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日高剛から見た北川博敏
、前任の北川博敏から指名を受け選手会長に就任。開幕スタメンで出場、4月23日の西武戦では9回裏に大沼幸二から自身初となるサヨナラ本塁打を放つ(エイと打ったらピョーンと入ったとコメント。またこの日は、チーム13年ぶりのトリプルプレーも達成している)。4月は勝負強さを発揮する等打撃好調だったが、5月中旬からは一転し、正捕手としてはチームの深刻な投壊を阻止できずにチーム防御率は悪化、更に7月7日に右太もも裏痛で登録抹消。その後、8月23日に復帰するも復調せず、2000年から続けてきた100試合出場もこの年で途切れることとなり、正捕手の不在はこの年のオリックス投壊の要因の一つとなってしまった。(日高剛 フレッシュアイペディアより)
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日高剛から見たジェレミー・パウエル
開幕戦代打本塁打:2003年3月28日、対大阪近鉄バファローズ1回戦(大阪ドーム)、5回表に三輪隆の代打で出場、ジェレミー・パウエルから右越ソロ ※史上16人目(パ・リーグ10人目)(日高剛 フレッシュアイペディアより)
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日高剛から見たマーク・クルーン
は的山がソフトバンクに移籍したため、正捕手としての座がより強固な物になった。前半戦は3割近い打率を維持し、5月25日の横浜戦では1試合5安打を記録。同年のオールスターにも出場、第2戦で巨人のマーク・クルーンが投げた161km/hの速球を右中間スタンドに運ぶ本塁打を放った。最終的に自己最多の134試合に出場し、プロ13年目で初の規定打席到達。6年ぶりの2桁本塁打となる自己最多の13本塁打、打率.269、チームトップの18犠打と自己最高の打撃成績を記録した。守備面でも開幕前の構想に居た先発投手が相次いで離脱する中、経験や実績に欠ける先発陣を破綻させることなく引っ張った。一方で、捕手としてリーグワーストの6失策、盗塁阻止率も規定試合数に到達した捕手の中では両リーグ通じて最低の.221に終わった。(日高剛 フレッシュアイペディアより)
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日高剛から見た岡田彰布
は、正捕手として開幕ダッシュに貢献するも、その後は度々岡田監督からリード面で酷評されることが多くなる。開幕25試合目となった4月23日の対日本ハム戦で、チームは早くも15度目の2桁被安打となる13安打11失点を記録し、翌日に早くも二軍降格を味わった。その後、セ・パ交流戦では攻守に活躍して、チーム初の交流戦優勝に貢献した。リーグ戦が再開した後は、6月30日の楽天戦で9回裏に川岸強から逆転サヨナラ2ランを放ったものの、再びリード面で岡田監督から不興を買う場面が多くなり、7月18日に二軍降格。攻撃面での打力を買われてDHや代打で起用されることが多かった一方で、本業の捕手としては3度の二軍降格もあって79試合の出場に留まった。先発出場に限れば、鈴木郁洋や前田大輔などにスタメンマスクを譲る機会が多く、53試合に留まった。(日高剛 フレッシュアイペディアより)
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日高剛から見た榎田大樹
には、開幕から一軍に登録されると、一軍公式戦44試合に出場。打力を生かすべく左の代打に起用されたほか、この年から先発投手に転向した榎田大樹が登板する試合を中心に、スタメンマスクを任されていた。しかし、7月6日の対広島戦(マツダスタジアム)6回表の守備中に、三塁側のファウルゾーンに上がったフレッド・ルイスの飛球を追跡中に、三塁手の新井良太と激突したため交代。激突の影響で左大腿四頭筋を損傷したため、翌日から戦線を離脱するとともに、およそ2か月にわたって治療とリハビリに専念した。なおこのシーズンで、NPB通算打率ランキングの対象となる4000打数に到達した。(日高剛 フレッシュアイペディアより)
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日高剛から見た松坂大輔
には分配ドラフトを経てオリックス・バファローズと契約。開幕戦では6回表に松坂大輔からチーム初安打となる二塁打を放ち、オリックス・バファローズとしての初安打を記録した。ライバルとして的山哲也が加わったが正捕手は譲らず、強力になったリリーフ陣を引っ張り守備面での信頼を回復した。しかし今度は打撃成績が落ち込み、打率は再び.250を下回り、本塁打も1本だけだった。はスタメン出場が初めて100試合を超え、4割以上の盗塁阻止率を記録したが打撃成績は前年と大差がなかった。同年FA権を取得し、オフにFA宣言。地元球団であり選手層が薄い福岡ソフトバンクホークス、控え捕手に不安のある読売ジャイアンツが獲得に動くのではないかと噂されたが、他球団からのオファーはなくオリックスに残留。はFA残留を想定していなかったためか、コリンズ新監督のシーズン当初の構想から外れ、自身も打撃不振で9月末にやっと2割台に乗せるほどの低打率に終わった。(日高剛 フレッシュアイペディアより)
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日高剛から見た新井良太
には、開幕から一軍に登録されると、一軍公式戦44試合に出場。打力を生かすべく左の代打に起用されたほか、この年から先発投手に転向した榎田大樹が登板する試合を中心に、スタメンマスクを任されていた。しかし、7月6日の対広島戦(マツダスタジアム)6回表の守備中に、三塁側のファウルゾーンに上がったフレッド・ルイスの飛球を追跡中に、三塁手の新井良太と激突したため交代。激突の影響で左大腿四頭筋を損傷したため、翌日から戦線を離脱するとともに、およそ2か月にわたって治療とリハビリに専念した。なおこのシーズンで、NPB通算打率ランキングの対象となる4000打数に到達した。(日高剛 フレッシュアイペディアより)