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住友家から見た日清製粉グループ本社
友成は元東宮職御用掛の西園寺八郎(西園寺公望の女婿・公爵毛利元徳の8男)の次女春子と結婚した。夫妻は2女をもうけ、長女邦子は侯爵佐々木行忠の長男行美(東京大学理学部教授)に嫁いでいる。行忠は1942年に皇典講究所長、國學院大學長にあげられ、さらに国史編修院総裁を経て、1946年に東京大神宮宮司、1951年には伊勢神宮大宮司に就任した国史の大家。なお、行忠の祖父高行は枢密顧問官で明宮(大正天皇)の御教養主任だった。次女博子は、昭和電工元社長・安西正夫の次男直之(三井不動産)に嫁いた。直之の兄孝之(元昭和エンジニアリング社長)は元日清製粉(現日清製粉グループ本社)社長正田英三郎の次女恵美子と結婚した。正田の長女が皇后美智子であるので、住友家は安西家・正田家を通じて皇室と姻戚関係にある。直之の妹公子を娶ったのが住友銀行相談役堀田庄三の長男健介(住友銀行)であるから、住友家評議員会の前委員長の堀田庄三は住友家の相談役、総理事格から住友家と閨閥でつながった。なお西園寺八郎の三男・西園寺不二男は鮎川義介の長女を娶り、日産コンツェルン傘下の日産興業社長に就いている。元参議院議員の西園寺公一は八郎の長男であり、春子や不二男の長兄にあたる。(住友家 フレッシュアイペディアより)
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ポンコツ&さまぁ〜ずから見た日清製粉グループ
スポンサーは、『ポンコツ&さまぁ〜ず』は日清製粉グループを筆頭に複数社提供、『超ポンコツさまぁ〜ず』はCygames一社提供となっている。(ポンコツ&さまぁ〜ず フレッシュアイペディアより)
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北村銀太郎から見た日清製粉グループ本社
太平洋戦争中、北村は日清製粉の工場長に呼ばれ、180名が収容できる捕虜収容所を1か月で建ててくれと依頼された。北村は契約ののち、金と物資、人員をやりくりして昼夜兼行で建設に取りかかったが、軍の都合で建設が延び延びになってしまった。これに対し、北村は人員の都合上、契約どおりにやるしかないと意見した。日清製粉の正田英三郎取締役まで出てきた結果、「軍の都合なら仕方ない」と建設は延び延びになったが、北村のもとには本来の契約で得られる100万円が転がり込んできた。北村によれば、工事は1か月なら150万円必要で、2か月から3か月なら30万から50万円程度だった。大金が転がり込んだ北村は、「踊り狂つちやつた」。。(北村銀太郎 フレッシュアイペディアより)