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    後藤光尊から見た原拓也 (野球)

    阪神から平野恵一がFAによる移籍でオリックスに復帰。しかし、開幕前に平野が怪我で離脱したこともあって、開幕から主に7番・セカンドでスタメンに名を連ねた。しかし、開幕から低調な成績が続き、7月4日に登録抹消されるとその間に怪我の平野が復帰、ショートを守っていた安達了一が二塁を守ったり、原拓也などが台頭し、自身も二軍でも調子が上がらないこともあり、以降は長らく二軍での調整が続いた。結局、シーズン終盤でようやく昇格し、2試合出場しシーズンを終えた。シーズン通算では69試合で打率.243、3本塁打、16点と2010年に結ばれた長期契約の中では最も低い成績に終わった。なお、シーズン終了後の12月11日に臨んだ契約更改では、前述の契約期間が(2011年から)4年以上であることが判明している。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見たショーン・バーグマン

    初打席:同上、1回表にショーン・バーグマンの前に三振後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た馬原孝浩

    開幕から二塁手のレギュラーに定着。4月23日に自身が放った打球がチームメイトのアレックス・カブレラの足に直撃して戦線離脱させてしまい、自身も5月16日に右太もも裏肉離れのため出場選手登録を抹消され、早期回復を目指すも再発を繰り返す。9月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦に代打として復帰出場して適時打を放ち、翌日にはソロ本塁打を放つ。9月17日の対ソフトバンク戦では1点ビハインドの9回裏に馬原孝浩から同点ソロ本塁打、延長10回裏にサヨナラ犠飛を放つなどの活躍もあったが、前年の半分以下の54試合の出場にとどまり、成績も落ち込んだ。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見たケビン・ユーキリス

    一軍の内野陣を一塁手・銀次、二塁手・藤田一也、三塁手・ケビン・ユーキリス、遊撃手・松井稼頭央で固定するチーム方針を背景に、春季キャンプから外野守備を練習。オープン戦から公式戦の開幕直後までは、もっぱら左翼手としてスタメンに起用された。ユーキリスと銀次が故障で相次いで戦線を離脱した6月上旬から、銀次が一軍へ復帰するまでは、主に「3番・三塁(または一塁)」としてスタメン出場。銀次の復帰後は、遊撃手を中心に起用されたが、7月7日に移籍後初めて出場選手登録を抹消された。141打席で打率.203、1本塁打、わずか1四球という低調なシーズンであったが、オリックス時代からの複数年契約のため、現状維持の推定年俸1億5000万円で契約更改した。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た高村祐

    開幕直後に故障で出遅れたものの、99試合に出場。6月から2番、7月以降は9番・遊撃手のレギュラーに定着し、この年は9本塁打を記録した。9月には、7日の対大阪近鉄バファローズ戦で高村祐から逆転サヨナラ2点適時三塁打を放つと、同月27日の対福岡ダイエーホークス戦では延長10回裏に岡本克道からサヨナラソロ本塁打を放ち、マジック1で胴上げがかかっていたダイエーの胴上げを阻止する一撃となった。オフに背番号を1に変更。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た五十嵐章人

    全打順本塁打達成時点の通算本塁打は72本で、五十嵐章人の26本に次いで2番目に少ない後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た大引啓次

    開幕当初は同年から加入したグレッグ・ラロッカが三塁手に、新人の大引啓次が遊撃手で起用された。しかし、阿部が故障で離脱した4・5月には二塁手、ラロッカが離脱した6月には三塁手、シーズン終盤に大引が打撃不振に陥ると遊撃手として出場し、穴を埋めた。9月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦では延長戦に入って外野手を全員使い切ったため、プロ入り後初めて公式戦で左翼手を務めた。その時の心境について「練習はしていたけれど、ビックリした。けど、1球ぐらい捕りたかった。(守備機会は無かったため)」とコメントしている。序盤は打率2割台前半に停滞していた打撃は終盤に復調し、9月にはほぼ全試合に出場した。同じ守備位置、打順で6試合以上連続してスタメン起用されない中で自己最多の107試合に出場、初の2桁本塁打、チーム4位の34打点を挙げた。同年も1、3、4番以外の打順でスタメン出場した。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見たロベルト・バルボン

    新監督の岡田彰布にシーズン前から3番を任命され、開幕2戦目の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では9回裏1死で福盛和男から同点本塁打を放ったが、3・4月は月間打率.265だった。交流戦に入ると徐々に調子を上げて交流戦打率.369、対阪神タイガース戦は4試合で17打数10安打2本塁打7打点を記録するなどチームの交流戦初優勝に貢献した。8月には選手会長の日高剛とチーム最年長の田口壮が二軍調整の為、精神的支柱を欠く状況を打破する目的で球団初のキャプテン制導入に伴いゲーム・キャプテンに任命された。その後も3番打者として出場し続けて9月26日のロッテ戦では延長10回に薮田安彦からサヨナラ2ラン本塁打を放つなど、143試合に出場して打率.295、16本塁打、73打点、二塁手としてはのロベルト・バルボンの記録を更新して球団新記録となる174安打と自己最高の成績を残したが、併殺打はリーグ2位タイ(西武・中島裕之と同数)の20、3番打者に定着しクリーンナップを1年間務めながらリーグ3位(1位は川崎宗則、2位は西岡剛)の590打数を記録、四球の少なさが目立ってしまった。また、野手の中では北川博敏と共に2人だけシーズン通して一軍に登録され続けた。同年8月11日に国内FA権を取得し、11月12日に残留を基本線として権利を行使し、11月26日に「岡田監督に恩返ししたい」として残留を正式表明すると同時に「生涯オリックス」宣言をした。オフシーズンにはイチローと合同自主トレを行った。この際には5年の複数年契約が結ばれていたが、報道では3年契約とされていた。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た三澤興一

    初安打:同上、8回表に三澤興一から二塁内野安打後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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    後藤光尊から見た和田毅

    開幕戦の対ソフトバンク戦の9回裏1死の場面で、完投勝利目前の和田毅から同点ソロを放ち、チームの敗戦を救う働きも見せたが、シーズン序盤は不調で、更に胃腸炎のために5月12日に登録抹消。5月31日の対横浜ベイスターズ戦で復帰し、緩やかに調子を上げていく。8月11日の対楽天戦で4番として出場し本塁打を放ち、プロ野球史上9人目となる全打順本塁打を達成した。すると、8月16日の対ソフトバンク戦から9月15日の対楽天戦まで安打を放ち、球団史上初のパ・リーグでは歴代5位タイとなる26試合連続安打を記録した。9月16日の対ロッテ戦では無安打に終わったが、この試合で四球を選んだ事で連続試合出塁は継続され、10月5日の対西武戦まで43試合連続出塁を記録した。結局、9月は全25試合のうち、前述の16日の試合を除く24試合で、リーグ歴代4位タイの月間44安打を放ち、月間打率.436を記録して自身初の月間MVPを獲得した。最終的には打率もリーグ3位の打率.312を記録し、自身初の3割となった。しかしその一方で、得点圏打率は.280と低かった。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

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