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在日ロシア人から見た把瑠都凱斗
大相撲でも、南樺太出身でウクライナ人の父(ボリシコ)を持つ元横綱、大鵬の下に弟子入りした露鵬(ロシア人幕内力士第一号)とその弟の白露山など北オセチア共和国の首都ウラジカフカス出身のロシア人力士の台頭が目立ったが、同兄弟と若ノ鵬の3人の関取は大相撲ロシア人力士大麻問題により解雇され、この際に白露山の師匠であった北の湖が日本相撲協会理事長を辞任する大事件となった。しかし、2010年9月場所では若ノ鵬の従弟である阿覧が関脇に昇進し、唯一のロシア国籍幕内力士として土俵に登っている。旧ソ連地域出身者としてはグルジアから2006年に小結に昇進した黒海や、その後輩の栃ノ心と臥牙丸が活躍している。また、エストニアから来日した把瑠都は2010年5月場所で大関に昇進した。(在日ロシア人 フレッシュアイペディアより)
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鷲羽山佳和から見た把瑠都凱斗
2010年3月31日に大関・把瑠都の昇進伝達式で使者を務めた際には、私服姿で夜の繁華街を闊歩したことなどで過去に2度の厳重注意を受けた例を引き合いにして「相撲も大事だけど、私生活もな。これからは、横綱みたいに注目されるのだから」と把瑠都に苦言を呈する異例の様子を見せた。同年1月場所直後に横綱・朝青龍が一般人への暴力行為を働いた不祥事を受けて引責引退したばかりであっただけにこの時期には外国人力士の品格が厳しく問われていた。出羽海はその日、伝達式から引き揚げる際にも「上を目指して努力してほしいが、私生活でも気を引き締めてもらわないといけない」と改めて訴えた。(鷲羽山佳和 フレッシュアイペディアより)
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出羽鳳太一から見た把瑠都凱斗
小学校時代に通っていた相撲道場では出羽海部屋OBである人物から相撲を習っていた。高知県の明徳義塾高校相撲部出身で、2003年には高校横綱になった実績がある。幼少期より大阪場所の開催期間中は出羽の海部屋関係者の元へ遊びに行くことが多かったとのことであり、こうしたことから予てより角界入りの意思を持っていた。2004年3月場所初土俵を踏んだ。初土俵から負け越し知らずで幕下まで昇進した。1度は跳ね返されたものの2005年後半から幕下上位に定着し、西8枚目まで番付を上げた2006年1月場所では幕下唯一の6連勝として、幕下優勝と待望の新十両を懸けた一番を、同じく十両昇進(復帰)の懸かる筆頭(東)で3勝3敗の元十両北勝岩に挑んだが、立合いで遅れたところを一気に押し出されて完敗、幕下優勝と十両昇進の夢は潰えた。幕下の優勝争いは、全勝の出羽鳳が敗れたことで1敗力士7人による優勝決定戦に縺れ込み、出羽鳳は1回戦で把瑠都に敗れて十両昇進ばかりか優勝も逃した(優勝は把瑠都)。(出羽鳳太一 フレッシュアイペディアより)
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白乃波寿洋から見た把瑠都凱斗
首に怪我を抱えているため頭から当たることができず、膝にも古傷を抱えているが、立合いの速さを利して一気に前に出る相撲に鋭さがあり、序ノ口から三段目までそれぞれ1場所で通過し、幕下に昇進した2004年11月場所でも優勝を果たし(この間本割21連勝を記録。三段目では7戦全勝ながら優勝決定戦で大西に敗れ優勝を逃している)、一気に幕下上位まで番付を上げた。初土俵からの負け越しは2005年3月場所のみでそれ以外の場所では勝ち越しを続け、同年5月場所では西幕下6枚目で5勝2敗とし、東十両12枚目で5勝10敗と大きく負け越した須磨ノ富士との比較で十両昇進がなるかと思われたが、翌7月場所では須磨ノ富士が十両に残留し、自身は東幕下筆頭に留められた。その7月場所では4勝3敗と勝ち越し、翌9月場所に同じ尾上部屋の把瑠都と同時に新十両に昇進した。前相撲からの所要9場所での十両昇進は史上5位タイのスピードであったものの、把瑠都が同時に所要8場所での十両昇進を果たしたためあまり話題とはならなかった。(白乃波寿洋 フレッシュアイペディアより)
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RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYSから見た把瑠都凱斗
「RIZIN FIGHTING FEDERATION」の旗揚げ興行となり、エメリヤーエンコ・ヒョードル、桜庭和志、青木真也の他、元大相撲力士・把瑠都凱斗ことバルトが参戦を表明。また、ヒクソン・グレイシーの次男・クロン・グレイシーと女子レスリング元世界チャンピオン山本美憂の長男・山本アーセンが対戦。(RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS フレッシュアイペディアより)