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マスカラ・ドラダから見た後藤洋央紀
2015年1月19日に開催されたCMLL FANTASTICA MANIA 2015にて、1年間の期間限定で新日本プロレスの所属選手として契約を交わされたことが発表された。その壮行試合として、同大会のメインイベントでラ・ソンブラと対戦。20分に及ぶ激闘の末、ピンフォールを負けを喫したが、試合後のマイクパフォーマンスでソンブラとの再戦を誓い、新日本プロレスでの活躍を決意した。4月5日、Invasion Attack 2015にてIWGPジュニアヘビー級王座を保持するケニー・オメガに挑戦。スピード感あふれる攻防を展開。終盤に肩車の要領で担がれるがウラカン・ラナで切り返すも即座に体勢を入れ替えたケニーによりショートレンジニーを喰らうと片翼の天使を決められ敗戦。5月、BEST OF THE SUPER Jr.XXIIにBブロックでエントリー。5勝2敗、勝ち点10という好成績を残すも決勝に進出するに至らなかった。12月19日、Road to TOKYO DOMEにてBUSHIとCMLL世界ウェルター級王座戦を行う。事あるごとにBUSHIの仲間であり、セコンドを務めるロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの内藤哲也の介入に苦しめられ中盤にはセコンドの後藤洋央紀が乱入して内藤と乱闘を行いながら退場するが、終盤にEVILが現れレフェリーのマーティー浅見の注意を引くとBUSHIから毒霧を喰らいブシロールからエムエックスを決められ敗戦。王座から陥落した。(マスカラ・ドラダ フレッシュアイペディアより)
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外道 (プロレスラー)から見た後藤洋央紀
2003年11月1日、プロレスリング・ノアの日本武道館大会で杉浦貴が保持するGHCジュニアヘビー級王座に挑戦するも敗退。同月29日、金本が負傷のため、返上したIWGPジュニアタッグ王座をかけて宮城県スポーツセンター大会で田口隆祐&後藤洋央紀組と対戦。邪道と共に同王座2度目の獲得を果たした。(外道 (プロレスラー) フレッシュアイペディアより)
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ヤングライオン杯争奪リーグ戦から見た後藤洋央紀
2004年、「強くあれ〜闘魂シリーズ〜」の中の一環で10月31日に後楽園ホール、11月3日両国国技館、11月13日大阪ドームの3大会で開催。田口隆祐、後藤洋央紀、山本尚史、裕次郎、安沢明也、長尾浩志、中嶋勝彦(健介オフィス)が参加。田口は同年に開催されたヤングライオン杯争奪リーグ戦優勝者としてシード出場選手になった。結果は田口が優勝、中嶋が準優勝。田口はリーグ戦とトーナメント戦の連覇を果たした。(ヤングライオン杯争奪リーグ戦 フレッシュアイペディアより)
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ファイヤーマンズキャリーから見た後藤洋央紀
相手をファイヤーマンズキャリーの体勢から相手の首を軸にして肩の上で仰向けに回転させると同時に片膝立ちの状態になって落下する相手の後頭部に膝を食らわせる。後藤洋央紀の得意技。技名は後藤が猛牛のニックネームを持つ天山広吉を、この技で病院送りにして約1年9ヶ月にわたる長期欠場に追い込んだことが由来。(ファイヤーマンズキャリー フレッシュアイペディアより)
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ピート・フィフィタから見た後藤洋央紀
以降、定期的に新日本に参戦し、2010年後半からは後藤洋央紀とタッグチーム、荒トンガを結成。その後はG1 TAG LEAGUEなどヘビー級戦線での活動が多くなり、2011年からは本格的にヘビー級転向を宣言。5月3日、レスリングどんたく 2011にて、メキシコ遠征から帰国した後藤のパートナーとして、プロレスリング・ノアの杉浦貴 & 橋誠と対戦。試合中にノータッチ・プランチャ・スイシーダを放った際、右肩から場外の床に落下してしまい、後日右肩脱臼と診断され、長期欠場。また、この負傷が原因で出場予定とされていた初代IWGPインターコンチネンタル王者決定トーナメントも欠場となった。(ピート・フィフィタ フレッシュアイペディアより)