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    張本勲から見たレオン・リー

    1500得点:1980年9月5日、対阪急ブレーブス後期8回戦(阪急西宮球場)、5回表にレオン・リーの適時二塁打で生還 ※史上3人目張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た星野伸之

    2001年にスタートしたプロ野球マスターズリーグでは、東京ドリームスに選手兼任コーチとして所属し、試合にも出場している。なかなかヒットが打てなかったが、2005年に5年越しの初安打を放った。本人は「(投手の)星野伸之(元オリックス)が手加減してくれた」とコメントしている。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た長嶋茂雄

    、高橋一三・富田勝との交換トレードで巨人へ移籍。憧れであった巨人に入団したことで奮発し、オフやキャンプで徹底した走り込みを敢行した。同年、翌と続けて高打率を残し、2年連続でリーグ2位の打率を記録。1976年においては、首位打者を獲得した谷沢健一との打率差がわずか1毛(厳密には7糸)で、歴代で最も1位と2位との差が小さい記録である。親友の王貞治と組んだ「OH砲」は、第一期長嶋茂雄監督時代の2度の優勝に貢献した。7月24日、日本プロ野球名球会が設立され、規定(昭和生まれ、通算2000本安打記録)を満たす張本も入会。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た星野仙一

    450本塁打:1977年7月20日、対中日ドラゴンズ13回戦(後楽園球場)、2回裏に星野仙一から右越ソロ ※史上3人目張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た立浪和義

    大川博東映社長の意向もあって1軍に抜擢され、高卒の新人選手ながら開幕戦のスタメンに名を連ねた(同年、王貞治も新人で開幕スタメン出場。NPBで18歳の高卒新人の開幕スタメンは以後1965年の飯田幸夫、1988年の立浪和義、2006年の炭谷銀仁朗、2012年の駿太しかいない)。デビュー戦は阪急戦で、米田哲也の剛速球に全くついていけず三振、直後の守備でバンザイをして即交代させられた。翌日の阪急戦で第1打席で秋本祐作から二塁打を打ち初ヒット、第2打席で石井茂雄から初本塁打を放つ。6月23日からは4番を打つ。入団1年目からレギュラーに定着。13本塁打を放ち、新人王を獲得した。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た大豊泰昭

    臨時コーチを何度も務めている。中日の沖縄秋季キャンプの臨時コーチを務めた1992年には、一旦挫折しかけた大豊泰昭の一本足打法を完成させるきっかけを作っている。自身の著書で、監督の打診を受けたことがあったものの「入り込んでしまうからやめた方がいい」と母親に猛反対されたので断ったと記している。ロッテのゼネラル・マネージャーだった時期の広岡達朗から、ボビー・バレンタイン監督の下でのヘッド兼打撃コーチの打診を受けたことがあったが、張本がトップ(監督)でやりたいと言って断っている。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た山内一弘

    ロッテへ移籍した1980年、当時の監督だった山内一弘や金田正一など多くの評論家が酷評した落合博満の特異な打撃フォームを「素晴らしい、このままのスイングで打てる」と絶賛していた。その後、落合は三冠王に3度輝いたが、当時から張本は落合の非凡な才能を見抜いていたことが証明された形となる。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た炭谷銀仁朗

    大川博東映社長の意向もあって1軍に抜擢され、高卒の新人選手ながら開幕戦のスタメンに名を連ねた(同年、王貞治も新人で開幕スタメン出場。NPBで18歳の高卒新人の開幕スタメンは以後1965年の飯田幸夫、1988年の立浪和義、2006年の炭谷銀仁朗、2012年の駿太しかいない)。デビュー戦は阪急戦で、米田哲也の剛速球に全くついていけず三振、直後の守備でバンザイをして即交代させられた。翌日の阪急戦で第1打席で秋本祐作から二塁打を打ち初ヒット、第2打席で石井茂雄から初本塁打を放つ。6月23日からは4番を打つ。入団1年目からレギュラーに定着。13本塁打を放ち、新人王を獲得した。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た正力亨

    1979年オフ、網膜の病気で視野が狭くなり成績が落ちたため、ロッテへの放出が内定していた。ところが巨人軍の納会の席で、それまで一回もフロントに意見したことのなかった王が、オーナーの正力亨に「張本君に巨人で3000本安打を達成させてあげて下さい」と張本の巨人残留を必死に直訴した。この王の発言に正力は「王君どうしたんだ?酔っているのか?」と驚いたが、王は「いえオーナー、私は酔っていません、お願いです」と迫った。張本は思いがけない展開に感動のあまり、泣きながらそれを止めたという。後年「それ以降、ワンちゃん(王貞治)に対しては、どんな事があっても絶対服従と誓った」と語っている。さらに、2009年のワールド・ベースボール・クラシック監督には王しかいない、と主張し、王に対しても「(胃がん手術を終えた王に)何かあったら、私があんたの面倒を一生見るから」とまで伝えたという。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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    張本勲から見た川上哲治

    NHKの番組で張本の右手を取り上げる企画が予定されたが、張本は拒否。その後、NHKの解説者を務めていた川上哲治にだけ、現役引退後の座談会で右手を見せたが、川上は「よくもそんな手で…」と涙を流しながら絶句していたという。張本勲 フレッシュアイペディアより)

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