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志村けんから見た氷川きよし
父親は元軍人で、戦後は小学校教諭となり教頭まで昇進した。しかし、志村が中学生の頃に、自宅前で交通事故に遭って以来、後遺症による高次脳機能障害(と思われる状態)となり、志村がドリフの付き人になろうと決意した頃には、物事の判断がほとんどできなかったという。そのため、志村が実際にドリフの付き人になった時にも、父親の反対はなかったという。志村の爺さんコントは「この時期の父親をモデルにしたもの」であると、自身の著書『変なおじさん』にて明言している。また、志村の芸名は父親の名前「憲司(けんじ)」に由来するという(なお、父親は志村が正式にドリフのメンバーになる前に亡くなった)。一方、母親の和子は踊りや芸事が好きで、自分は母親の性格を受け継いだのかもしれないと語っている。母親は氷川きよしの大ファンで、『バカ殿』のコントにも出演したことがあるが、2015年11月23日に96歳で亡くなった。志村の兄の1人である志村知之は、長年東村山市に公務員として、2017年4月まで働いていた。知之が退職する日に、東村山市長渡部尚と握手している写真が掲載され、「志村けんそっくり」と話題になった。(志村けん フレッシュアイペディアより)
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