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北海道日本ハムファイターズから見た斎藤佑樹
10月28日、2010年ドラフト会議で、高校時代には夏の甲子園優勝、大学時代には大学日本一2回と個人として史上6人目の東京六大学野球30勝300奪三振を記録した早稲田大学の斎藤佑樹の交渉権をヤクルト・ロッテ・ソフトバンクとの競合の末獲得。11月18日、中継ぎ投手での10勝を挙げた榊原諒がチームでは4年ぶりの新人王を獲得。12月9日、新人合同入団会見に出席出来なかった斎藤佑樹のために、新庄剛志以来球団2人目となる札幌ドームでの単独の入団会見が行われた。オフには建山義紀が大リーグ・テキサス・レンジャーズへ、森本稀哲が横浜へそれぞれFA移籍した。(北海道日本ハムファイターズ フレッシュアイペディアより)
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齊藤悠葵から見た斎藤佑樹
2006年、ウエスタン・リーグで防御率2点台という安定した投球を評価され、高卒ルーキーながら1軍昇格を果たす。10月1日の対巨人22回戦で5回を被安打3・無四球無失点の好投で初勝利。これはドラフト制導入以降、球団初の高卒新人による初登板初先発初勝利で、史上4人目の「対巨人戦初登板初先発初勝利」でもある。同年の高校野球で活躍し、「ハンカチ王子」の愛称で呼ばれていた斎藤佑樹と名前の読みが同じだったことから、マスコミには「赤いハンカチ王子」と名づけられ、ヒーローインタビューでは赤いタオルで汗を拭くパフォーマンスをしてみせた。初勝利を挙げた巨人戦はナイターだったが、くしくも同日の昼間に行われた「のじぎく兵庫国体」の高校野球・硬式(公開競技)の2回戦で早実の「サイトウユウキ」斎藤佑樹も福知山成美高校を相手に完封勝利を収めた。(齊藤悠葵 フレッシュアイペディアより)
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第56回全日本大学野球選手権大会から見た斎藤佑樹
前年の第88回全国高等学校野球選手権大会で優勝投手となった斎藤佑樹(早大1年、早実高出)が当初から注目され、また今大会においても早大の優勝に貢献しMVPを獲得した。(第56回全日本大学野球選手権大会 フレッシュアイペディアより)
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早稲田大学野球部から見た斎藤佑樹
2005年に野村が勇退したが、後を受けた應武篤良が就任早々春のリーグで慶應との優勝決戦を制して優勝を果たす。2006年秋に38回目、続く2007年には斎藤佑樹ら前年夏の早稲田実業の甲子園優勝メンバーほか多数の有望新人が入部し、早くも8人が神宮でプレー、秋春連覇を果たすと第56回全日本大学野球選手権大会でも33年ぶりとなる3回目の優勝を達成、大学創立125周年となる記念の年に華を添え、日頃から目標としていた「文武両道日本一」を実現した(大学選手権での東京六大学勢の優勝も12年ぶりのことだった)。さらに同年秋のリーグ戦では慶應との優勝決戦を制して40回目の優勝を果たし、(4連覇を含めて)3回目となる3連覇を達成した。21世紀に入ってからの優勝回数は11回と群を抜き(法政・明治・慶應を合わせて12回)、法政に最大で8回差まで離されていた優勝回数も岡村猛監督就任3季目の2012年春季リーグ戦で優勝を果たし、25年ぶりに並んだ。(早稲田大学野球部 フレッシュアイペディアより)
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細山田武史から見た斎藤佑樹
・3年時には前年の夏の甲子園で話題となった斎藤佑樹が入学し、入学当初からバッテリーを組み、以後2年間『斎藤佑樹(佑ちゃん)の恋女房』と報道される事が増えた。3年春のリーグ戦では松下建太、須田幸太、斎藤佑樹、福井優也らをリードして2季連続の優勝、首位打者(打率.424)とベストナインも獲得した。リーグ戦途中から2番打者となった。全日本大学野球選手権大会は東海大学を破り33年ぶりの優勝となった。6月25日に日米大学野球選手権大会の代表に選出され、日本の優勝が決まった第4戦以外の4試合にフル出場して2勝2敗だった。秋のリーグ戦も制して3季連続の優勝に貢献、ベストナインも獲得した。明治神宮野球大会は決勝戦で東洋大学の大場翔太(後のソフトバンクでの同僚)に完封負けを喫して準優勝となった。(細山田武史 フレッシュアイペディアより)
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第88回全国高等学校野球選手権大会から見た斎藤佑樹
決勝戦は戦後初の選手権3連覇を目指す駒大苫小牧と、ハンカチ王子として注目を集めていた斎藤佑樹擁する早稲田実業との対戦となった。8月20日の試合は延長15回まで1-1と両校共に譲らず37年ぶりの決勝戦引き分けとなり、翌21日の再試合で4-3にて早稲田実業が勝利し初優勝となった。(第88回全国高等学校野球選手権大会 フレッシュアイペディアより)
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