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慰安婦から見た和田春樹
1997年に吉見は「『官憲による奴隷狩りのような連行』を裏付ける文書は今のところ出ていない」「官憲による奴隷狩りのような連行が朝鮮・台湾であったことは確認されていない」と述べた。一方で、フィリピン、中国、インドネシアではそうした連行があったと主張している。また、東京大学教授の和田春樹も同年3月5日に「官憲による直接的強制」を立証する文書資料はまだ発見されていないと書いた。朝日新聞は同年3月31日の社説で、「旧日本軍の従軍慰安婦をめぐって、日本の責任を否定しようとする動きが続いている。これらの主張に共通するのは、日本軍が直接に強制連行したか否か、という狭い視点で問題をとらえようとする傾向だ」と主張した。(慰安婦 フレッシュアイペディアより)
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慰安婦から見た南京事件 (1937年)
日本軍慰安所設置にあたっては性病対策のほか強姦対策もあったが、強姦罪は跡を絶たなかったともいわれる。南京事件では日本軍による虐殺とともに強姦が発生したともされるが、研究者間で確定しておらず論争になっている(南京事件論争を参照)。早尾乕雄『戦場心理の研究』によれば1938年の上海では強姦や輪姦が頻発し、南京では「皇軍に強姦されたら、幸運に思え」と怒鳴った隊長がいたと報告している。日本の内地においては1941年の灯火管制下の治安維持のために戦時犯罪処罰ノ特例ニ関スル法律を制定し、性犯罪の厳罰化が図られた。(慰安婦 フレッシュアイペディアより)
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慰安婦から見た釜山広域市
韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を公式に設置した。金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例もあった。特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、これは日本軍慰安婦と同様のものであった。計画は陸軍本部恤兵監室が行い、1950年7月には韓国政府は軍作戦識見を米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる。韓国政府・軍は慰安婦に対して「あなたたちはドルを得る愛国者」として「称賛」されたという。設置時期は1950年、韓国釜山に韓国軍慰安所、馬山に連合軍慰安所が設置され、1951年には釜山慰安所74ヶ所と国連軍専用ダンスホール5ヶ所が設置される。ソウル特別市地区には3ヶ所、ほか江陵市、春川市、原州市、束草市にも慰安所が設置された。慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めて、トラックで移送し、前線では米兵も利用した。1953年7月27日の朝鮮戦争の休戦にともない各慰安所は1954年3月に閉鎖されたが、その後も存続した。金貴玉は当時設置を行った陸軍関係者がかつて日本軍として従軍していたことなどから、「韓国軍慰安所制度は日本軍慰安所制度の延長」としている。(慰安婦 フレッシュアイペディアより)