
斉藤里恵から見た銀座
髄膜炎の後遺症で、1歳10カ月で聴力を完全に失う。その後は「青森一の不良娘」と呼ばれるほどの問題児となるが、万引した洋品店で誘われて働いたことをきっかけに、接客業の楽しさを知り、19歳で水商売に進む。2007年(平成19年)に単身上京し、東京・銀座の高級クラブでホステスとして働き、筆談を駆使した独自の接客で大人気になり、ナンバーワンの地位に上り詰めた。銀座で最初の店は八丁目の「Le Jardin」で、当時の写真を同店のホームページで見ることができる愛用するメモパットはRHODIAブロック(5mm方眼)。(斉藤里恵 フレッシュアイペディアより)