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    後藤光尊から見た高村祐

    は開幕直後に故障で出遅れたものの、6月から2番、7月以降は9番・遊撃手のレギュラーに定着し、この年は9本塁打を記録した。9月には、7日の対近鉄戦で高村祐から逆転サヨナラ2点適時三塁打を放つと、同月27日の対ダイエー戦では延長10回裏に岡本克道からサヨナラソロ本塁打を放ち、マジック1で胴上げがかかっていたダイエーの胴上げを阻止する一撃となった。オフに背番号を1に変更。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た大引啓次

    の開幕当初は同年から加入したグレッグ・ラロッカが三塁手に、新人の大引啓次が遊撃手で起用された。しかし、阿部が故障で離脱した4・5月には二塁手、ラロッカが離脱した6月には三塁手、シーズン終盤に大引が打撃不振に陥ると遊撃手として出場し、穴を埋めた。9月17日の対ロッテ戦では延長戦に入って外野手を全員使い切ったため、プロ入り後初めて公式戦で左翼手を務めた。その時の心境について「練習はしていたけれど、ビックリした。けど、1球ぐらい捕りたかった。(守備機会は無かったため)」とコメントしている。序盤は打率2割台前半に停滞していた打撃は終盤に復調し、9月にはほぼ全試合に出場した。同じ守備位置、打順で6試合以上連続してスタメン起用されない中で自己最多の107試合に出場、初の2桁本塁打、チーム4位の34打点を挙げた。同年も1、3、4番以外の打順でスタメン出場した。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見たロベルト・バルボン

    は岡田彰布新監督にシーズン前から3番を任命され、開幕2戦目の対楽天戦では9回裏1死で福盛和男から同点本塁打を放ったが、3・4月は月間打率.265だった。交流戦に入ると徐々に調子を上げて交流戦打率.369、対阪神戦は4試合で17打数10安打2本塁打7打点を記録するなどチームの交流戦初優勝に貢献した。8月には選手会長の日高剛とチーム最年長の田口壮が二軍調整の為、精神的支柱を欠く状況を打破する目的で球団初のキャプテン制導入に伴いゲーム・キャプテンに任命された。その後も3番打者として出場し続けて9月26日の対ロッテ戦では延長10回に薮田安彦からサヨナラ2ラン本塁打を放つなど、143試合に出場して打率.295、16本塁打、73打点、二塁手としてはのロベルト・バルボンの記録を更新して球団新記録となる174安打と自己最高の成績を残したが、併殺打はリーグ2位タイ(西武・中島裕之と同数)の20、3番打者に定着しクリーンナップを1年間務めながらリーグ3位(1位は川崎宗則、2位は西岡剛)の590打数を記録、四球の少なさが目立ってしまった。また、野手の中では北川博敏と共に2人だけシーズン通して一軍に登録され続けた。同年8月11日に国内FA権を取得し、11月12日に残留を基本線として権利を行使し、11月26日に「岡田監督に恩返ししたい」として残留を正式表明すると同時に「生涯オリックス」宣言をした。オフシーズンにはイチローと合同自主トレを行った。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た三澤興一

    初安打:同上、8回表に三澤興一から二塁内野安打後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た和田毅

    は開幕戦で9回裏1死の場面で、完投勝利目前の和田毅から同点ソロを放ち、チームの敗戦を救う働きも見せたが、シーズン序盤は不調で、更に胃腸炎のために5月12日に登録抹消。5月31日の対横浜戦で復帰し、緩やかに調子を上げていく。8月11日の対楽天戦で4番として出場し本塁打を放ち、プロ野球史上9人目となる全打順本塁打を達成した。すると、8月14日の西武戦から9月15日の楽天戦まで安打を放ち、球団史上初・パ・リーグでは歴代5位タイとなる26試合連続安打を記録した。9月16日の対ロッテ戦では無安打に終わったが、この試合で四球を選んだ事で連続試合出塁は継続され、10月5日の対西武戦まで43試合連続出塁を記録した。結局、9月は全25試合のうち、前述の16日の試合を除く24試合で、リーグ歴代4位タイの月間44安打を放ち、月間打率.436を記録して自身初の月間MVPを獲得した。最終的には打率もリーグ3位の打率.312を記録し、自身初の3割となった。しかしその一方で、得点圏打率は.280と低かった。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見たケン・グリフィー・ジュニア

    憧れの選手はケン・グリフィー・ジュニアである。高校時代選抜大会に出場した際、毎日新聞に掲載されたチーム紹介でもその名前を確認できる。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た中日ドラゴンズ

    1000試合出場:2012年6月17日、対中日ドラゴンズ4回戦(京セラドーム大阪)、3番・二塁手で先発出場 ※史上452人目後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た広島東洋カープ

    は初めて100試合以上に出場し、規定打席には届かなかったものの打率.295を記録するなど、打撃好調を維持した。5月13日の対広島戦では延長10回裏に小山田保裕からサヨナラ本塁打を放ち、オリックス・バファローズとして初のサヨナラゲームを飾った。同年は球団合併により遊撃手である阿部真宏が加入してきたため、主に三塁手や指名打者での出場だった。ある程度の長打力と走力を持つことから、打線が中々固定できないチーム事情や対戦相手によって大きく打順を変える仰木彬監督の采配もあって全打順でのスタメン出場を達成。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た埼玉西武ライオンズ

    1000本安打:2012年7月31日、対埼玉西武ライオンズ12回戦(西武ドーム)、1回表に石井一久から右中間適時二塁打 ※史上269人目後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た安打

    は岡田彰布新監督にシーズン前から3番を任命され、開幕2戦目の対楽天戦では9回裏1死で福盛和男から同点本塁打を放ったが、3・4月は月間打率.265だった。交流戦に入ると徐々に調子を上げて交流戦打率.369、対阪神戦は4試合で17打数10安打2本塁打7打点を記録するなどチームの交流戦初優勝に貢献した。8月には選手会長の日高剛とチーム最年長の田口壮が二軍調整の為、精神的支柱を欠く状況を打破する目的で球団初のキャプテン制導入に伴いゲーム・キャプテンに任命された。その後も3番打者として出場し続けて9月26日の対ロッテ戦では延長10回に薮田安彦からサヨナラ2ラン本塁打を放つなど、143試合に出場して打率.295、16本塁打、73打点、二塁手としてはのロベルト・バルボンの記録を更新して球団新記録となる174安打と自己最高の成績を残したが、併殺打はリーグ2位タイ(西武・中島裕之と同数)の20、3番打者に定着しクリーンナップを1年間務めながらリーグ3位(1位は川崎宗則、2位は西岡剛)の590打数を記録、四球の少なさが目立ってしまった。また、野手の中では北川博敏と共に2人だけシーズン通して一軍に登録され続けた。同年8月11日に国内FA権を取得し、11月12日に残留を基本線として権利を行使し、11月26日に「岡田監督に恩返ししたい」として残留を正式表明すると同時に「生涯オリックス」宣言をした。オフシーズンにはイチローと合同自主トレを行った。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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