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三賞から見た把瑠都凱斗
優勝した力士や横綱から白星を挙げた力士に与えられる。仮に優勝した力士が14勝1敗の成績だった場所では、優勝力士に唯一の土を付けた力士が評価されて受賞対象となることもある。例として、2008年5月場所で大関・琴欧洲が14勝1敗で初優勝を果たしたが、その琴欧洲に唯一の黒星を付けた安美錦が殊勲賞を受賞している。ここ数年は朝青龍・白鵬と強い横綱の活躍が続いていることから金星を獲得できる力士が少ないこと、金星を得ることができても勝ち越しを収められるまでには至らないこと、横綱と大関との力の差が開いて大関に勝った星の価値が下がっていることなどから、該当者なしの場所が多くなっている。2009年は史上初めて年6場所通じて該当者が出なかった。また、関脇以下の力士が優勝した場合にも受賞することがある。興味深い記録として2009年1月場所から2011年5月技量審査場所の丸2年半において中止や該当者なしを含めて2010年1月場所受賞の把瑠都と同年11月場所及び翌2011年1月場所受賞の稀勢の里の2人が独占するというものが確認され、稀勢の里は横綱、把瑠都は大関に昇進している。(三賞 フレッシュアイペディアより)
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日馬富士公平から見た把瑠都凱斗
2007年1月場所、14日目に朝青龍を星1つの差で追っていた豊ノ島を小褄取りの決まり手で破る「援護射撃」を果たし、朝青龍の20回目の優勝に貢献した。取組後支度部屋に戻り朝青龍に最敬礼。部屋・一門を超えたモンゴル人同士の繋がりの深さを見せた。自身も千秋楽に稀勢の里を破って10勝5敗と二桁勝利を挙げた。翌3月場所に小結復帰を果たし、初日にそれまで4度の対戦で一度も勝てていなかった千代大海を初めて破るなどの活躍で、8勝7敗と三役で初めて勝ち越した。この場所新関脇の琴奨菊が7勝8敗で負け越し関脇のポストが空いたため、翌5月場所は新関脇となった。この場所千秋楽に、12勝を挙げていた朝赤龍を破り8勝7敗と勝ち越しを決めた。これ以降三役に定着することになる。7月場所は7勝8敗と一点の負け越しで小結に下がるが、翌9月場所は初日に横綱白鵬との8度目の対戦で、首投げにより初めて白鵬を破った上に、12日目には新入幕で優勝争いの単独トップに立っていた豪栄道を送り吊り落としで破った(前述)。自らも13日目終了時点で白鵬と1差につけるがその後連敗し10勝5敗に終わった。しかし横綱を破った相撲等が評価されて、初めての殊勲賞を受賞した。ただ、兄弟子の安美錦と同郷の朝赤龍の両関脇が勝ち越したため、関脇復帰は成らなかった。翌11月場所は、8日目に横綱白鵬を下手投げで連勝し、2度目の殊勲賞を受賞した。ただ、14日目に白鵬を星1つの差で追っていた把瑠都を破って、結果的に白鵬の優勝を援護している。この場所も10勝5敗であり、連続の10勝でいよいよ大関獲りの機運が高まった。(日馬富士公平 フレッシュアイペディアより)