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  • ポンポン (潜水艦)

    ポンポン (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    2月22日、ポンポンは4回目の哨戒でハルマヘラ島方面に向かった。3月8日には病院船氷川丸(日本郵船、11,622トン)を発見し、見送った。翌3月9日夜、ポンポンはの地点で3隻の小型護衛艦を発見し、魚雷を4本発射したが、護衛艦の吃水が浅かったためか命中しなかった。ポンポンはパラオ方面、サイパン島方面で偵察を行い、3月25日にミッドウェー島寄港を命じられた。4月10日、ポンポンは50日間の行動を終えて真珠湾に帰投。4日間修理に従事した。ポンポン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 堀基

    堀基から見た日本郵船日本郵船

    1882年、開拓使の廃止により実業界に転身。最初、小樽で対馬嘉三郎と共に大有社(北海道初の商社といわれる)を設立。函館の商人らと共に前年の官有物払下げ事件の影響で設立が頓挫しかけていた北海道運輸会社(後の日本郵船の一部)を設立し、出来たばかりの三井物産の資本協力も得て海運業に乗り出した。堀基 フレッシュアイペディアより)

  • レイトン (潜水艦)

    レイトン (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    11月13日、レイトンは最初の哨戒でビスマルク諸島、ソロモン諸島およびニューギニア方面に向かった。11月20日にツラギ島に寄港。11月26日午後、レイトンはのの西側の航行中に、2隻の輸送船を中心に2隻の駆逐艦と思しき艦艇と二式水上戦闘機の護衛がついた輸送船団を発見した。レイトンは船団を追跡しその夜に魚雷を5本発射し、特設運送船(給兵)尾上丸(日本郵船、6,667トン)に魚雷を命中させてこれを撃沈した。しかし、護衛艦の反撃に遭い別の輸送船に4度も接近して攻撃しようとしたが、ついに成功しなかった。11月28日、レイトンはのニューギニアの北方500キロ地点でパラオからラバウルに向かうオ306船団を発見し、魚雷を6本発射。10時9分、魚雷は陸軍輸送船百合丸(大阪商船、6,787トン)に3本が命中して百合丸を轟沈させ、これとほぼ同じ時刻に陸軍輸送船北光丸(山下汽船、4,928トン)の船尾に魚雷を命中させて撃沈した。3隻目の陸軍輸送船ころんびあ丸(三菱汽船、5,617トン)にも魚雷が向かったが回避された。レイトンはオ306船団になおも食いつき、魚雷を三度にわたって4本ずつ、計12本発射したが、すべて回避された。護衛艦の激しい爆雷攻撃を受けたレイトンは深深度潜航で退避したのち、夜になって再び船団を追撃した。しかし、この時点でレイトンに残された魚雷はわずかであったので支援を求め、近くにいたガトー (USS Gato, SS-212) がこれに応じ、攻撃に加わった。しかし、依然として護衛艦の警戒が厳しかったので、レイトンは護衛艦を引きつける役を自ら引き受け、レイトンは第39号駆潜艇と浮上砲戦を交わした。レイトンが護衛艦を誘き出したことによって、ガトーは隙を突いて11月30日にころんびあ丸を撃沈することができた。12月6日、レイトンは24日間の行動を終えてミルン湾に帰投。潜水母艦 (USS Fulton, AS-11) による修理を受けた。レイトン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 加藤正義

    加藤正義から見た日本郵船日本郵船

    加藤 正義(かとう まさよし、嘉永7年2月23日(1854年3月21日) - 大正12年(1923年)12月24日)は日本の実業家、政治家。元日本郵船副社長。幼名源太郎。加藤正義 フレッシュアイペディアより)

  • 富山丸

    富山丸から見た日本郵船日本郵船

    富山丸(とやままる)は、日本郵船が運航していた1915年(大正4年)竣工の貨物船。T型貨物船と呼ばれる7500総トン級の1隻で、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に沖縄への増援部隊を輸送中に撃沈され、3500人以上の多数の戦死者を出した。沖縄戦の関連戦没船に数えられることがある。なお、日本郵船は同名の船として1968年(昭和43年)に就航させた67,512トンの大型タンカーも保有したことがあり、1976年(昭和51年)にギリシャ企業に売却。富山丸 フレッシュアイペディアより)

  • シルバーサイズ (潜水艦)

