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  • ブルーフィッシュ (潜水艦)

    ブルーフィッシュ (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    2月13日、ブルーフィッシュは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。日付が3月3日になってすぐ、ブルーフィッシュのレーダーは17,500ヤード(約16キロ)先に目標を探知する。間合いを取って追跡を行い、明け方には先頭船と二番船に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、反転し三番船に対して艦尾発射管から魚雷を4本発射するも、全て外れた。この目標はヒ47船団で、魚雷は特設運送船能代丸(日本郵船、7,189トン)に向かったが回避された。一度はヒ74船団との接触が途絶えるが、翌3月4日未明に再び発見。前日同様に接敵し、明け方にの地点で艦尾発射管から魚雷を3本発射。魚雷は特設運送船(給油)大峯山丸(三井船舶、10,536トン)に2本から3本命中し、大峯山丸はわずかに船首を海面上に突き出した状態で沈没した。攻撃後は哨戒の傍らで南沙諸島の偵察も行う。3月20日にはの地点で日本潜水艦を発見するが、攻撃の機会がなかった。3月28日夜、ブルーフィッシュはの地点で「沖島型敷設艦」を発見し、の地点に至った所で、艦首発射管から魚雷を4本と、最後に艦尾発射管に残った魚雷を1本発射したが、目標が針路を変えたため命中しなかった。4月12日、ブルーフィッシュは58日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。ブルーフィッシュ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ドラム (潜水艦)

    ドラム (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    4月17日、ドラムは最初の哨戒で日本近海に向かった。5月1日23時20分、ドラムは御前崎沖の遠州灘で中型艦船に対して魚雷を2本発射し、1本が命中。続いて駆逐艦と思しき艦艇に対しても魚雷を1本発射したが命中せず、間を置いて魚雷を3本発射したが、これも命中しなかった。この「中型艦船」は水上機母艦瑞穂であり、瑞穂は翌2日4時16分に沈没した。瑞穂の沈没は、第二次世界大戦における日本海軍軍艦の喪失第一号であった。続く5月9日には、の潮岬近海で輸送船西寧丸(大連汽船、4,916トン)に対して魚雷を4本発射し、実際には1本も命中しなかったものの、ドラムは撃沈を報じた。5月13日には、の神子元島70度12海里の地点で、石炭を搭載して秦皇島から川崎に向かっていた輸送船昭南丸(拿捕船/川崎汽船委託、5,356トン)を撃沈。5月25日にも野島崎沖で室蘭に向かっていた輸送船喜多方丸(栗林商船、2,380トン)を撃沈した。5月28日にもの犬吠埼沖で特設巡洋艦粟田丸(日本郵船、7,397トン)に対して魚雷を5本発射したが、全て回避された。帰途にはミッドウェー海戦に参加し、ミッドウェー島のはるか西方で哨戒を行った。6月12日、ドラムは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。ドラム (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • フラッシャー (潜水艦)

    フラッシャー (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    1944年1月6日、フラッシャーは最初の哨戒でマニラ近海方面に向かった。1月18日、フラッシャーはの南鳥島西南西135海里の地点で輸送船と護衛艦を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は1本が特設運送船吉田丸(日本郵船、2,926トン)の四番船倉に命中し、吉田丸は船尾から沈んでいった。攻撃後は哨区への航海を急いだ。ルソン島西方の哨区に到着後しばらくは遠方の目標か小型ボートしか見なかったが、2月5日夕刻にミンドロ島カラビテ岬沖で輸送船団からの煙を発見し、間合いをとっての追跡ののち、22時50分にの地点にいたったところで魚雷を4本発射。魚雷は陸軍船大新丸(辰馬汽船、1,722トン)に2本が命中して轟沈させた。大新丸は3隻の小型船とともに航行していたが、大新丸を撃沈したフラッシャーは攻撃後に浮上し、4インチ砲による浮上砲戦で1隻の小型船に命中弾を与えた。この小型船は伊勢丸といい、後刻座礁して果てたところを同行していた別の小型船によって発見された。2月14日早朝5時、フラッシャーはのルソン島バタンガス西方50キロの地点でダバオからマニラに向かっていたMO72船団を発見。魚雷を4本発射し、うち1本が陸軍船民領丸(辰馬汽船、2,224トン)に命中してこれを撃沈する。護衛の第103号哨戒艇は2隻の掃海特務艇とともに爆雷攻撃を行ったが、フラッシャーはその間隙を突いて場所を移動し、およそ2時間半後に3隻の輸送船団、ミリからマニラに向かっていた第3204船団を発見する。フラッシャーはの地点で魚雷を4本発射し、過去には「グレイリング (USS Grayling, SS-209) を踏みつけて沈めた」海軍応急タンカー北安丸(大連汽船、3,712トン)に命中して同船を撃沈した。2月29日、フラッシャーは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。フラッシャー (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • シルバーサイズ (潜水艦)

