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鴨緑丸から見た日本郵船
昭和18年10月25日、「鴨緑丸」は貨客船「富士丸」(日本郵船、9,138トン)および「賀茂丸」(日本郵船、8,524トン)とともにマ08船団を編成し、駆逐艦「汐風」の護衛により基隆を出港して日本本土へ向かう。しかし、10月27日未明にの奄美大島曽津高崎灯台西方海域で、アメリカ潜水艦「グレイバック」 (USS Grayback, SS-208) と「シャード」 (USS Shad, SS-235) に発見される。0時27分、「賀茂丸」に「シャード」からの魚雷が1本命中し、賀茂丸は沈没を防ぐべく応急修理の上、22時30分ごろに修理のため奄美大島久慈湾に座礁した。次いで6時20分、「賀茂丸」から脱出した乗船者の収容作業を行うため停止していた「富士丸」の後部に「グレイバック」からの魚雷が1本命中し、「富士丸」は6時45分に沈没した。船団中唯一健在の「鴨緑丸」は、「富士丸」遭難者の救助を行ったのち一旦避退したものの、進路を戻して航行中の12時25分に「グレイバック」の射程内に入り、魚雷が1本命中したが幸いにして不発に終わったものの救助作業を打ち切り、10月28日に門司に入港した。(鴨緑丸 フレッシュアイペディアより)
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リチャード・G・ヴォージから見た日本郵船
1945年4月1日に「クイーンフィッシュ」 (USS Queenfish, SS-393) が緑十字船「阿波丸」(日本郵船、11,249トン)を撃沈した、いわゆる阿波丸事件に関しては、ヴォージはロックウッドと同じように「阿波丸」の動きが、対潜機雷堰にアメリカ潜水艦を呼び込むかのように見えて疑念を示した。また、「阿波丸」を撃沈した「クイーンフィッシュ」艦長のチャールズ・E・ラフリン少佐(アナポリス1933年組)については、「生存者を探していたわけだから、故意にやったわけではなかろう」という見解を示し、さらにはラフリンを、海軍における司法制度や日米双方からのあらゆる錯誤から来る誤解が生んだ犠牲者であると位置づけ、ロスコーとともに手段を尽くして事件を曖昧にすることに力を注いだ。南カリフォルニア大学のロジャー・ディングマン教授は、ヴォージが、ラフリンを「純粋な英雄に仕立て上げ」た張本人としている。(リチャード・G・ヴォージ フレッシュアイペディアより)
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クリスタル・クルーズから見た日本郵船
クリスタル・クルーズはアメリカ合衆国ロサンゼルスに本社を置く1988年に設立された日本の高級クルーズ会社。中型の高級クルーズ船を2隻運行している。日本の日本郵船の完全子会社。(クリスタル・クルーズ フレッシュアイペディアより)