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倒閣から見た実定法
実定法上は党首と首相が別人でも問題ないが、ウェストミンスター・システムを範とする議院内閣制においては与党党首が首相たることが慣例(実際に、党首と首相が別人だった例は一度もない)。首相は退陣するのでなければ、離党、解散などして別の形での政権の枠組みを作って政権基盤を整える必要がある。例として、三木武夫内閣や麻生太郎内閣では自民党内反主流派が両院議員総会における総裁解任を検討したが、総裁解任構想は不発に終わる。また、福田赳夫は首相在任中に定例の総裁選で敗れ、鈴木善幸は首相在任中に定例の総裁選で党内情勢の悪化で出馬断念に追い込まれ、それぞれ退陣した。(倒閣 フレッシュアイペディアより)
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倒閣から見た第40回衆議院議員総選挙
衆議院で内閣不信任決議の可決。10日以内に衆議院解散及び衆議院議員総選挙告示(2つをまとめて「解散総選挙」と略される)か即時の内閣総辞職決定、どちらかを選ばねばならないように仕向ける(期限切れになった場合は総辞職しかあり得ない)。解散総選挙をしても総選挙後の特別国会の冒頭で一旦総辞職してから首班指名選挙をしなければならないため、衆議院で首相支持派が過半数占めれば続投できるが、過半数を割れば退陣となる。日本国憲法で明記された法的根拠が存在する倒閣である。例として、宮沢改造内閣時、自由民主党内反主流派・羽田派の造反により内閣不信任決議が可決されて解散となり(嘘つき解散)、自民党は分裂、第40回総選挙で大敗して宮澤は退陣、自民党も結党以来初めて下野するという結果になった件が挙げられる。一方、第4次吉田内閣の時も吉田自由党の主流派の一部・広川派が突如反主流派に転じた結果内閣不信任決議が可決されて解散となり(バカヤロー解散)、第26回総選挙で吉田自由党は第一党の座こそ確保したものの過半数を34議席も下回る大敗を喫し、吉田はかろうじて改進党の閣外協力を取り付けて決選投票で首班指名を獲得、少数与党で第5次内閣を組織したが、結果的にこれが吉田退陣への序曲となった。第2次森内閣時の加藤の乱のように、党内反主流派が採決欠席によって内閣不信任決議案を可決に持ち込もうとしたが、直前になって執行部の猛烈な切り崩し工作に遭い、敢え無く失敗した例もある。(倒閣 フレッシュアイペディアより)
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倒閣から見た自由民主党総裁
実定法上は党首と首相が別人でも問題ないが、ウェストミンスター・システムを範とする議院内閣制においては与党党首が首相たることが慣例(実際に、党首と首相が別人だった例は一度もない)。首相は退陣するのでなければ、離党、解散などして別の形での政権の枠組みを作って政権基盤を整える必要がある。例として、三木武夫内閣や麻生太郎内閣では自民党内反主流派が両院議員総会における総裁解任を検討したが、総裁解任構想は不発に終わる。また、福田赳夫は首相在任中に定例の総裁選で敗れ、鈴木善幸は首相在任中に定例の総裁選で党内情勢の悪化で出馬断念に追い込まれ、それぞれ退陣した。(倒閣 フレッシュアイペディアより)
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倒閣から見た政治改革四法
政府重要議案を審議未了または否決で廃案にすることによって首相辞任に圧力をかける。政局になりそうな議案に党議拘束が掛けられそうな場合は、政権要職にいる政治家が党議拘束にならないようにして廃案に持ち込む。反執行部の与党議員が党議拘束がある議案の国会採決について廃案を目論む場合は、除名を含めた党内処分を覚悟で反対票・棄権を投じることになる。片山哲内閣下では政府予算案が衆議院予算委員会で否決されたため退陣となった。海部俊樹内閣下における政治改革三法案の廃案は倒閣を主目的としたものではなかったが、これにより海部は進退窮まったかたちとなり退陣に至る。小泉純一郎内閣下の郵政民営化法案の参議院否決も政権の死命を制しかねないものだったが、小泉は解散総選挙で圧勝したことにより切り抜けた。(倒閣 フレッシュアイペディアより)
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倒閣から見た第4次吉田内閣
衆議院で内閣不信任決議の可決。10日以内に衆議院解散及び衆議院議員総選挙告示(2つをまとめて「解散総選挙」と略される)か即時の内閣総辞職決定、どちらかを選ばねばならないように仕向ける(期限切れになった場合は総辞職しかあり得ない)。解散総選挙をしても総選挙後の特別国会の冒頭で一旦総辞職してから首班指名選挙をしなければならないため、衆議院で首相支持派が過半数占めれば続投できるが、過半数を割れば退陣となる。日本国憲法で明記された法的根拠が存在する倒閣である。例として、宮沢改造内閣時、自由民主党内反主流派・羽田派の造反により内閣不信任決議が可決されて解散となり(嘘つき解散)、自民党は分裂、第40回総選挙で大敗して宮澤は退陣、自民党も結党以来初めて下野するという結果になった件が挙げられる。一方、第4次吉田内閣の時も吉田自由党の主流派の一部・広川派が突如反主流派に転じた結果内閣不信任決議が可決されて解散となり(バカヤロー解散)、第26回総選挙で吉田自由党は第一党の座こそ確保したものの過半数を34議席も下回る大敗を喫し、吉田はかろうじて改進党の閣外協力を取り付けて決選投票で首班指名を獲得、少数与党で第5次内閣を組織したが、結果的にこれが吉田退陣への序曲となった。第2次森内閣時の加藤の乱のように、党内反主流派が採決欠席によって内閣不信任決議案を可決に持ち込もうとしたが、直前になって執行部の猛烈な切り崩し工作に遭い、敢え無く失敗した例もある。(倒閣 フレッシュアイペディアより)
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倒閣から見た棄権
政府重要議案を審議未了または否決で廃案にすることによって首相辞任に圧力をかける。政局になりそうな議案に党議拘束が掛けられそうな場合は、政権要職にいる政治家が党議拘束にならないようにして廃案に持ち込む。反執行部の与党議員が党議拘束がある議案の国会採決について廃案を目論む場合は、除名を含めた党内処分を覚悟で反対票・棄権を投じることになる。片山哲内閣下では政府予算案が衆議院予算委員会で否決されたため退陣となった。海部俊樹内閣下における政治改革三法案の廃案は倒閣を主目的としたものではなかったが、これにより海部は進退窮まったかたちとなり退陣に至る。小泉純一郎内閣下の郵政民営化法案の参議院否決も政権の死命を制しかねないものだったが、小泉は解散総選挙で圧勝したことにより切り抜けた。(倒閣 フレッシュアイペディアより)
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