    シルバーサイズ (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    5月13日、シルバーサイズはの地点で潜水艦を発見して魚雷を1本だけ発射したが、命中音は聞こえなかった。5月17日午後には、の潮岬沖で中型輸送船と大型輸送船各1隻を発見する。この時、シルバーサイズは潜望鏡に竹竿をくくりつけ、これに日の丸を翻させた上、網で漁船に成りすまして漁船群ごしに船団を攻撃した。シルバーサイズはの地点で魚雷を3本発射し、4,000トン級の貨物船に2本命中させてこれを撃沈したと報じ、戦後の調査では、ていむす丸(川崎汽船、5,871トン)と鳥取丸(日本郵船、5,973トン)の2隻の陸軍輸送船を撃破したとするが、日本側の記録は、ていむす丸と「シンリュウ丸」が雷撃を受けたと書いてあるのみで被害の有無ははっきりしない。5月21日午後には市江崎沖で中型輸送船に対して魚雷を2本発射するも命中しなかった。翌5月22日15時ごろ、シルバーサイズはの市江崎沖で特設運送船朝日山丸(三井船舶、4,550トン)を発見して魚雷を2本発射して1本を命中させ、朝日山丸の前部を切断した上大破座礁させた。執拗な爆雷攻撃を受けたが、難なく切り抜けた。5月26日夜にも潮岬沖で小型輸送船に対して魚雷を1本発射したが、これは命中しなかった。6月3日、シルバーサイズはの地点で海軍徴傭船第二日新丸(大洋捕鯨、17,579トン)と輸送船宮崎丸(日本製鐵、3,948トン)を発見して宮崎丸に対し魚雷を2本発射し、1つの命中音を聴取したが、実際には宮崎丸の船底を通過しただけであった。哨区からの帰途にはミッドウェー海戦で敗れた日本艦隊の動向を警戒。6月21日、シルバーサイズは52日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。シルバーサイズ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ジャック (潜水艦)