    シルバーサイズ (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    5月13日、シルバーサイズはの地点で潜水艦を発見して魚雷を1本だけ発射したが、命中音は聞こえなかった。5月17日午後には、の潮岬沖で中型輸送船と大型輸送船各1隻を発見する。この時、シルバーサイズは潜望鏡に竹竿をくくりつけ、これに日の丸を翻させた上、網で漁船に成りすまして漁船群ごしに船団を攻撃した。シルバーサイズはの地点で魚雷を3本発射し、4,000トン級の貨物船に2本命中させてこれを撃沈したと報じ、戦後の調査では、ていむす丸(川崎汽船、5,871トン)と鳥取丸(日本郵船、5,973トン)の2隻の陸軍輸送船を撃破したとするが、日本側の記録は、ていむす丸と「シンリュウ丸」が雷撃を受けたと書いてあるのみで被害の有無ははっきりしない。5月21日午後には市江崎沖で中型輸送船に対して魚雷を2本発射するも命中しなかった。翌5月22日15時ごろ、シルバーサイズはの市江崎沖で特設運送船朝日山丸(三井船舶、4,550トン)を発見して魚雷を2本発射して1本を命中させ、朝日山丸の前部を切断した上大破座礁させた。執拗な爆雷攻撃を受けたが、難なく切り抜けた。5月26日夜にも潮岬沖で小型輸送船に対して魚雷を1本発射したが、これは命中しなかった。6月3日、シルバーサイズはの地点で海軍徴傭船第二日新丸(大洋捕鯨、17,579トン)と輸送船宮崎丸(日本製鐵、3,948トン)を発見して宮崎丸に対し魚雷を2本発射し、1つの命中音を聴取したが、実際には宮崎丸の船底を通過しただけであった。哨区からの帰途にはミッドウェー海戦で敗れた日本艦隊の動向を警戒。6月21日、シルバーサイズは52日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。シルバーサイズ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • フラッシャー (潜水艦)

    フラッシャー (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    1944年1月6日、フラッシャーは最初の哨戒でマニラ近海方面に向かった。1月18日、フラッシャーはの南鳥島西南西135海里の地点で輸送船と護衛艦を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は1本が特設運送船吉田丸(日本郵船、2,926トン)の四番船倉に命中し、吉田丸は船尾から沈んでいった。攻撃後は哨区への航海を急いだ。ルソン島西方の哨区に到着後しばらくは遠方の目標か小型ボートしか見なかったが、2月5日夕刻にミンドロ島カラビテ岬沖で輸送船団からの煙を発見し、間合いをとっての追跡ののち、22時50分にの地点にいたったところで魚雷を4本発射。魚雷は陸軍船大新丸(辰馬汽船、1,722トン)に2本が命中して轟沈させた。大新丸は3隻の小型船とともに航行していたが、大新丸を撃沈したフラッシャーは攻撃後に浮上し、4インチ砲による浮上砲戦で1隻の小型船に命中弾を与えた。この小型船は伊勢丸といい、後刻座礁して果てたところを同行していた別の小型船によって発見された。2月14日早朝5時、フラッシャーはのルソン島バタンガス西方50キロの地点でダバオからマニラに向かっていたMO72船団を発見。魚雷を4本発射し、うち1本が陸軍船民領丸(辰馬汽船、2,224トン)に命中してこれを撃沈する。護衛の第百三号哨戒艇は2隻の掃海特務艇とともに爆雷攻撃を行ったが、フラッシャーはその間隙を突いて場所を移動し、およそ2時間半後に3隻の輸送船団、ミリからマニラに向かっていた第3204船団を発見する。フラッシャーはの地点で魚雷を4本発射し、過去には「グレイリング (USS Grayling, SS-209) を踏みつけて沈めた」海軍応急タンカー北安丸(大連汽船、3,712トン)に命中して同船を撃沈した。2月29日、フラッシャーは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。フラッシャー (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • パファー (潜水艦)

    パファー (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    2月4日、パファーは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。2月22日夕方、パファーはの南ナツナ島スピケチール灯台東北東5キロ地点で、護衛のいない大型商船と中型商船を発見した。パファーはひときわ大きな輸送船帝興丸(帝国船舶、元フランス船ダルタニアン/日本郵船委託、15,105トン)とタンカー菊水丸(拿捕船、元オランダ船イリス/大阪商船委託、3,887トン)に対して魚雷を2本ずつ発射し、2本のうち1本が帝興丸の左舷船倉に命中した。帝興丸が25度に傾いたところで、パファーはもう2本の魚雷を発射し、2本とも命中。帝興丸は左舷側にさらに傾き、船尾を下にして沈没していった。4月4日、パファーは61日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。パファー (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ポラック (潜水艦)

    ポラック (潜水艦)から見た日本郵船日本郵船

    12月31日、ポラックは5回目の哨戒で日本近海に向かった。東北地方沖での敵艦船との接触は2回あり、まず1943年1月19日に白糠海岸に座礁放棄されていた輸送船玄山丸(宮地汽船、5,691トン)に対して魚雷をまず1本発射するも命中せず、続いてもう1本発射して命中させた。2日後の1月21日夜にはの地点で、陸軍輸送船崎戸丸(日本郵船、9,245トン)に対して魚雷を2本発射するも回避された。2月10日、ポラックは41日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。ポラック (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 神戸丸 (東亜海運)

    神戸丸 (東亜海運)から見た日本郵船日本郵船

    既に上海航路には日本郵船から移譲された長崎丸と上海丸が就航していたが、乗客及び取り扱い貨物が増加したことに伴う当該航路の増強のため、三菱重工業長崎造船所に8,000トン級高速貨客船として発注された。神戸丸 (東亜海運) フレッシュアイペディアより)

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