の納会の席で、それまで一回もフロントに意見したことのなかった王が、当時オーナーの正力亨に「張本君に巨人で3000本安打を達成させてあげてください」と張本の巨人残留を必死に直訴した。この王の発言に正力は「王君どうしたんだ?酔っているのか?」と驚いたが、王は「いえオーナー、私は酔っていません、お願いです」と迫った。張本は思いがけない展開に感動のあまり、泣きながらそれを止めたという。後年「それ以降、ワンちゃん(王貞治)に対しては、どんなことがあっても絶対服従と誓った」と語っている。さらに、2009年のワールド・ベースボール・クラシック監督には王しかいない、と主張し、王に対しても「(胃癌手術を終えた王に)何かあったら、私があんたの面倒を一生見るから」とまで伝えたという。(張本勲 フレッシュアイペディアより)