    ジャック (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    1944年1月16日、ジャックは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。この海域はさすがに重要船団や重要船が多かった。2月19日3時58分ごろ、ジャックのレーダーがの地点で複数の目標を探知した。よく確認すると、それは日本に向けて北上するヒ40船団で、5隻のタンカーと3隻ぐらいの護衛艦がいると判断された。ジャックはヒ40船団に接近しつつ、相手の隊列が二列縦隊であることを確認し、よいポジションを占めるべく行動した。4時42分、ジャックは射点に就き、2隻の目標に向けて魚雷を3本ずつ計6本発射。うち2本がタンカー南栄丸(日東汽船、5,019トン)に命中し大爆発を生じさせ撃沈し、もう2本はジャックからは死角になっていて見えなかったが、別のタンカー国栄丸(日東汽船、5,155トン)に命中し撃沈した。護衛の海防艦占守がこちらに向かう気配を見せたためジャックは避退し、第二撃をかけるべく準備を急いだ。やがて日が昇りつつある頃、船団の姿がはっきり見えるようになった。ジャックは昼に浮上し、速力を上げて250キロもの距離を移動して船団の前方で潜航し、待ち伏せをした。午後、ジャックは船団を再度発見し、それから1時間経った18時49分、ジャックはの地点で2隻のタンカーに対して魚雷を4本発射。魚雷はタンカー一洋丸(浅野物産、5,106トン)と日輪丸(昭和タンカー、2,762トン)に命中し2隻とも沈没していった。残るは特設運送船(給油)南邦丸(飯野海運、10,033トン)と海軍徴傭船浅間丸(日本郵船、16,975トン)だけとなった。ジャックは1時間後に浮上し20時52分にの地点で魚雷を3本発射したが命中せず、22時33分にもの地点で魚雷を4本発射し、3つの命中があったとした。ジャックは17本の魚雷をもって一つの船団を事実上壊滅状態に追い込んだ。3月1日未明にはの地点で1隻のタンカーと3隻の輸送船、2隻の護衛艦からなる輸送船団を探知し、2番目の目標に対して魚雷を3本発射して2本の命中を確認。続いて2隻の輸送船に対して魚雷を4本発射し、これも2つの命中を確認した。この攻撃で魚雷を撃ちつくしたので、ジャックは哨戒を打ち切ることとした。3月13日、ジャックは51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。ジャック (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • レイポン (潜水艦)

    レイポン (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    4月25日、レイポンは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。5月13日、レイポンはの地点でタウィタウィに向かう小沢治三郎中将率いる第一機動艦隊の一隊を発見し、空母の姿をスケッチに留めた。5月23日夜には、マニラからサイゴンに向かう輸送船団を発見し魚雷を6本発射するも全て外れ、これを見た陸軍輸送船うゑいるず丸(川崎汽船、6,586トン)が警戒汽笛を鳴らした。2時間後に二度目の攻撃を行い、の地点で魚雷を4本発射して2本が海軍徴傭船備前丸(日本郵船、4,667トン)に命中して撃沈。うゑいるず丸にも魚雷が向かってきたが、今回も回避に成功した。2時間置いて三度目の攻撃に入り、の地点で魚雷を4本発射して、うゑいるず丸に全て命中させ撃沈した。四度目の攻撃で残る輸送船に対して魚雷を6本発射し、2本が命中したと判断された。やがて護衛の駆潜艇が制圧したが、レイポンは全力で逃げて何事もなかった。5月27日朝、レイポンはの地点で「伊一六八型潜水艦」を発見し、魚雷を2本発射したが命中せず、相手は去っていった。6月6日、レイポンは42日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。レイポン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • スペードフィッシュ (潜水艦)

    スペードフィッシュ (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    7月23日、スペードフィッシュは最初の哨戒でピクーダ (USS Picuda, SS-382) およびレッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) とウルフパックを構成しルソン海峡方面に向かった。8月19日、スペードフィッシュはルソン島北西海岸沖合いのフィリピン海域で哨戒中、マニラに向かうヒ71船団を発見。ヒ71船団は2日前の8月17日から他の潜水艦の猛攻により、ここまで空母大鷹と貨客船帝亜丸(帝国船舶、元フランス船アラミス/日本郵船委託、17,537トン)がラッシャー (USS Rasher, SS-269) に、給油艦速吸がブルーフィッシュ (USS Bluefish, SS-222) にそれぞれ撃沈されていた。スペードフィッシュはブルーフィッシュが速吸を撃沈した後に攻撃し、4時30分、の地点で船団と離れて単独航行中の陸軍特殊船玉津丸(大阪商船、9,590トン)に対して魚雷を2本発射。魚雷は2本とも玉津丸の右舷に命中し、玉津丸は10分で沈没。この後、ラッシャーが3隻目の獲物であるタンカー帝洋丸(日東汽船、9,849トン)を撃沈し、ヒ71船団は玉津丸乗船中の第26師団将兵のほとんどが戦死するなど、手痛い損害を被った。3日後の8月22日、スペードフィッシュはバブヤン海峡を南下しルソン島北部海岸沿いに接岸航行中のタマ24A 船団を発見し追跡、接近した上で12時10分にタンカー第二八紘丸(日本油槽船、10,022トン)に対して魚雷を2本発射。船首と船体中央に魚雷の命中を受けた第二八紘丸は、バサレン湾に座礁した。この攻撃では、駆逐艦に護衛されたもう1隻のタンカーに損傷を与えたとも判断された。翌日、スペードフィッシュは座礁中の第二八紘丸に止めを刺さんと接近し、護衛艦をはねのけて魚雷を4本発射。しかし、魚雷は途中で沈没したりして命中しなかった。スペードフィッシュは爆雷攻撃を受けたが、大したことはなかった。第二八紘丸は、搭載の魚雷艇を後続船団に移した上で放棄された。スペードフィッシュは手持ちの魚雷が3本だけになったので、一旦哨戒を中断し、補給のためサイパン島タナパグ港に向かい、8月29日に入港して補給後に哨戒を再開した。スペードフィッシュ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • パファー (潜水艦)

