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レーザー・レーサーから見た日本水泳連盟
2008年5月時点で、ミズノに代わりゴールドウイン社がSPEEDOとのライセンス契約を行い日本で商品展開することとなった。しかし、日本水泳連盟はゴールドウインとは契約しておらず、そのままでは北京オリンピックにおいて日本代表選手がレーザー・レーサー(以下、この水着)を着用できないという状況にあった。そこで日本水連はまず、「契約した3社(ミズノ、デサント、アシックス)に今後も改良を求める」との立場をとり、公式大会などで選手に試用させて比較を行ったうえ、6月10日を期日にゴールドウイン社つまりSPEEDOのこの水着の使用を認めるかどうか決めることとした。これを受け、各社は5月30日に改良型の水着を発表した。果たして6月6日に行われた競泳のジャパンオープンにおいて、この水着を着た選手が日本記録を連発(北島康介は6月8日に世界記録を更新)、17の新記録のうち16がこの水着を着用した選手によって生まれた。この結果を受け日本水連は6月10日、この水着の使用を認める方針を発表した。(レーザー・レーサー フレッシュアイペディアより)
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オープンウォータースイミングジャパンオープンから見た日本水泳連盟
オープンウォータースイミングジャパンオープン(Open Water Swimming Japan Open)は、毎年7月に千葉県館山市の北条海岸で開催されるオープンウォータースイミングの全国大会である。主催は日本水泳連盟。(オープンウォータースイミングジャパンオープン フレッシュアイペディアより)
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田口信教から見た日本水泳連盟
尾道高校卒業後、田口の才能を中央に流出させまいと広島県水泳連盟の関係者が、地元フジタ工業の藤田正明、藤田一暁に協力を要請。関係者の熱意により広島市に「フジタドルフィンクラブ」が設立され、広島商科大学(現・広島修道大学)に進学した田口は、このスイミングクラブで、コーチや仲間と精進を積み、足首を水面ギリギリまで沈める「新・田口キック」とフライングギリギリのロケットスタートを完成させ、同大3年在学中の1972年、ミュンヘンオリンピックに出場。100m平泳ぎでは優勝候補筆頭に上げられていたが、その重圧に潰されることなく準決勝でこの2年間はね返され続けた1分6秒の壁を破る1分5秒1の驚異的な世界記録をマーク。決勝では50mまでは7位だったが残り25mで前団をゴボウ抜き1分4秒9の世界新記録を樹立、金メダル獲得の偉業を成し遂げた。日本の競泳選手としては、1956年メルボルンオリンピックの古川勝(200m平泳ぎ)以来16年ぶりの金メダルであった。更に200m平泳ぎでも2分23秒9で銅メダルを獲得した。田口の金メダルは、同大会の女子バタフライ100mで金メダルを獲得した山田スイミングクラブ所属の青木まゆみと共に、日本水泳連盟の選手強化システムとはまったく関係のない、スイミングクラブ独自の方式で培養されたものであり、既成の水連システムに、痛烈な水しぶきを浴びせる結果となった。 田口はこの大会では200m平泳ぎでも銅メダルを獲得している。(田口信教 フレッシュアイペディアより)