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第84回都市対抗野球大会から見た日本新薬硬式野球部
予選では、昨年まで12年連続本戦に出場していた日本通運、日本新薬の2チームがいずれも姿を消した。一方、浜松市・ヤマハと狭山市・Hondaの2チームは連続出場を10年の大台に乗せた。近畿地区では兵庫県のチームがすべて予選敗退し、第1回大会から続いていた県勢の連続出場が83回で途絶えた。また、前シーズン途中に部内の不祥事で活動を自粛していた大阪市・大阪ガスは近畿地区最後の出場枠を獲得した。初出場チームはなかった。(第84回都市対抗野球大会 フレッシュアイペディアより)
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2007年の野球から見た日本新薬硬式野球部
7月9日 - 【社会人】第78回都市対抗野球大会の予選がこの日全日程を終了し、8月24日から開かれる本大会に出場する32チームが出揃った。初出場は矢巾町・岩手21赤べこ野球軍団(東北第3代表)、東京都・セガサミー(東京第3代表)、熊本市・熊本ゴールデンラークス(九州第2代表)の3チーム。いずれも活動2年目にして大舞台への出場権を得た。最多出場は大阪市・日本生命(阪和第1代表)の49回目。最長連続出場はさいたま市・日本通運(南関東第1代表、34回目)と京都市・日本新薬(京滋奈代表、25回目)の7年連続。組み合わせ抽選会は21日に行われる。(2007年の野球 フレッシュアイペディアより)
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長谷部栄一から見た日本新薬硬式野球部
旧制東山中学(現:東山高校)から、同志社大学に進学するも中退し、1950年に大阪タイガースに入団。三拍子そろった捕手として期待されたが、同年に故障し翌年には引退した。その後、社会人野球チーム日本新薬に監督兼選手として入団し、都市対抗野球大会に1957年の大会から1959年の大会まで3年連続で出場した。1961年からは監督に専念し、都市対抗野球に5回出場している。1988年からは、母校東山高校の野球部の監督を務め、1992年・1993年の春の甲子園に出場した。その後、佛教大学硬式野球部の総監督を務めた。2017年8月23日に膵臓癌のため死去。89歳。(長谷部栄一 フレッシュアイペディアより)