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  • バラオ (潜水艦)

    バラオ (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    2月27日、バラオは8回目の哨戒でテンチ (USS Tench, SS-417) 、ガードフィッシュ (USS Guardfish, SS-217) 、シーデビル (USS Sea Devil, SS-400) とウルフパックを構成し東シナ海に向かった。3月9日、バラオは大陸沿岸で2隻の護衛艦をつけた小型タンカーを発見した。バラオは小型タンカーを攻撃したが、護衛艦の反撃を受け軽い損傷を受けた。しかし、修理の上哨戒を続けた。3月18日、バラオは188トンのトロール船を発見して浮上砲戦で撃沈した。翌3月19日、今度はの上海北北東225キロ地点で、門司から基隆に向かっていたモタ43船団を発見。艦首と艦尾の両方の発射管から3つの目標に向けて魚雷を発射し、まず辰春丸(辰馬汽船、6,344トン)に1本が命中。辰春丸は大破したものの上海に入港することができた。次に筥崎丸(日本郵船、10,413トン)に2本が命中し筥崎丸は沈没したが、場所が水深15メートルの浅海で上部構造物は水面上に出ていた。同日の夕刻にはトロール船の船団を発見し、そのうちの4隻を撃沈した。3月21日には、2隻の輸送船と4隻の護衛艦からなる輸送船団を発見し、夜明けごろに攻撃したが魚雷は命中せず、攻撃は失敗した。3月26日、バラオはの地点で第一新東丸(沢山汽船、884トン)を発見し、小型護衛艦の反撃をかわして浮上砲戦によりこれを撃沈した。哨戒を終えて帰投中の4月2日には、低空から飛来した日本機の攻撃を受けたが、潜航して事なきを得た。4月8日、バラオは40日間の行動を終えてアプラ港に帰投した。バラオ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ハンマーヘッド (潜水艦)

    ハンマーヘッド (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    9月9日、ハンマーヘッドは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。10月1日夜、ハンマーヘッドはのボルネオ島北岸海域でミ18船団を発見。追跡の上、日付が10月2日になるならないのころに攻撃。魚雷を計8本発射し、2つの目標に命中するのを確認した。この攻撃で2隻の輸送船、日和丸(日本郵船、5,320トン)と日金丸(日本郵船、5,320トン)は2分から3分で沈没し、輸送船国星丸(大阪商船、5,494トン)も間もなく沈没したとする。10月20日未明には、の地点でサマ13船団を探知。魚雷を6本発射して2つの激しい爆発を観測し、4本目と5本目の魚雷が命中したのであろうと判断される。続いて魚雷を4本発射し、こちらも2つの爆発を確認した。さらに魚雷を4本発射して2つの命中があったとし、これですべての魚雷を撃ち尽くした。ハンマーヘッドの一連の攻撃で、2隻の輸送船、羽後丸(大阪商船、3,684トン)と旺洋丸(東洋汽船、5,458トン)を撃沈した。なお、ハンマーヘッドは10月21日までブルネイ沖で哨戒していたが、栗田健男中将率いる第二遊撃部隊の到着に気付いた様子はない。10月28日、ハンマーヘッドは危うく味方を撃つところであった。この日の未明、の地点でハンマーヘッドのレーダーは1つの目標を探知するが、やがて目標の姿が見え始め、哨戒艇か「日本の潜水艦」と推定されたため砲撃を開始。ハンマーヘッドは20発ほど撃って200ヤードまで接近したところ、相手は敵ではなく味方のグロウラー (USS Growler, SS-215) であることがわかり、砲撃を止めた。11月2日、ハンマーヘッドは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。ハンマーヘッド (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ピカーレル (SS-177)

    ピカーレル (SS-177)から見た日本郵船日本郵船

    1943年1月22日、ピカーレルは6回目の哨戒で日本近海に向かった。千島列島海域を中心に、東京、キスカ島間の航路を哨戒。2月8日、ピカーレルは綾里崎沖で特設運送船藤影丸(山本汽船、4,004トン)に対して魚雷を3本発射したが、回避された。2月10日にはの三陸沖で3隻の輸送船団を発見し、2番目の目標である6,000トン級貨物船に対して魚雷を3本発射。一部のアメリカ側の記録では、ピカーレルのこの攻撃で天利丸(政記輸船、2,184トン)を撃沈したと主張するが、実際には命中しなかった。2月12日、ピカーレルは金華山灯台沖でサンパン2隻を20ミリ機銃と小口径機銃で攻撃した。2月15日朝には再び綾里崎近海で輸送船団を発見し、海軍徴傭船立山丸(北日本汽船、1,990トン)に対して魚雷を3本発射して2本命中させ、立山丸を撃沈した。2月18日には塩屋埼灯台沖で船団護衛中の特設砲艦笠置丸(日本郵船、3,140トン)に対して魚雷を2本発射したが、これは命中しなかった。翌2月19日夕刻にも金華山灯台沖で輸送船団を攻撃して命中音一つを確認したが、これは魚雷が陸岸に命中して爆発したものだった。2月20日夜に金華山灯台沖で漁船に対して機銃攻撃を行った後、2月21日には第1219船団に対して魚雷を2本発射するも命中しなかった。3月3日、ピカーレルは37日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。ピカーレル (SS-177) フレッシュアイペディアより)

