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趙治勲から見た張栩
張栩とは27戦して6勝21敗 (2012年初現在)と大きく負け越しており、天敵というべき存在である。2009年に出演した囲碁・将棋ジャーナルで、張栩の対局するNHK杯戦へのコメントを求められ、「張栩さんに (トーナメントから)早く消えてほしいですね。張栩さんがいると、私は悲しいですから」と語った上で、対戦相手の中小野田智己にエールを送り、他の出演者の笑いを誘った。また2010年、NHK杯で対戦する前のインタビューでは、「昔小林光一さんにいじめられて、最近やさしくなったら、今度は (義理の)息子にもっといじめられて、生きてられない、悲しい」とユーモアを交えて語っている。(趙治勲 フレッシュアイペディアより)
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趙漢乗から見た張栩
1995年入段。1998年にLG杯世界棋王戦に初出場するが、1回戦で周俊勲に敗れる。2001年、新人王戦優勝、61勝23敗で最多勝、最多対局を獲得。2002年64勝17敗で最多勝、21連勝で最多連勝。同年、国手戦挑戦者決定戦で李昌鎬に0-2で敗れる。2003年、国手戦挑戦者となるが、李昌鎬に0-3で敗れる。同年、LG杯世界棋王戦で羽根直樹、王立誠を破ってベスト4進出するが、李世?に敗れる。またLG杯ではこの年から3期連続でベスト4進出。2004年、KBS杯バドゥク王戦に準優勝し、翌年のテレビ囲碁アジア選手権戦に出場、決勝で張栩に敗れ準優勝。同2005年の農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦では3人抜きを果たす。2006年九段、天元戦で李世?を3-1で破って初タイトル獲得。2007年に再開した名人戦では、6勝3敗で李世?に次ぐリーグ2位となり、李世?との決勝五番勝負は0-3で準優勝。26歳になった2008年から2年間の兵役に就く。2009年第1回BCカード杯世界囲碁選手権戦では、決勝で古力に1-3で準優勝。(趙漢乗 フレッシュアイペディアより)
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