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井山裕太から見た張栩
中学1年のときにプロ入り。平成生まれ初の棋士となる。2005年、史上最年少記録16歳4か月で全棋士出場の棋戦で優勝を果たす(阿含桐山杯)。この優勝により史上初の四段から七段への飛び級昇段をし歴代最年少の七段となる。17歳の時、史上最年少(当時)で三大リーグ入り。2009年、19歳のときに名人戦リーグを勝ち抜き史上最年少で七大タイトルの挑戦権を得る。挑戦手合は張栩名人の前に3勝3敗と並ぶも最終局で敗れ獲得とはならず。しかし翌年再び名人戦リーグを全勝で勝ち抜き張栩名人への挑戦権を得る。この1年で力をつけた井山は4勝1敗と圧倒し七大タイトルを史上最年少で獲得し、20歳4か月で名人となる。(井山裕太 フレッシュアイペディアより)
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坂井秀至から見た張栩
2010年、碁聖戦4連覇中で、5連覇による名誉碁聖資格のかかっていた張栩碁聖(四冠)に挑戦し、3勝2敗で初七大タイトルを奪取。大学卒業後にプロ入りした棋士として、初のタイトル挑戦者にして初の七大タイトルの獲得者となった(大学卒業者であれば、プロ入り後に大学を卒業した淡路修三がタイトル挑戦者となっている)また、このタイトル獲得は関西棋院にとって、1981年に橋本昌二が加藤正夫王座を下しこれを得、翌年加藤に敗れ失冠以来29年ぶりの七大タイトル奪取となる。七大タイトル奪取により昇段規定で八段昇段を果たす。第35期名人戦リーグ残留(6期連続)。(坂井秀至 フレッシュアイペディアより)
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