  • ボアフィッシュ (潜水艦)

    ボアフィッシュ (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    12月24日、ボアフィッシュは最初の哨戒で南シナ海に向かった。1945年1月5日にサイパン島に寄港し、整備の後哨区に到着した。1月21日、ボアフィッシュは5隻か6隻ぐらいの小さな輸送船団をレーダーで探知。16本の魚雷を全ての目標に向け、3回に分けて発射。しかし、効果不明のまま夜明けには攻撃を終了した。1月31日、ボアフィッシュはのインドシナ半島バタンガン岬北方で、2隻の貨物船と数隻の護衛艦を探知。これは南号作戦参加のヒ88B 船団であった。ボアフィッシュは護衛艦の監視をかいくぐり、明け方5時50分ごろに、大越丸(大阪商船、6,890トン)と延喜丸(日本郵船、6,968トン)に向けて魚雷を発射。魚雷は両船に命中し、延喜丸は船体折損して8時5分ごろ沈没。大越丸は損傷甚だしく沿岸に座礁し放棄された後、第14空軍機によって破壊された。2月15日、ボアフィッシュは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。潜水母艦ユーラール (USS Euryale, AS-22) による整備を受けた。ボアフィッシュ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • プランジャー (SS-179)

    プランジャー (SS-179)から見た日本郵船日本郵船

    プランジャーは6月5日のミッドウェー海戦に参加し、ミッドウェー島とハワイの中間海域の哨戒で15日間行動した。海戦後の6月9日、プランジャーは2回目の哨戒で東シナ海に向かった。主に上海沖を哨戒。この哨戒中、プランジャーはイタリア船籍の客船 (SS Conte Verde 18,765トン) に遭遇した。この船は交換船であり、本国に引き揚げるジョセフ・グルー大使を含むアメリカ外交団が乗船していた。これより先の6月5日に、太平洋艦隊潜水部隊司令官少将は、交換船コンテ・ヴェルデおよび浅間丸(日本郵船、16,975トン)に関する情報を哨戒中の潜水艦に通知した。6月25日に浅間丸が出航したのを受けて、イングリッシュ少将は改めて交換船に関する情報を送信した。しかし、プランジャーのホワイトはこの情報をこの時点では受信しなかったが、6月26日と28日に至って、重ねて送信された交換船情報が届いた。2日後の6月30日朝7時、プランジャーはの地点で、規定どおりの塗装と照明をしているコンテ・ヴェルデに800ヤードまで接近し、コンテ・ヴェルデの写真を撮影して攻撃はしなかった。プランジャーは、もう少しで後年のクイーンフィッシュの失態に先んじる失態を演じるところであった。コンテ・ヴェルデ撮影より先、プランジャーは貨物船に対して浮上攻撃を行う。アメリカ側の記録では、この攻撃によりプランジャーは海軍徴傭船第五雲海丸(中村汽船、2,841トン)を撃沈したとするが、同船は1944年11月14日にレイトン (USS Raton, SS-270) が撃沈している。7月2日には、プランジャーはの長江河口付近で第131船団を攻撃し、船団から遅れていた陸軍徴傭船第三雲洋丸(中村汽船、2,977トン)を撃沈した。7月15日、プランジャーは36日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。真珠湾に回航されて改修を受けた。プランジャー (SS-179) フレッシュアイペディアより)

  • 光島丸

    光島丸から見た日本郵船日本郵船

    千種丸(日本郵船/大洋漁業)光島丸 フレッシュアイペディアより)

  • ロンクィル (潜水艦)

    ロンクィル (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    1945年1月1日、ロンクィルは3回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。同海域で、日本本土を攻撃する陸軍の爆撃機支援として救助艦任務に当たる一方、2月7日には呉竹丸(日本郵船、1,924トン)を撃破した。2月14日、ロンクィルは43日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。ロンクィル (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 西村実造

    西村実造から見た日本郵船日本郵船

    1920年(大正9年)日本郵船株式会社入社。西村実造 フレッシュアイペディアより)

  • カイマン (潜水艦)

    カイマン (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    2月18日、カイマンは2回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾に向かった。この哨戒でも敵艦との遭遇はなかったが、3月2日にはの地点で緑十字船阿波丸(日本郵船、11,249トン)を発見した。4月6日、カイマンは48日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。カイマン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 楠木武俊

    楠木武俊から見た日本郵船日本郵船

    紀伊国(現・和歌山県)生まれ。漢学を学んだ後、1882年(明治15年)慶應義塾を卒業し大蔵省に入り、英語学校長に就任。吉川泰次郎の奨励で海軍に従事。日清戦争の功にて勲等を受ける。日本郵船香港支店長となり40年間勤務した。楠木武俊 フレッシュアイペディアより)

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