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第22回参議院議員通常選挙から見た新党日本
国会で与党と協力関係にある新党日本、新党大地は比例代表の事前説明会に出席し、立候補の構えをみせていた。しかし、新党日本は代表の田中康夫が「第三極を育成する必要性を痛感した」旨の発言を行い、この選挙までに衆議院において民主党との統一会派を解消し、新たに国民新党と統一会派を組んだ。もっとも、この両者は参議院では民主党と統一会派を組んでいる。新党日本は後に立候補者を擁立しないことを発表した。(第22回参議院議員通常選挙 フレッシュアイペディアより)
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保坂展人から見た新党日本
2011年4月6日、記者会見を開き世田谷区長選挙への立候補を表明。なお区長選への出馬に際し、社民党を離党した。区長選には5人が立候補したが、保坂は社民・国民新・新党日本・生活者ネットの4党による支持に加え、隣接する杉並区の区長田中良らの応援も受け、83,983票を獲得し初当選した。なお、候補者氏名を記入する投票による選挙で保坂が当選するのは、これが初めてである(衆議院議員3期は比例代表で当選)。2014年の2014年東京都知事選挙では、脱原発を公約した細川護熙を評価した(落選)。なお、23特別区の区長は、22人までが当選した舛添要一を支援しており、舛添を支援しなかったのは保坂だけだった。(保坂展人 フレッシュアイペディアより)
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兵庫県第9区から見た新党日本
1996年の第41回衆議院議員総選挙では自民党の原健三郎、新進党の宮本一三(自民党を離党し新生党を経て新進党へ合流)の保守同士の対決を宮本が制した(原は比例復活)。2000年の第42回、2003年の第43回総選挙では、自民党現職宮本に(通産省を退官し原の秘書を経た)保守系無所属新人の西村康稔が挑み、第42回は宮本が制したが、第43回は西村が宮本に比例復活すら許さず、初当選。その後、宮本は2005年の第44回衆議院議員総選挙では新党日本、2009年の第45回衆議院議員総選挙では国民新党から出馬しているが、いずれも西村に敗れ、比例復活もならず落選した。2009年の総選挙では自民党に猛烈な逆風が吹き荒れたが、西村は宮本を6万票超の大差で下し、兵庫県の自民党候補で唯一、小選挙区の議席を死守した。民主党に猛烈な逆風が吹き荒れた2012年の第46回衆議院議員総選挙で民主党は浜本宏を擁立したが西村が圧勝し浜本は比例復活もできず落選した。2014年の第47回衆議院議員総選挙では民主党が候補を擁立せず西村と共産党候補の一騎打ちになり西村が前回と同じく圧勝した。(兵庫県第9区 フレッシュアイペディアより)
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東日本大震災に対する個人・その他各種団体の支援活動から見た新党日本
新党日本は、被災地支援のために震災復興支援金を受け付ける口座を開設した。3月20日と21日には、田中康夫代表が国民新党の下地幹郎幹事長らと共に被災した宮城県の仙台市、気仙沼市と福島県の南相馬市を視察した。またその際、下地幹事長らが集めた支援物資と新党日本が東京と兵庫県尼崎市で独自に集めた支援物資を避難所に搬送した。(東日本大震災に対する個人・その他各種団体の支援活動 フレッシュアイペディアより)
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