    パファー (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    2月4日、パファーは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。2月22日夕方、パファーはの南ナツナ島スピケチール灯台東北東5キロ地点で、護衛のいない大型商船と中型商船を発見した。パファーはひときわ大きな輸送船帝興丸(帝国船舶、元フランス船ダルタニアン/日本郵船委託、15,105トン)とタンカー菊水丸(拿捕船、元オランダ船イリス/大阪商船委託、3,887トン)に対して魚雷を2本ずつ発射し、2本のうち1本が帝興丸の左舷船倉に命中した。帝興丸が25度に傾いたところで、パファーはもう2本の魚雷を発射し、2本とも命中。帝興丸は左舷側にさらに傾き、船尾を下にして沈没していった。4月4日、パファーは61日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。パファー (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ウェーク島の戦い

    ウェーク島の戦いから見た日本郵船日本郵船

    当面の警備兵力には当初、攻略部隊をそのまま警備部隊としたが、現地の要望により改めて警備部隊の派遣が要請されることとなった。これを受け、上海海軍特別陸戦隊から一個大隊がウェーク島に派遣されることとなり、大隊は12月27日に輸送船新田丸(日本郵船、17,150トン)に乗船し、途中対潜行動をとった上で1942年1月12日にウェーク島に到着。大隊は第65警備隊としてウェーク島の防衛にあたることとなり、これと入れ替わるように攻略部隊は暫時引揚げていった。ウェーク島の戦い フレッシュアイペディアより)

  • 東城丸

    東城丸から見た日本郵船日本郵船

    竣工後、ヒ91船団に加わって1月26日に門司を出港し、昭南(シンガポール)に向かう。船団は出港2日後の1月28日未明にアメリカ潜水艦「スペードフィッシュ」 (USS Spadefish, SS-411) の攻撃により特設運送船「讃岐丸」(日本郵船、9,246トン)と海防艦「久米」を失うが、「東城丸」はタンカー「永洋丸」(日本油槽船、8,673トン)とともに大陸沿岸、海南島、インドシナ半島沿岸に沿って南下を続け、2月8日に昭南に到着した。昭南で航空ガソリン16,000トン、重油1,285トンなどを搭載し、ヒ92船団に加わって2月18日午後に昭南を出港して日本に向かった。しかし、出港して2時間半後に触雷して気缶を損傷。応急修理の上航海を続けた。2月22日に同航のタンカー「第二建川丸」(川崎汽船、10,045トン)が触雷沈没し、2月25日にはアメリカ潜水艦「ホー」 (USS Hoe, SS-258) の雷撃で海防艦「昭南」を失うが、「東城丸」は単独で楡林に向かって、同地で機関整備を行う。その後は対潜掃討を終えた第25号海防艦とともに大陸沿いを北上し、汕頭、舟山群島、釜山港外を経て3月11日に門司に帰還した。搭載物資を下津港で陸揚げののち、生まれ故郷の播磨造船所に回航され、触雷による損傷の修理を行ったが、その最中に終戦を迎えた。東城丸 フレッシュアイペディアより)

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