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一畑電気鉄道立久恵線から見た日本車輌製造
カハニ1・カハニ2は開業に備えて日本車輌で製造されたボギー車のガソリンカー。前面非貫通3枚窓の半鋼製車体を持つ荷物合造車。エンジンは85馬力のガソリンエンジン、ウォーケシャ (:en:Waukesha Engines) 6-RBを装備。カハニ3は1935年に日本車輌で製造された増備車だが前2両に比べ車体が短く、側扉が1個少なく(カハニ1・カハニ2は荷物扉と客用扉2扉、カハニ3は荷物扉と客用扉1扉)、前面窓が2枚という相違がある。またカハニ3の動力台車は偏心台車を使用している。1941年にカハニ1が、1942年にカハニ2が木炭ガス発生装置取り付け改造を受け木炭代燃車となった。カハニ1・カハニ3はは1945年頃以降客車代用となったが、カハニ1が1949年4月に、カハニ3が1951年8月に正式に客車となり、それぞれハニ10・ハニ11に改番された。カハニ2は1949年12月にキハ1形(2代)キハニ1となり、1956年にエンジンがDMF13B形ディーゼルエンジンに換装され、木炭ガス代燃装置は撤去された。立久恵線廃線後の経緯は以下の通り。(一畑電気鉄道立久恵線 フレッシュアイペディアより)
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常総筑波鉄道キハ900形気動車から見た日本車輌製造
この過程では当初、国鉄が戦時買収した私鉄などで使用されていた内燃動車や電車などの払い下げを受け、それらにバス用ディーゼルエンジンを装架してディーゼル動車化するところから始められたが、その後国鉄制式ガソリンカー/ディーゼルカーの払い下げを受けるようになり、中古車の入手難等の事情で、1954年のキハ42002(日本車輌製造東京支店製:後のキハ703形キハ703)より自社設計によるオリジナルの新型ディーゼル動車の新造が中古車の継続導入と平行する形で開始された。(常総筑波鉄道キハ900形気動車 フレッシュアイペディアより)
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国鉄タキ8850形貨車から見た日本車輌製造
本形式は、ラテックス専用の35t 積タンク車として1967年(昭和42年)9月1日から1974年(昭和49年)6月5日にかけて5両(タキ8850 - タキ8854)が、日本車輌製造、三菱重工業の2社で製作された。その後1981年(昭和56年)3月31日から1983年(昭和58年)6月17日にかけてタキ1500形貨車16両(タキ31584、タキ31586、タキ31592、タキ15344、タキ15347、タキ15596、タキ15590、タキ15597、タキ15599、タキ21504 - タキ21506、タキ21508、タキ21551、タキ21554、タキ21562)の専用種別が石油類(除ガソリン)からラテックスに変更され本形式に編入された。専用種別変更に伴う改造工事は、富士重工業、日本車輌製造の2社で施工されタンク体をステンレス鋼(SUS304L)にて新製し乗せ換えた。(国鉄タキ8850形貨車 フレッシュアイペディアより)
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函館市交通局10形電車から見た日本車輌製造
31号:東京電車鉄道246号(製造は日本車輌製造)→東京市電気局1形(初代)ヨト246号→函館水電31号(函館市交通局10形電車 フレッシュアイペディアより)
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美濃電気軌道の木造単車から見た日本車輌製造
開業に向けて1911年(明治44年)に新製されたグループで、D1、D2、D3、D4、D5、D6、D7、D8、D10、D11、D12、D34の12両が存在した。全車天野工場(後の日本車輌製造東京支店)製。D1、D5、D6、D7、D8、D34は一時期鉄道線に所属していたが、BD505形の投入により1924年(大正13年)に軌道線に戻されている。(美濃電気軌道の木造単車 フレッシュアイペディアより)
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