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富山丸から見た徳之島
1944年(昭和19年)6月27日、「富山丸」を含めた12隻の船舶、総計23,777トンはカタ412船団を構成し、鹿児島湾を出港する。翌28日、船団のうち貨客船「履門丸」(大阪商船、784トン)と「開城丸」(大阪商船、2,025トン)は名瀬港に寄港し、「富山丸」を含めた他の船舶は17時に古仁屋に入港した。翌朝、船団は名瀬と古仁屋からそれぞれ出港して那覇に向かう。その頃、アメリカの潜水艦スタージョン(USS Sturgeon, SS-187) が徳之島の東で浮上哨戒を行っており、4時33分に潜航哨戒を開始した。5時29分、スタージョンはの地点で船舶から発せられる煙を確認する。さらに観測を続け、相手は1隻の大型輸送船、4隻の中型ないし小型の輸送船、1隻の兵員輸送船、何隻かの小型船および1隻の小型タンカーからなる輸送船団であり、漁船型の護衛艇がついているのを確認する。カタ412船団は針路220度で航行中と判断され、スタージョンは「安洋丸級」こと「富山丸」に照準を定める。7時25分、スタージョンは艦首発射管から「富山丸」に向けて魚雷を4本発射、4本のうち3本が「富山丸」の左舷船首と二番船倉および四番船倉と機関室の中間部に命中した。左舷船首と二番船倉に命中した魚雷の衝撃でガソリンが船内および海上で発火して炎上した。止めを刺したのは四番船倉と機関室の中間部に命中した魚雷で、「富山丸」は船体を二つに折っての徳之島南東12キロの地点で轟沈した。(富山丸 フレッシュアイペディアより)
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